儚さをわが身の上によそふれば袂にかかる秋の夕露(待賢門院堀河)

いつから和歌は、こんなに虚しくなったのだろう。それは新古今のひとつ前、千載集がその分岐点だ。『私に寄りかかる儚さは、秋の夕暮れに置く袂の露のよう』。三代集を主として、「露」は秋を秋らしく染める風景のひとつであった。しかし千載集の頃になると露はほとんど儚さの象徴として歌われている、「恋」ではない「四季」部であるにもかかわらずだ。千載そして新古今の四季歌には物語性があると言われるが、これらはすべて無常のカタストロフ。花も月も単純に愛で興じるものではなくなっている。保元・平治そして治承・寿永これら戦乱の残した爪痕は深い。

(日めくりめく一首)

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