『今年から咲きはじめた橘の花が、いったいどうした理由で昔の香りに匂っているのだろう』。本当にどうしたというのだ? というのは香りの理由ではない、新古今の名うて家隆らしからぬ平凡のそれだ。花橘は「昔の人を思い出す」というノスタルジーを合わせ詠むことが常套となっているが、昨日の歌はそれを定めたというもので和歌にとどまらず広く古典の金字塔である。無論今日の一首もそれを踏まえており、「いかで」の答えは伊勢第六十段によるもの、とは誰もが当たり前に知るところであって、今更どうしてこのような歌を採ったのかと撰者らに疑念すら抱く。仮に滑稽趣味であれば、まだまだ捻りがほしい。
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