さはに生ふる若菜ならねどいたづらにとしをつむにも袖はぬれけり(藤原俊成)

沢に生える若菜ではないが、むだに年をつむ(摘む、積む)ほどにこの袖は濡れちまったよ。どこのジイさんの歌だろうか? 実はだれあろう、定家の父、藤原俊成である。新古今に採られた歌だが、息子の耽美な歌と比べるとどうにも野暮ったい。だが俊成はこれが正しい。それは年寄りの枯れた境地、といった安っぽい理由ではない。俊成は古今集のリバイバルに人生を掛けた、この平易な情景と修辞の駆使こそが古今調なのだ。しかし、であるとしても若菜と加齢は相性が良くない。ちなみに古今集には「雪を白髪に見立てる歌」があり、これは納得できる。

(日めくりめく一首)

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