歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
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令和五年三月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。
「かすみつつ桜柳の錦へと雲ゐぞ春の物語りする」
判者評:「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」を念頭に置くか。霞・桜・柳と春の情景が組み合わさった美しい歌。ただ雲居に加え、見立ての錦に物語と、名詞が多く煩雑になっている。雲居が春の物語する、というのもわかりにくい。シンプルに再構成するならば、「春くれば柳桜の花集ひ人に知られぬ物語する」
「荒れ果つるけふ春雨のふる里は昔ながらの桜花かな」
判者評:荒れ果てた古里に春雨が降る、しかし桜花は昔と変わらずに咲いている。ふる(降る、古)の掛詞を用た、技巧と抒情が見事に止揚した歌。日本人であれば誰しもが切なる感情を抱くだろう。
「春来れば歌に心をつくしきぬあはれと思え山桜花」
判者評:「このまよりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり」という歌があるが、ここでは春こそ心を尽くす季節だとある。まさにそうだろう。「つくしきぬ」は「尽くして来た」という意か、また下句の関連も弱いように思える。たとえば、「春来れば心は歌にあくがれて今ぞ詠むべき山桜花」
「玉鉾の小道を行くや春の宵花びらたぐり夜桜に逢わむ」
判者評:花弁をたぐり寄せて夜桜に逢おうという、風雅の歌。上下の関連が弱い、たとえば「玉鉾の道に散りぬる花弁のあととひいかむ桜木のもと」
「さ夜ふけてつゆに濡れにし草枕旅人照らすは山桜なり」
判者評:夜露に濡れる旅人、孤独な彼を照らす山桜。深い抒情の歌である。しかし山桜はどのように旅人を照らすのか、月明かりを写しているのか、そのものの色なのか。またなぜ照らすのか、孤独を癒すのか、旅路を明らかにするのか、はっきりしない。たとえば、「ぬばたまの夜の旅路を照らせるは月影やどす桜なりけり」
「うちなびくしだれ桜の枝間よりくまなき月の光こぼれり」
判者評:こちらも「このまよりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり」を踏まえた春のバージョン。桜と月が取りあわされた美しい情景。ただ本歌のように、月明かりが漏れてくる必然性が弱い。たとえば、「散りそめししだれ桜の枝間よりくまなき月の光こぼれり」
「こよひまたつきかげうつす夜桜をせめて夢路のともしびとせむ」
判者評:前歌と同様に月と桜の取り合わせ。月影が夜桜に映るという、風雅を究めた情景である。ただ初句「こよひまた」の必要性と、夜桜に映る月影を灯にする発想は飛躍といえる。たとえば、「月の色をうつしとどめし夜桜の散るぞはかなき君が面影」
「早く咲き早く散りなむ山ざくら花の心のいそぐころかな」
判者評:友則を踏まえた歌、花を擬人化し思いをかける。桜を愛する人なら、だれしも同じように語るだろう。結句「いそぐころかな」が、いつのころか具体的にならずわかりにくくしている。たとえば「花の心ぞすずろはしけれ」
「さくらばなしづこころなくちりぬればおもかげあはく思ひ寝にみむ」
判者評:こちらも友則を踏まえた、桜花へのひとり語り。「しづこころなく」と「おもかげあはく」の関連が弱いか。たとえば「つれなくひとり」
「五つ衣あはせの色にまさるかな四年の春を重ねし花は」
判者評:五つ衣とは平安女性の装束で、宴席にいる女性を見立てるか。その色にまさる四年ぶりの桜は、ということでコロナ禍がようやく終息した、ひさしぶりの花見に感動した歌。五と四の言葉遊びも見どころとなっており、心と詞がうまく止揚された歌
「月影の野にまろぶねこののしりて花乱れそむこひごろものごと」
判者評:月影の野にまろぶねこというのが軽妙で面白い。「まろぶ」は「転がる」、「ののしる」は「大きな声を出す」の意。猫が大きなで鳴いて花が乱れだす、ということか。初句「月影の野」は必要な風景であろうか検討の余地がある。もっと素直で明朗な歌にしたい、たとえば「春の野にまろぶ子猫の寝床にも生ひにけるかな菫若草」
「花ざかり霞かさねて咲きにほふ四方の桜も明日は散りなむ」
判者評:まさに満開の花盛りの情景、桜が霞を重ねるようにあたり一面に咲いている。結句を「四方の桜は尽きるまで見む」などともできるが、そうではなく「明日は散りなむ」としたのが妙。花の散るさまがいっそう空しく響く。実情であろうが、一首の構成が練られている
「吹く風に花の梢を揺らしつついづれ散るべきことを知らずか」
判者評:桜を散らす、春風への不平をこめた歌。風に心があるかのような表現はいかにも和歌らしい。ことばを少しかえて意味をはっきりさせたい。たとえば、「吹く風は花の梢を揺らしけりいづれ散るべきことを知らずや」
「木の末(このぬれ)になごりを残し散る花はいざなふ風に舞ひてたゆたふ」
判者評:美しい言葉の抒情、これぞ歌の響きというものを感じさせる。結句がとってつけたようでもったいない。たとえば、「木の末を惜しみつるかな桜花いざなふ風にあらそひにけり」
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