「忍恋(しのぶこひ)」とは恋の初期段階における心で、恋する相手に知らせず、また周囲にも知られずに、密かに自分の中にだけ思いをとどめおく恋のことです。これは恋愛における男性の基本態度、いわゆる恋の「男歌」となります。
それではよく知られる「忍恋」の歌をご紹介しましょう。
浅茅生の小野のしの原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
(『後撰集』恋一・五七七・源等、『百人一首』三九)
適訳:浅茅が生えている小野の篠原…… 恋心を忍んでいるが、顕わになってしまっている。なぜ君がこれほど恋しいのだろうか。
解説:忍恋は浅茅が生えている篠竹の野原に寄せられています。第一~二句が序詞で、第三句以下の部分との直接的な関係は「しの」という同音ですが、篠原に隠れている浅茅という情景を忍恋の心象風景として読むこともできます。
忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人のとふまで
(『拾遺集』恋一・六二二・平兼盛、『百人一首』四〇)
適訳:忍んでいたけれど、私の恋心が顔に出てしまったのだ。恋の物思いをしているかと人々が尋ねるまでに。
解説:歌合で詠まれた題詠です。
たまの緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
(『新古今集』恋一・一〇三四・式子内親王、『百人一首』八九)
適訳:私の命よ、絶えてしまえば絶えてしまいなさい。生きながらえると、恋心を忍ぶことが弱まって、気持ちが顕わになってしまうかもしれない。
解説:これも題詠で、百首歌の中に「忍恋」題で詠まれたものです。忍恋は、日常生活の中では男性が詠むテーマなので、式子内親王は男性の立場からこの歌を詠みました。「たまの緒」は命という意味の歌語です。玉に緒が通されるように、魂にも緒が通されるという発想の表現です。
右の三首に「忍ぶ」という言葉も出てきますが、出てこない例も多いです。『古今集』から二首を見ましょう。
人知れぬ思ひをつねにするがなる富士の山こそわが身なりけれ
(恋一・五三四・よみ人しらず)
適訳:人に知られない恋の思いを常にしている。駿河にある、「思ひ」と同じく「火」が燃えている富士山こそがわが身なのだ。
解説:忍恋が富士山に寄せられています。富士山は平安時代の和歌で、活火山であり、中には外から見えない火が燃えていたことから、隠された恋(忍恋)の気持ちと結び付けられていました。この歌のように、「思ひ」の「ひ」に「火」が掛けられることが多いです。この歌では「するが」も掛詞で、「(思ひを)する」と富士山がある「駿河」が掛けられています。
うき草のうへはしげれる淵なれやふかき心を知る人のなき
(恋一・五三八・よみ人しらず)
適訳:(私の恋心は)浮草が水面に茂っている淵であろうか。(表面は隠していても、)恋の思いは深く、それを知っている人がいないのだな。
解説:隠された恋の思いが、水面が浮草に覆われて深さが見えない淵に寄せられています。
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