在原業平 ~Don’t Stop My Love! 愛が溢れるプレイボーイ~


在原業平をご存知でしょうか?
まあ古典好きで、彼の名を知らない人なんて皆無と言っていいでしょう。

業平は平城天皇の孫であり、六歌仙に名を連ねる凄腕の歌人であった人です。
その名こそは有名ですが、しかし彼に抱くイメージを聞くと、たいていは「平安のプレイボーイ」と紋切り型の答えが返ってきます。

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確かに業平がその主人公(むかし男)と同一視される「伊勢物語」には、雅俗おかまいなくさまざまな女性と浮き名を流す人生譚が描かれており、そう評されてもやむを得ない面があります。
ちなみに業平は「美男子・イケメン」であったとも言われますが、これは伊勢物語のモテ話はもちろん、歴史書「日本三代実録」に「体貌閑麗、放縦不拘」と記されていることに由来します。

とにかく、「始終女の尻を追いかけつづけるダメ男」。
これが私たちが思い描く在原業平という人物像なのですが、なぜだか業平のファンはすこぶる多い。
後代の歌人たちは業平の歌を何度も本歌に引き、能や絵画・工芸(特に琳派)の作家は多数のオマージュ作品を手掛けました。

こんなダメ男に一体なぜ!?

「伊勢物語」のむかし男(業平)は、歌を通じて様々な女性との情事を重ねます。
その中には清和天皇妃である二条の后(藤原高子)や伊勢斎宮である恬子内親王の名も…
手出し無用・禁断の恋に恐れることなく身を投じる。この姿に後世の男たちが羨望を抱いたのでしょうか?
確かにそういう面もあるかとは思いますが、私はやはり「歌の素晴らしさ」、これに多くの人が惹かれたのだと思います。

業平の歌は、貫之による「古今和歌集仮名序」の六歌仙評でこう記されています。

「在原業平はその心余りて言葉たらず、しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」
古今和歌集(仮名序)

つまり、「恋心が溢れすぎて歌に収まっていない」のです。
「詞」が重視された貫之の時代には、業平をはじめ六歌仙の歌は卑俗に捉えられていました。

しかし時代が下り「新古今和歌集」時代になると、この評価は一変します。
かの藤原定家は歌論「近代秀歌」でこう記しています。

「花山僧正、在原中将(業平)、素性、小町が後、たえたる歌のさま、わづかにみえきこゆる」
近代秀歌

業平らの詠みぶりを理想としました。これは新古今集時代になり、「詞」よりも「心」が重視されるようになったからです。

この「溢れて止まない恋歌」が、時代を超えて業平が愛され続ける理由なのです。
Don’t Stop My Love! 業平の溢れる恋心は、今の私たちにもストレートに伝わってきます。

今回は全125段のショートストーリーからなる「伊勢物語」から、
後世の歌人にも影響を与えた、人気の十首をご紹介しましょう。

在原業平の十首

(一)「起きもせず 寝もせで夜を あかしては 春の物とて ながめ暮らしつ」(在原業平)
春は起きるでも、寝るでもなくボーっと過ごすのです。恋する女のことを妄想して…

(二)「人知れぬ 我が通い路の 関守は よひよひごとに うちも寝ななむ」(在原業平)
俺の恋路をじゃまするあのヤロウ、邪魔すんじゃねぇ! 
藤原高子(後の清和天皇の女御)邸の門番もなんのその。恋愛道を突っ走る業平に恐れるものはありません。

(三)「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」(在原業平)
伊勢物語第九段、東下りのワンシーン。「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心をよめ」とのお題に応え詠んだ歌です。各句頭をつなげると見事に「か・き・つ・ば・た」と折句になっています。
このシーンを題材とした作品を多く残したのが琳派の代表格尾形光琳です。蒔絵の硯箱に屏風絵、光琳デザインにアレンジされた伊勢物語は必見です!

(四)「名にしおはば いざ事とはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」(在原業平)
こちらも第九段、東下りから。このエピソードは今に生きています、隅田川に架かる言問橋がそれです。それにしても遠くまで来たものですね、業平一行は。

(五)「徒歩(かち)人の 渡れど濡れぬ 江にしあれば 又あふ坂の 関はこえなむ」(在原業平)
こともあろうに業平、伊勢斎院である恬子内親王に手を出します。斎院には不浄が求められましたから、業平はタブーを犯したことになります。
そんな大それたことをしつつも、「あんたとは浅い関係だったな、また逢おうぜベイビー」って。
すげーな業平。。男が惚れるのも分かります。

(六)「数々に 思ひ思はず とひがたみ 身をしる雨は ふりぞまされる」(在原業平)
この歌のキーワードは「身を知る雨」です。平安時代、女の家に男が通うのが当然でした。雨の日はどうしたんでしょうね? もちろん電車も車もありません(牛車はおいといて)から、歩いていくとなると雨でぐっしゃぐしゃに濡れるはずです。そこで「身を知る雨」です。ぐしゃぐしゃに濡れても私に逢いに来るのか、来ないのか? そこまで愛しているのか、いないのか? 女が男に問うているのです。
ちなみにこの歌は業平が女に成り代わって詠んだものですが、もし業平が女にこう言われたら? もちろん、ぐっしゃぐしゃを選びますよね!
→関連記事「身を知る雨 〜和歌で知る平安のジンクス〜

(七)「年をへて 住みこし里を 出でていなば いとど深草 野とや成なん」(在原業平)
「俺が出ていったら、ただでさえ草深い里が野っ原になっちまうだろ」と別れを告げる業平に対し、女は「野となったら鶉となって鳴いています。狩りに来てくださいますか?」と返します。こんな健気なことを言わせるなんて、期待どおりのプレイボーイです。
この歌とエピソードは後の歌人達に愛され、幾歌の本歌になりました。かの御大藤原俊成はこの歌の後日談として「夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里」と詠み、生涯一の出来栄えであると誇っています。

(八)「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(在原業平)
六歌仙の面目躍如。紀友則の「ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しずこころなく 花の散るらん」と双璧を張る古今和歌集の桜歌です。
ただこれまでの所業を見ると、「花」は「女」の意にしか思えません。この世に女さえいなかったら平穏な人生なのに…とね。

(九)「ちはやふる 神世もきかず 竜田河 唐紅に 水くくるとは」(在原業平)
百人一首にも採られ、少女漫画のタイトルになった有名な歌です。ちなみにこの歌がネタの落語「ちはやふる」をご存知でしょうか? 「竜田河」は力士の四股名となり、「ちはや」は… まぁとにかく、爆笑ものですからぜひ一席聴いてみてください。

(十)「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」(在原業平)
月も春も変わっているのに、私だけは変わらない。六歌仙らしく、なんとも思慮深い歌です。普段だらしなくても、たまにこういうかっこいいい歌を詠んでみちゃうのが業平の魅力です。

(書き手:和歌DJうっちー)