百人一首や和歌が好き! という方は、実はけっこういるのではないかと思います。
例えばこういう歌には、伝統的な花鳥風月の叙景がすぐさま呼び起こされ、日本人であれば誰しも深い感慨を覚えるでしょう。
「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇)
「田子の浦に うち出てみれば 白妙の ふじのたかねに 雪はふりつつ」(山部赤人)
しかしこのように馴染みやすい、いわゆる万葉調の「写生歌」は和歌史における主流ではありません。
代々の勅撰和歌集を見ると分かりますが、和歌のほとんどは頭でこねくり回した「技巧的・理知的」な歌なのです。つまりその正しい鑑賞には「見立て」や様々な「修辞法」、「古歌・故事の教養」といった面倒くさい知識が求められるということ。
ですので「百人一首が好き」という人はいても、「古今和歌集が好き」なんて人はよほどの和歌マニアです。
しかし、日本文化の源泉が初代勅撰集「古今和歌集」の叙景および叙情歌にあることは揺るぎません。
→関連記事「古今和歌集とは」
日本の文化・歴史を探求する上でも、決して逃れられない古今和歌集。
今回はこれを楽しく♪ 観賞するポイントをご紹介しましょう。
→関連記事「和歌の鑑賞ポイント(上級編)〜新古今和歌集、見えないものを見る〜」
壱のポイント「叙景をイメージする」
「古今集的和歌」には独特の修辞法のために解釈が難しい歌が多々あります。
しかし、ひとまずそんなものは無視してみましょう!
コテコテの古今歌でも、言葉の響きから得られる叙景で十分楽しめます。
例えば以下の歌です。
9「霞たち この芽もはるの 雪ふれば 花なき里も 花ぞ散りける」(紀貫之)
「はる」に「張る」と「春」の掛詞がありますが、これを無視しましょう。
技法がなくても「ぼんやりと春霞がかかる人里に雪が花のように舞っている映像」が脳裏に結べたのではないでしょうか。
全ての和歌には、まずこの「想像力」さえあればいいのです。
※ちなみにこのように「ぼんやりと春霞がかる 云々…」と口語で説明されると、和歌世界が一気に野暮ったいものになってしまいますね。
では次の歌にはどんな印象が浮かびますか。
32「折りつれば 袖こそ匂ほへ 梅花 有りとやここに うぐひすの鳴く」(よみ人しらず)
今度は映像だけでなく、うぐいすの声という「音」も加わった立体的な情景が浮かんだと思います。
さらにこれはどうでしょう。
40「月夜には それとも見えず 梅花 香をたつねてぞ 知るべかりける」(凡河内躬恒)
闇夜に充満する梅の香、そう「匂い」をも印象に描けると思います。
これが和歌が再生する叙景の力です。
言葉が我々の感性を刺激して、現実を超越した美の世界・印象を描くことができるのです。
弐のポイント「重ねの妙技を見つける」
和歌は三十一文字という字制限があります。その中で荘厳な理想美を描くのですから、当然様々な工夫がなされています。
その根本的なテクニックが「重ね」の妙技!
これこそ「古今集的和歌」最大の見どころ、基礎技法を知ってたっぷり味わいましょう。
言葉の重ね(掛詞)
626「逢ふ事の なきさにしよる 浪なれば うらみてのみぞ 立帰りける」(在原元方)
一見すると浜辺を詠んだ歌のようですが、実は「なきさ」に「渚」と「無き」を、「うらみ」に「浦見て」と「恨みて」を掛けています。
これを「掛詞」といいます。
→関連記事「和歌の入門教室 掛詞」
言葉の重ねがみつかると、訪れのない男への皮肉の歌だと分かります。
情景と心象の重ね(序詞)
601「風ふけば 峰にわかるる 白雲の たえてつれなき 君が心か」(壬生忠峯)
これは「風が吹いて山の峰で二方向に離れてゆく雲」という情景に「私から離れてしまった愛しい人」を重ねて、苦しいということを表現した歌です。
この「情景」と「心象」の重ねの技法を「序詞」といいます。
→関連記事「和歌の入門教室 序詞」
古今和歌集の恋歌では「序詞」が多用されています。
平安歌人が自分の気持ちをどのような情景に例えているのか、見てみると面白いです。
→関連記事「恋歌はなぜつまらないか」
景物の重ね(1)(景物単体に裏の意味を重ねる)
145「夏山に 鳴くほととぎす 心あらば 物思ふ我に 声なきかせそ」(よみ人しらず)
なぜホトトギスの声を聞かせるな! と強く言っているのか?
それは「ホトトギスの声」には「愛しい人を思い出す」という裏の意味があるからです。
和歌のいわゆる「歌語」にはそのような意味の重ねが沢山あります。これを知っておくと、和歌鑑賞の幅が格段に広がります。
景物の重ね(2)(景物複数で季節を重ねる)
5「梅が枝に きゐるうぐひす 春かけて なけどもいまだ 雪はふりつつ」(よみ人しらず)
景物どうしを重ねて四季の印象を高める方法もよくみられます。
この歌では「梅」、「うぐいす」、「雪」を重ねて早春の美しい情景を描いています。
他にも「藤」に「ホトトギス」、「紅葉」に「鹿」といった取合せがあります。
→関連記事「和歌の入門教室 特別編 古今和歌集 四季の景物一覧表」
古今和歌集の四季は「景物」が折り重なりながら進み、一つの大きな繋がり、つまり物語を作っています。
ですから歌単体ではなく、歌の繋がりを鑑賞するというのが古今和歌集の正しい鑑賞方法です。
参のポイント「歴史・文化を楽しむ」
和歌は宮廷で花開いた文化です。
それぞれの歌が詠まれた背景に歴史や文化を見ることができれば、和歌鑑賞の楽しみ方は一気に広がります。
歴史
52「年ふれば 齢は老いぬ しかはあれど 花をし見れば もの思ひもなし」(前太政大臣)
これは時の摂政、藤原良房が娘明子へ送った歌です。
良房はこの「花」が生んだ子清和天皇の外祖父になることで、政治を思うままに動かしました。
応天門の変では伴善男はじめ伴氏や紀氏を朝廷から追い出すことに成功し、藤原摂関家の存在を確固たるものにしたのです。
と、このように歌に隠された背景などを知ることは、歴史好きにはたまりません。
文化
「照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の おぼろ月夜に しく物ぞなき」(大江千里)
朦朧とした月夜を詠んだこの歌には、平安文学への多様な影響を知ることができます。
まずは新古今和歌集、
「大空は 梅の匂ひに かすみつつ 曇りもはてぬ 春の夜の月」(藤原定家)
藤原定家の本歌取りによって妖艶な夜の歌に仕立てられました。
そして源氏物語「花宴」、
「朧月夜に似るものぞなき」
と近づいてきた女(朧月夜)との出会いのシーンにも使われています。
実はこの歌そもそもが「白楽天(白居易)」の歌集「白氏文集」にある一文
「不明不暗朧朧月」を題に詠んだものなのです。
このように一首の歌を核にして、さまざまな歴史・文学への散歩を楽しむことができます。
いかがだったでしょうか。
毛嫌いしていたあの「古今和歌集」が、なんだかアトラクション満載の楽しいテーマパークのように思えませんか?
百人一首歌のように、優れた和歌は一首一首を鑑賞しても楽しいです。
しかし本来、和歌とは「歌集」を通じ四季や恋の「繊細な移ろい」を堪能するものなのです。
ということでぜひ、初代勅撰集「古今和歌集」をまるごと味わってみてください。
→関連記事「和歌の鑑賞ポイント(上級編)〜新古今和歌集、見えないものを見る〜」
(書き手:歌僧 内田圓学)
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