和歌の入門教室 「上句と下句の繋がり方のパターン」

先日、代表的な歌の律動(リズム)として五七調と七五調をご紹介しました。
→関連記事「和歌の入門教室  歌の律動(五七調と七五調)

古今集の頃にはすでに長歌形式は凋落し、歌といえば短歌形式が主流になります。それに伴って歌のリズムもほとんど七五調が基本となりました。
するとある特徴が際立ってきます、上句と下句の分断です。上句で風景を詠み、下句にその心情を付けるという形式が明らかに増えてくるのです。特に三代集はこれが顕著、序詞を伴った歌がこれらに多いのも上下分断の意識の表われです。

ちなみに新古今になると上句が体言止めで区切られるケースが増加します。これも上下分断のひとつの結果ですが、場合によって付ける下句が心情ではなく別の風景だったりするので、歌の解釈が容易でなくなりました。要するに俳句に見られる「配合」の妙なのです。ここまでくると、連歌の世界はもう目の前です。

さて、今回は百人一首歌から上句と下句の繋がり方(聯絡)のパターンを知りましょう。
形式は先に述べた三代集に特徴的な「風景」+「心情」です。句と内容が密接ですので、理解も容易でしょう。

助詞によって繋がる

上句と下句が最もなだらかに聯絡するのが「助詞」で繋がるパターンです。単純ではありますが、何で聯絡するかで一首全体から受ける印象は随分変わります。
※歌例は助詞の中でもよく耳にする「て・に・を・は」をご紹介しています

「夕されば門田の稲葉をとづれて/葦のまろやに秋風ぞふく」(源経信)
「淡路嶋かよふ千鳥のなく声に/いく夜ねざめぬ須磨の関守」(源兼昌)
「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを/雲のいづくに月やどるらむ」(清原深養父)
「白露に風のふきしく秋の野は/貫きとめぬ玉ぞ散りける」(文屋朝康)

序詞で繋がる

最も和歌らしいのが「序詞」による聯絡です。三代集の和歌は序詞の競い合いと言って過言でありません。
先の例と何が違うかというと、序詞はあくまでも比喩なのです。ですから「○○のように、○○する」といった繋がり方をします。

「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の/ながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂)
「難波潟みじかき葦のふしの間も/あはでこの世を過ぐしてよとや」(伊勢)
「由良の戸を渡る舟人かぢを絶え/行へも知らぬ恋の道かな」(曽禰好忠)

切れて繋がる

上句つまり三句目が終止もしくは体言止めされている場合、上句と下句は句切れつまり分断の関係にあります。しかし双方が同じ風景を歌っている場合、一首として統合して見えます。百人一首はほとんど古今調なので、区切れていてもほとんど違和感なく統合して見えます。

「君がため春の野に出て若菜つむ/わが衣手に雪はふりつつ」(光孝天皇)
「高砂の尾上の桜さきにけり/とやまの霞たたずもあらなん」(大江匡房)
「いにしへのならの都の八重桜/けふ九重ににほひぬるかな」(伊勢大輔)

しかし新古今になると、句切れの効果をあえて狙った歌が増えていきます。先に配合の妙といったのは、このような上下句が付けられた歌です。

「見渡せば花も紅葉もなかりけり/浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)

倒置して繋がる

前述したように上下で別れる場合、上句に風景を下句に心情を表すことが基本です。なぜかといえば、これが日本語の基本語順(SOV)だからですね。しかしこれを逆転つまり「倒置」している歌もけっこう見受けられます。歌例をご覧頂くとよく分かりますが、のっけから心情(動詞)の述べられると日本人は俄然違和感を感じるものなのです。また結果的に上句が終止しているので、下句との聯絡に一層のリズムが生まれます。倒置の歌はそのような効果を絶妙に狙って詠まれているのです。

「山里は冬ぞさびしさまさりける/人めも草もかれぬと思へば」(源宗于)
「花の色はうつりにけりな/いたづらにわが身よにふるながめせしまに」(小野小町)
「心あてに折らばや折らむ/初霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)

(書き手:和歌DJうっちー)

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