和歌とは?


和歌とは何か?
このざっくりとした質問に、ざっくりとお答えいたしましょう。

日本文化の真髄

「和歌(わか、やまとうた)」とは三十一(みそひと)文字で構成された日本独自の定型歌です。
時は飛鳥、奈良時代。天皇の遊宴や行幸の典儀として詠まれるようになり、平安時代にもなると宮廷の慶弔に欠かせないものとなりました。しかのみにあらず、歌合せと言って歌の出来を競う催しも開かれるなど、文芸のひとつとして確立します。

しかしこれらは和歌の一面です。実のところ和歌は、プライベートにおいても盛んに詠まれていました。当時、高貴な男女は夫婦でない限り直接対面することは叶いません。そこで求められたのが和歌だったのです。三十一文字から滲み出る人柄に、まだ見ぬ人を伺おうとしたのです。

まずまとめると和歌とは、貴族文化華やかりし奈良から平安そして鎌倉時代まで文化活動の中心をなし、公の舞台だけでなく日常においても盛んに詠まれ、皇室とそれを取り巻く貴族たちにとっての自己表現であり、教養であり権力の証であったのです。

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二大テーマ「四季」と「恋」

興味深いのはその題材です。初の勅撰集「古今和歌集」(905年成立)ではその総歌数千百首のうち「四季(春夏秋冬)」と「恋」で歌集の半数以上(七百二首)を占め、その傾向は以後の勅撰集でも変わることなく、そのまま日本文化の二大関心事となりました。

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厳密なルール

和歌において、四季や恋はありのままの姿(写実)で詠まれることはありません。草木や恋心は歌人達の理想的な姿に設定され、その共有された前提のもとで歌に詠みこまれるのです。この設定がなされたことばを「歌語(歌ことば)」といい、これこそが和歌を和歌たらしめる最大の特徴です。

さらに和歌には、修辞法(枕詞、掛詞、序詞、縁語、、)や歌枕さらに本歌取りなど、さまざまなルールがあります。そこそこの手練れともなれば故事成句、漢籍を取り混ぜて古典教養を前提としたコミュニケーションを図ることもします。この前提知識の有無が、同じ定型歌でありながらルール無用の現代短歌とは大きく一線を大きく画す点であり、現代日本人から和歌を遠ざける障壁となっています。反面、ルールが厳格である分、理解が広がれば現代人でも同じような古典和歌を量産することもできます。

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短詩型の芸術

長い間文化の中心であった和歌は、時代と共にその歌風も洗練されていきます。
万葉集(奈良時代)では素朴な叙情・叙景表現が中心でしたが、古今和歌集(平安時代)になると言葉を中心とした文化意識を洗練させ、新古今和歌集(鎌倉時代)になると一首のうちに絵画や物語までも創出するいわば芸術へと昇華しました。

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今も続く和歌の心

和歌で紡がれた物語は、例えば文学(伊勢物語、源氏物語…)・芸道(能、茶… )、書画(かな、日本画… )など現代につながる日本文化に今も絶対的な影響を与え続けています。つまり私たちは未だ気づかぬうちに和歌の美意識の流れの中に生きているのであり、和歌を知ることは日本文化の神髄を知ることに繋がるのです!

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一期一会の感動

「春のあしたに花の散るを見て、秋の夕暮れに木の葉の落つるを聞く」

人は誰しも自然の移ろいに心を重ね、感動を得ます。しかしこれは花紅葉の色香に酔っているのではありません。「永遠の一瞬!」折々の自然にみえる無常の儚さに共鳴して心の底が慟哭するのです。

人間の欲とは凄まじいもので、この「一期一会」の感動を留めようと試みます、それは無常の時間に対する人間の悲しき抵抗、虚しき刃、言うなれば悪あがきにすぎないのですが…

ですからその様は無残に醜い。花が咲く前から期待感に心を躍らし※1、散ればいつまでも女々しく愛惜の涙を流す※2。解せないのは望んだ花があるにもかかわらず、思いあまって隠し包んだり他のものに目を背けてしまうことでしょう※3。人間の悪あがきとはかくもさもしいものです。

しかし! これこそが和歌の情趣の源泉です。悪あがき、和歌や古典文学の「あはれ」とは時間に抗う人間の必死の様相、その共鳴にほかならないのです。
決して叶わぬ夢、手に残らぬ徒花。無常の大河に突き刺さそうという情念の、勝れば勝るほどに和歌は和歌となり美しさは際立ってゆくのです。

「あはれ」がない和歌は和歌ではありません。和歌とは一期一会の感動、それを三十一文字の言葉によって永遠に繋ぎとめようという虚しき爪痕であるのです。

※1「春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯ぞ鳴く」(素性法師)
※2「濡れつつぞ強いて折りつる年の内に春はいくかもあらじと思へば」(在原業平)
※3「桜花咲きにけらしなあしひきの山の峡より見ゆる白雲」(紀貫之)

(書き手:和歌DJうっちー)

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→「和歌と風雅のこと始め(睦月の会)」1/26(日)9:50~11:50