【百人一首の物語】十五番「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」(光孝天皇)

十五番「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」(光孝天皇)

個性というべきか、なんとも穏やかな歌である。まず名前からして「こうこう(好々)」なのだから、というのは得意のジョークであるが、陽成天皇の廃位によって突如白羽の矢が立ち齢五十五にして即位、ただこれが不本意に回ってきた玉座なもので戸惑いを隠せず、陽成の弟に義理立てして自身の子息全員を臣籍降下させた。まさに好々爺ではないか。

百人一首歌は季節風景が違うだけで天智天皇の一番歌とほとんど変わらない。しかし乙巳の変、白村江の戦とその実天智の袖は真っ赤に血塗られていたのに比べ、光孝のそれは歌のとおり純白に見える。しかもこの歌、詞書きに「仁和の帝、皇子におましましける時に人に若菜たまひける御歌」とあり、故ある人を思いながら詠んだものだとわかる。天智の作りものとは全く違う、誠実で優しい歌、光孝の人柄があってこそ詠めた歌だろう。

しかし定家はなぜ光孝天皇を百首に採ったのか、いや光孝も風雅の人であったから採るに十分あたいするが、その子宇多そして醍醐こそ和歌史的に重要ではないか。実はここでも定家の血脈主義が働いているかもしれない、初の勅撰集編纂を命じた醍醐天皇よりもそのルーツ、光孝天皇こそ王朝史的に重要であると考えたのではないだろうか。

(書き手:内田圓学)

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