令和の防人の詠草

407
17
令和五年七月
夏越祓
年古れば春の思ひ出ばかりなり今こそひとり六月祓せむ
令和の防人
年をへると春の思い出ばかりになる、今年こそはひとで六月祓をしよう。梅にうぐいすに桜、年をへてみると思い出は春のものばかりであった、しかしこれではあまりにも不憫だ、だから今年は夏の最後に六月祓をしようではないか。家隆の「みそぎぞ夏のしるしなりける」もこのような意識が根底にあると思う、最後の最後に夏にこころを寄せようというものだ。「こそ」があるので結句は「六月祓せめ」となる。

379
17
令和五年六月
ほととぎす
霍公鳥なかる国にぞ来にけるも苦しき心地いかでやるらむ
令和の防人
ほととぎすがいない、鳴かない国に来た、風情を感ることができず苦しいことだ。花鳥風月に思いを寄せる、風流人の胸の内だ。言葉を整えたい、たとえば「霍公鳥なかぬ国にぞ来し我を思ひ鳴かなむ及ばなくとも」

「霍公鳥なかる国にぞ来にけるも苦しき心地いかでやるらむ」

判者評:ほととぎすがいない、鳴かない国に来た、風情を感ることができず苦しいことだ。花鳥風月に思いを寄せる、風流人の胸の内だ。言葉を整えたい、たとえば「霍公鳥なかぬ国にぞ来し我を思ひ鳴かなむ及ばなくとも」

362
17
令和五年五月
時鳥
筑紫野やかなしぶ人は見えねども五月雨に聞く不如帰かな
令和の防人
和歌で「筑紫」というと特別感がある、「筑紫歌壇」である。奈良時代の神亀から天平年間に太宰府に滞在し万葉集に歌を残した著名な歌人集団は万葉集筑紫歌壇と呼ばれてる。とくに大宰帥大伴旅人邸で開かれた「梅花宴」32首はその名を知られる(歌集・万葉集約4500首のうち、筑紫で詠まれた歌は約320首がある)。当時「梅」は唐から渡ってきた新奇な先進の文物のひとつでした。歌は大宰府近郊でも盛んに詠まれ、豊かな文化が育まれました。ここではそのような「歌枕」としては詠まれておらず、おそらく詠み人と関係のある地なのだろう。なぜ「かなしぶ人は/見えねども」なのか、歌だけではわからない。ただ願わくばこの「悲しみ」を分かち合いのに、それは叶わず、一人五月雨の中、ひとりホトトギスを聞いて、悲しさを募らせる孤独な作者が見える。

327
17
令和五年四月
落花
はるきぬと騒(そめ)きし人はいづこなるむなしき枝に草ぞ詠みらめ
令和の防人
「春が来た!」と騒がしい人はいまいづこ? もはや花は失せ、それでもむなしく歌を詠んでいる。詠み応えのある趣向だが、詞を整理したい。例えば「春きぬと騒(そめ)きの人は失せにけり草の庵にてひとり歌はむ」(※騒(そめ)きし人」ではなく「騒(そめ)きの人」とした、私はひとりでも歌を詠もうという意を強くした)

「はるきぬと騒(そめ)きし人はいづこなるむなしき枝に草ぞ詠みらめ」

判者評:「春が来た!」と騒がしい人はいまいづこ? もはや花は失せ、それでもむなしく歌を詠んでいる。詠み応えのある趣向だが、詞を整理したい。例えば「春きぬと騒(そめ)きの人は失せにけり草の庵にてひとり歌はむ」(※騒(そめ)きし人」ではなく「騒(そめ)きの人」とした、私はひとりでも歌を詠もうという意を強くした)

304
17
令和五年三月
さ夜ふけてつゆに濡れにし草枕旅人照らすは山桜なり
令和の防人
夜露に濡れる旅人、孤独な彼を照らす山桜。深い抒情の歌である。しかし山桜はどのように旅人を照らすのか、月明かりを写しているのか、そのものの色なのか。またなぜ照らすのか、孤独を癒すのか、旅路を明らかにするのか、はっきりしない。たとえば、「ぬばたまの夜の旅路を照らせるは月影やどす桜なりけり」

「さ夜ふけてつゆに濡れにし草枕旅人照らすは山桜なり」

判者評:夜露に濡れる旅人、孤独な彼を照らす山桜。深い抒情の歌である。しかし山桜はどのように旅人を照らすのか、月明かりを写しているのか、そのものの色なのか。またなぜ照らすのか、孤独を癒すのか、旅路を明らかにするのか、はっきりしない。たとえば、「ぬばたまの夜の旅路を照らせるは月影やどす桜なりけり」

298
17
令和五年二月
春きぬとひとは言へとも唐衣袖にうつりし花香らまし
令和の防人

「春きぬとひとは言へとも唐衣袖にうつりし花香らまし」

判者評:

275
17
令和五年二月
立春
霞立つ惑ふ旅人草枕かすみのせきに留まらましを
令和の防人
おぼろなる春霞に行く先を失った旅人、こんなことなら旅立つことなく関に留まっていたのに。立春の歌としてはきわめて稀な、後悔の念を詠んだ歌。書き分けているが「霞」と「かすみ」は歌病で避けたい。また「草枕」は枕詞として「旅」の前に置いたらどうだろう。たとえば「草枕旅の行方やいかならむ春のけぶりに道ぞ惑へる」