春の大トリ! 暮春の舞台に立つ「藤の花」


若菜を摘んだのはいつの日か、梅そして桜が散ってしまうと、もはや春も終わりの様相。
緑が繁る太陽燦々の夏の日を思うと、なおさらこの優しい季節が名残惜しくなりますよね。
そんな沈鬱の時期に最後の春を感じさせてくれる花、それが「藤」です。

古くから藤は、暮春を飾る花として歌に詠まれてきました。

120「わが宿に 咲ける藤波 立ちかへり 過ぎがてにのみ 人の見るらむ」(凡河内躬恒)
幾度見れども、後ろ髪引かれて立ち去れない。その視線の先は藤の花ではなく、行き過ぎる春かもしれませんね。

さて、藤は大別すると二つの詠まれ方をされます。
ひとつは「波」の見立てです。

新163「かくてこそ みまくほしけれ 万世を かけてにほへる 藤波の花」(醍醐天皇)
新164「まとゐして 見れどもあかぬ 藤波の 立たまくをしき 今日にもあるかな」(村上天皇)

つる性植物である藤は、藤棚から長く枝垂れる花房が特徴です。それが風に揺れるさまを「波」に見立てて詠むのです。
先に紹介した躬恒と村上天皇の歌には共通して「立つ」の文字がありますが、これは波の縁語として詠まれています。

ところでこの二首の御製歌、詞書きによるとある同じところで詠まれました。それが後宮七殿五舎の一つ「飛香舎」、古典ファンなら分かりますよね? 
そうです、源氏物語のキーパーソン「藤壺の宮」が住んでいた部屋です。
飛香舎はその庭に藤が植えられていたことから「藤壺」の異名をもち、源氏物語ではそこに住む中宮を藤壺と仮に呼んでいるのです。(決して彼女の本名などではありません)

そして藤の詠まれ方、もうひとつが「藤原氏」の喩えです。

新165「暮れぬとは 思ふものから 藤の花 咲ける宿には 春ぞ久しき」(紀貫之)
この歌の詞書きには「清慎公家屏風に」とあります。
清慎公とは藤原忠平の長男「藤原実頼」、藤の花が咲くあなたのお屋敷は春が永遠に留まっている!
職業歌人である貫之は時にはこんなおべっかも歌わなければなりません…

藤原氏の始祖である鎌足の姓は「中臣」でしたが、大化の改新の功績により天智天皇に「藤原」の姓を賜りました。その由来は鎌足の出身地、大和国藤原(藤原京、現在の奈良県橿原市)によるとされています。
以後、藤原氏は栄達の道を歩みますが、その道程で四家(北家、南家、式家・京家)分裂、鎌倉時代以降は五摂家(一条、二条、九条、近衛、鷹司)を名乗るようになり、やがて貴族社会において藤原の名は消えてしまいます。
とはいえその血筋は今も健在!
近代では近衞家の第30代目当主「近衛文麿」が第34・38・39代内閣総理大臣を務めたことは有名ですが、五摂家の子孫はそれぞれにご活躍されています。

さても藤の花、たとえ古典知識はなかったとしても、大藤棚いっぱいに枝垂れる花房を見れば問答無用にため息がもれるというもの。
この感動は外国人も同じで、CNNが選んだ「日本の最も美しい場所31選」のひとつに北九州の「河内藤園」が選ばれています。
→「河内藤園

春の名残に、いくら手が届きそうだからって手折ってはいけませんよ。
133「濡れつつぞ しひて折りつる 年の内に 春はいくかも あらじと思へば」(在原業平)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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