今回のお題は「着物」と「和歌」です。
平安貴族を象徴するこの優美な衣服と和歌は、裁っても裁ち切れない関係にあります。
一口に着物と言ってもそのスタイルは様々、TPOに応じて然るべき着こなしをしていました。
男性はまず「束帯」と「衣冠」、これは貴族の正装で、現代のフォーマルウェアというべきものです。
「直衣」は普段着のジャケットスタイル、動きやすい「狩衣」はブルゾンなどに例えてもいいでしょう。
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ちなみに正装時に着用する上着を「袍」といい、これは位階によって色が決まっていました。
例えば三位以上は「紫」、四位・五位は「緋」といったぐあいです。
天皇の袍色である「黄櫨染(こうろぜん)」などは、他の者には着用が許されなかったことから「絶対禁色」なんて言われたりします。
女性はやはり、「十二単」ですよね。
この平安女性を代表する重厚長大な衣装は、実は宮中に仕える「女房」の衣装なのです。
皇后などは「袿姿」といって、もう少し身軽なスタイルを正装としていました。
ちなみに「十二単」と名前が付いていますが、本当に12枚もの重ね着をしていた訳ではありません。
では何枚重ね着していたのか?
まず「小袖」を着て、その上に「単衣」、「五衣(袿五枚)」、「打衣」、「表着」、最後に「唐衣」を着ると…
全部で10枚! これがスタンダードスタイルです。
どっちにしろすごい枚数ですね。
こんな格好でどんな仕事が出来るかと考えれば、やはりご息女の教育係くらいしかないでしょう。
ところで、着物の最大の特徴ってなんだと思います?
いわゆる洋服と比較した場合、「帯」や「襟」なども非常に独特なものですが、
着物を着物たらしめているのは、その「袖」にあると言っていいでしょう。
小袖に大袖に振袖…
袖の違いが着物の違いとなります。
平安時代は袖口を縫い合わせない「大袖」が主流です。
重ね着した袿の配色を「襲色目(かさねのいろめ)」といって楽しむのも、袖口が広いから出来るおしゃれです。
例えば「紅梅の匂」という襲色目だと、「青、濃紅梅、紅梅、紅梅、淡紅梅」の配色が袖口から覗きます。
こんなのが季節やイベントによって何パターンも定義されていたのです。
ですから「あの娘、桜も綻んできたのにまだ紅梅だなんて、ダサぁい」なんてことになります。
ちなみに袖口が広いということは、風通しがいいということです。
夏でも重ね着して過ごすための工夫だったとも言えますね。
→関連記事「夏、それは平安貴族最大の苦痛」
対して袖口を縫い合わせたのを「小袖」といいます。
平安の後宮女性たちはこれを「下着」として使っていました。
鎌倉時代以降はこの下着が徐々に上着に取って代わり、見た目よりも機能性を重視したいわゆる現在の「着物」と進化していくのです。
まさに袖に着物の歴史あり! ってところですね。
さて、いよいよ本題に入りましょう。
平安貴族を飾るこの衣装は、和歌にも様々詠まれてきました。
例えばこの歌。
410「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」(在原業平)
「萎る」、「褄」、「張る」、「着る」と「衣」の縁語のオンパレードです。
554「いとせめて 恋しき時は むば玉の 夜の衣を 返してぞ着る」(小野小町)
この当時、衣を裏返して寝ると、夢で愛しい人に逢えると言われていました。
一種のおまじないですが、恋に悩める乙女のやることは今も昔も変わりません
715「蝉の声 聞けば悲しな 夏衣 うすくや人の ならむと思へば」(紀友則)
これは恋の後半に出てくる歌です。生地の薄い夏衣を、相手の薄情に例えています。
843「墨染の 君が袂は 雲なれや たえず涙の 雨とのみ降る」(壬生忠峯)
これは哀傷の歌です。墨染とは「喪服」の意、その袂(袖下の袋部分)に涙の雨が降ると歌っています。
637「東雲の ほがらほがらと 明けゆけば おのがきぬぎぬ なるぞ悲しき」(よみ人しらず)
東の空がほんのりと明るくなり始めました、それは逢瀬を遂げた二人にとって別れの合図。いわゆる「後朝の別れ」ですね。
「おのが衣衣(きぬぎぬ)なる」とはそれぞれ自分の衣を着る、つまり帰り支度をするということです。
ちなみに当時は布団というものがありませんから、二人寝の際にはお互いの衣を重ねて寝ていました。
残り香に愛しい人を思い出す、なんてこともあったのでしょう。
1012「山吹の 花色衣 ぬしや誰 問えど答えず 梔子(くちなし)にして」(素性法師)
山吹の重ねは表が淡朽葉、裏が黄です。この色は実際の山吹ではなく「梔子」を用いて染色していました、からの「梔子」と「口無し」の掛詞です。
さて、先ほど言ったように着物といえば「袖」です。
歌中に「袖」が出てくる歌は本当にたくさんあります。
22「春日野の 若菜摘みにや 白妙の 袖振りはへて 人のゆくらむ」(紀貫之)
大きな袂で手を振れば、遠くからでもしっかり目立ちます。
309「もみじ葉は 袖にこきいれて 持ていてなむ 秋は限と 見む人のため」(素性法師)
袖はこうも使えます。大きな袋がついているようなものですからね。
32「折りつれば 袖こそ匂へ 梅花 有りとやここに うぐひすの鳴く」(よみ人しらず)
手折った梅の香が袖に移り、そこにうぐいすが鳴く。
なんとも理知的な情景ですが、これぞ古今和歌集の真骨頂!
そして「袖」の詠み方といえば、やはりこれが定番、
「涙に濡れる袖」です!
577「音に泣きて ひぢにしかども 春雨に 濡れにし袖と 問はば答へむ」(大江千里)
574「夢路にも 露やおくらむ よもすがら かよへる袖の ひぢて乾かぬ」(紀貫之)
763「わが袖に まだき時雨の 降りぬるは 君が心に 秋や来ぬらむ」(よみ人しらず)
これら3首はすべて恋の歌です。
叶わぬ恋の涙で、私の袖は乾く間もない…
口に出さなくても袖を見ればわかるでしょ、この恋心。
ってなもんです。
そして「袖」歌の到達点がこちら、
「梅の花 匂ひをうつす 袖の上に 軒もる月の 影ぞあらそふ」(藤原定家)
先ほど「梅の香が移った袖でうぐいすが鳴く」という歌がありましたが、
これは袖に移った(映った)「梅の香」と「月の光」が競う合う、というとんでもない歌です。
恐るべき芸術性、さすが定家様です!
→関連記事「定家vsマラルメ 世紀を超えた対決! 象徴歌の魅力に迫る」
服が変われば、歌も変わる。
着物があってこその和歌、和歌あってこその着物、ということですね。
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