擬人法とは人間でない事物をあたかも人間のように喩える表現です。
あえて説明するまでもありませんね。
たとえば「グーグル先生」は体言として、「スマホが死んだ」は用言として擬人法を使った例となります。
いくらでも出てきそうですね。
ちなみに「スマホが言うことを聞かない」なんてのはどうでしょうか?
言い聞かせるなんていう対象は当然人間ですから、これも擬人法ですね。
ただ「Siri」などの発話解析・認識インターフェースが発達して、スマホが「擬人」ではなくなる日がくるかもしれません。
さて、古典和歌でも擬人法はいくらでも使われています。
例歌を百人一首からあげてみましょう。
「わたのはら 八十島かけて こきいてぬと 人にはつけよ あまのつり舟」(小野篁)
「夏の夜は まだよひながら あけぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ」(清原深養父)
「小倉山 峰のもみぢ葉 こころあらば 今ひとたびの みゆきまたなむ」(藤原忠平)
これらでは「つり舟」、「月」そして「もみぢ葉」が人として歌に詠まれています。
ところで和歌において、擬人法はどのような意図で用いられているのでしょうか?
和歌における美意識の中核は「希求」です。ですからおのずと詠み人は「孤独」の存在、唯一の慰みは「自然」となります。
つまり和歌では自然を自らの対照として、そして無二の友人として擬人化しているのです。
他人との深い繋がりをよしとする現代。
和歌の美意識はあまりにも空虚に映るかもしれません。しかし、これが和歌の理想なのです。
歌人よ、孤独であれ!
(書き手:歌僧 内田圓学)
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