万葉の時代から今に至るまで、桜は特別な花として日本人に愛されてきました。
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ただその愛され方は、時代によって異なります。今では花の下で宴会をしたり卒業や入学などの門出を彩る花として愛されていますが、一昔前の様相は憂慮を覚えるものです。
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明治から昭和の戦中時代にかけて、桜は軍人のシンボルとして愛されていました。戊辰戦争以後の戦死者を祀る靖国神社に植えられた桜はその顕著な例といえますが、当時好まれた軍歌にもその傾向は見てとれます。
「貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散りましょ 国のため」
これは「同期の桜」という軍歌の一節です。
→「wikipedia:同期の桜」
また軍歌「歩兵の本領」には
「万朶の 桜か襟の色花は 隅田に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戔の花と散れ」という一節がみえます。
→「wikipedia:歩兵の本領」
「散る桜 残る桜も 散る桜」
これは良寛の辞世の句と言われていますが、特攻隊員の遺書で有名です。このように見事に潔く散ってみせる花に、軍人の生き様を重ねたのです。
桜がナショナリズムと結びついたのは、江戸時代の国学者に起こるとされています。
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」(本居宣長)
今となっては狂信的ともいえる桜への愛着ですが、欧米列強の侵食の脅威にさらされていた小国の男児を奮い立たせるためには必要な思想だったのかもしれません。
またなにより桜が、元来「花盛りの姿」よりも「散り落ちる姿」を強く愛でられていた事実を忘れてはいけません。
日本最古の勅撰和歌集、古今和歌集を見てみましょう。
49「今年より春知りそむるさくら花 散るといふ事はならはざらなむ」(紀貫之)
これは「梅」詠みが終わり、一番初めに登場する「桜」の歌です。
にもかかわらず、いきなり「散る」ことに関心が向いています。
「梅」であれば開花を心待ちにする歌がありますが、
10「春やとき花や遅きと聞きわかむ 鶯だにも鳴かずもあるかな」(藤原言直)
桜は序盤から「散る」ことに視線が集中しているから驚きです。
続いて「春下」、冒頭から同じように「散る桜」です。
69「春霞たなびく山のさくら花 移ろはむとや色かはりゆく」(よみ人しらず)
71「残りなく散るぞめてたきさくら花 ありて世中はてのうければ」(よみ人しらず)
73「空蝉の世にもにたるか花さくら 咲くと見しまにかつ散りにけり」(よみ人しらず)
桜の「散り様」。
春の盛りにあえなくも見事に散ってゆく姿に、日本人は古来から強い情念を抱いていたのです。
ただ勘違いしてはいけないことがあります。それは古今和歌集では「散る花」に、決して「命」までは重ねてはいないのです。
101「咲く花は千くさながらにあだなれど だれかは春を恨みはてたる」(藤原興風)
散ってしまう花は薄情だが、それでも誰が春を恨むことができようか。
129「花散れる水のまにまにとめくれば 山には春もなくなりにけり」(清原深養父)
花が散っている川を流れのままに求めてみると、もう山には花も春もなくなっていたのだった。
134「今日のみと春を思はぬ時だにも 立つことやすき花の陰かは」(凡河内躬恒)
春が終わりだと思わない頃でさえ、容易に立ち去ることができなかった花の下。まして今日は春の最後の日、そんなことができようか?
花が散ることを惜しむ。
その連想は「命」ではなく、過ぎゆこうとする「春」なのです。
思えば「ソメイヨシノ」がよくないかもしれませんね。江戸時代に作られたこの品種は、日本中に植えられている桜の8割を占めるといわれいます。ソメイヨシノは知られているように、いわゆるクローン桜です。ですから「桜前線」に乗って一斉に開花し、一斉に散ってしまうのです。これが明治以後の「散り様の美」に著しい拍車をかけたのではないでしょうか。
一方、平安歌人が多く歌に詠んだのは「ヤマザクラ」。自生の花は、散るタイミングもまちまちだったことでしょうから、我々が知っている桜の風景とは違っていたことでしょう。
最後に古今和歌集でも貴重な、満開に咲きほこる桜歌をご紹介しましょう。
59「桜花咲きにけらしなあしひきの 山の峡より見ゆる白雲」(紀貫之)
山桜の美しい白! それは山の峡(かい)に見える白雲のようだ。ソメイヨシノは薄紅色をしていますが、ヤマザクラの大半は純白! これはその美しさを称えた歌です。
91「花の色はかすみにこめて見せずとも 香をだにぬすめ春の山風」(良岑宗貞)
花の色を霞に隠してせめて見せないとしても、せめて香りだけ盗んできておくれ、春の山風よ!
102「春霞色のちくさに見えつるは たなびく山の花のかげかも」(藤原興風)
春霞が色とりどりに見えるのは、たなびいている山の花が映っているのだろうか。
先に紹介したようにヤマザクラの色は白が基本ですが、自生の花は微妙な色の違いを見せます。この歌はとりどりの桜色が春霞を染めるという、洒落た趣向です。
ひたすら美しい桜歌! ひとたび桜を目にすれば、一千年前の歌人たちと心を合わせることができる。日本文化とは素晴らしいです。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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