六十二番「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」(清少納言)
清少納言とえば五十七番の紫式部とともに平安時代の著名な女房であり、互いのライバル関係が古典的な語り草となっていますよね。しかし、じつのところこの二人は面識さえなかったかもしれません。というのも紫式部が宮仕えをはじめたころ、清少納言はとっくに後宮から退いていたのです。また紫式部は自身の日記で清少納言を辛らつな評価を記す一方、彰子後宮の才女について清少納言は一切記述を残していないことからもうかがえるのです。
確かに二人がそれぞれ仕えた定子と彰子、それを後見する道隆・伊周(中関白家)と道長は兄弟でありながら政治的なライバル関係にありました、また二人が残した著作は平安の二大文学と評され、こんなことから清少納言と紫式部はライバル関係にあったのだと喧伝されたのだと思います。
まあ事実として互いが互いを敵視するライバル関係になかったにせよ、紫式部の方はそうとうに清少納言を意識しています。彼女の日記をご覧ください。
「清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば まだいと足らぬこと多かり」 (紫式部日記)
清少納言つーのは、いっつもドヤ顔してんの。利口ぶって漢字を散し書きにして得意がってんだけど、よく見るとまだまだ足りないことばっかり、ホント最低よね! あっ、これ先輩から聞いた話だけど。と、平安史に残る悪口で語っています。
清少納言からの反論を聞きたいところですが、先に述べたようにこれは叶わぬこと。ですからわたしから、清少納言の人柄がうかがえる定子との素敵なエピソードをご紹介しましょう。
ある時、清少納言は同僚らのいわれない噂(左大臣道長のスパイ)によって心を痛め、実家に引きこもっていました。そんな折、彼女が仕える定子から手紙が来ます。しかしそこには何も書かれておらず、山吹の花びら一片に「言はで思ふぞ」とだけありました。わたしたち凡人にはなんのこっちゃわかりませんよね。じつは「言はで思ふぞ」とは、
「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」(よみ人知らず)
この歌から引いた一句であったのです。また山吹は花はこちらの歌、
「山吹の花色衣ぬしやたれ問へどこたへずくちなしにして」(素性法師)
山吹色は「梔子(くちなし)」を用いて染織したことから「口無し」を掛けているのですが、つまりこれも「言はで思ふぞ」の暗示であって、定子は才気の通じ合う清少納言に粋な演出で「今は会えなくて話せないけれど、あなたのことを思っています」という気持ちを伝えたのでした。
枕草子には自身のドヤ顔エピソードがたくさん記されていて、翻って反感を買うこともあったのでしょうが、定子にこれだけ愛されていた清少納言という人を思うと、決して紫式部が断言するような単に利口ぶった嫌味な女ではなかったと思います。
というか清少納言は無理してでも、枕草子を“ドヤ顔”の、もとい“花ある文学”に仕立てたかったのだと思います。ご存知のとおり、一条天皇の後宮争いは彰子のつまり道長の完全勝利となりその栄華が語い継がれるのですが、一方の定子の中関白家はどうなったかというと、兄弟(伊周、隆家)は捕らえられ、定子は媄子内親王を生んですぐに亡くなってしまうのでした。中関白家はその名のとおり、父(兼家)と弟(道長)の中継ぎでしかなったのです。
枕草子には中関白家の不幸は微塵も記されていません。むしろ顛末が顛末であっただけに、清少納言は定子後宮をひときわ華やかに描いているようにも思えます。枕草子は、殿上人との機知に溢れた歌の草々は、中関白家のむなしさの裏返しであったのす。
さて、百人一首に収められたこの歌には、作者である清少納言の個性が実に鮮やかに表れている。『後拾遺集』の詞書によると…
大納言行成ものがたりなどし侍けるに、うちの御物忌にこもればとて、いそぎかへりてつとめて、とりのこゑにもよほされてといひおこせて侍ければ、よぶかかりけるとりのこゑは函谷関のことにや、といひにつかはしたりけるをたちかへり、これはあふさかのせきにはべりとあればよみはべりける
大納言行成とは、「三筆」の一人として知られる藤原行成。清少納言は彼といい仲で、夜更けまで語り合っていたが、ふと「自分は物忌の身であった」と思い出した、という体裁で、名残を惜しむようにその場を去ってしまった。翌朝、行成が「鶏の声に急き立てられてしまって……」と、言い訳めいた文を送ってきたところ、清少納言はそれに応じて一首の歌を返した。
その際に踏まえられているのが、中国の故事「函谷関」。夜明けの鶏の声によって関門が開かれたという逸話を引きつつ、行成の言葉を受け止め、しかもそれを軽やかに転じてみせる。このやり取りには、清少納言ならではの当意即妙の機知と、漢詩文に対する深い素養がよく表れているだろう。
この一首は、単なる恋の歌ではなく、知性とユーモア、そして余裕ある応答の美しさを備えた作品だ。藤原定家が百人一首にこの歌を選んだのも、清少納言という人物の魅力――才気と洗練をあわせ持つ歌人像――を、最もよく伝える一首であると理解していたからにほかならない。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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