14
9
令和五年二月
梅
霞立つ春の月夜の梅の花にほひぞ満ちて空をそめける
朱鷺
こちらも梅の花が擬人化され、空を染めるとある。「大空は梅のにほいにかすみつつ」も意識にあると思うが、定家が梅の香りをムンムンと充満させたのに対し、こちら歌は「空をそめける」とあっさり締めていて、まだまだ冷たい夜の空気感を残しているように感じる。
36
9
令和五年一月
晩冬
立ちのぼる山のいで湯のゆけぶりに月影かすむ雪の夜かな
朱鷺
実景だろうか? 冬夜の秘湯といった感で、とてもうらやましい体験である。「湯けぶり」という俗っぽい言葉もあるが、これで月影が霞むとあり和歌の型が守られている。いはば雅俗のハイブリッドであり、このような歌こそ現代に望ましい一首である。作者も楽しみながら和歌をよむ域に達したのでないだろうか。
「立ちのぼる山のいで湯のゆけぶりに月影かすむ雪の夜かな」
判者評:実景だろうか? 冬夜の秘湯といった感で、とてもうらやましい体験である。「湯けぶり」という俗っぽい言葉もあるが、これで月影が霞むとあり和歌の型が守られている。いはば雅俗のハイブリッドであり、このような歌こそ現代に望ましい一首である。作者も楽しみながら和歌をよむ域に達したのでないだろうか。
52
9
令和四年十二月
年暮
ゆく年を急ぐ山辺の道たえてあとかたもなく雪ぞふりつむ
朱鷺
典型的な深山辺の冬の景、とてつもない豪雪が思いやられる。しかし「ゆく年を急ぐ」が取ってつけたように聞こえる、例えば「来し方を帰る」などとして冬の景にまとめたい。
「ゆく年を急ぐ山辺の道たえてあとかたもなく雪ぞふりつむ」
判者評:典型的な深山辺の冬の景、とてつもない豪雪が思いやられる。しかし「ゆく年を急ぐ」が取ってつけたように聞こえる、例えば「来し方を帰る」などとして冬の景にまとめたい。
76
9
令和四年十一月
初冬
空さゆる冬の朝の笹の葉になほ消えあへずこほる霜かな
朱鷺
凍てつく冬の朝の景、趣向が美しい。霜はすでに凍っているので結句は「残る霜」とした方がいい
「空さゆる冬の朝の笹の葉になほ消えあへずこほる霜かな」
判者評:凍てつく冬の朝の景、趣向が美しい。霜はすでに凍っているので結句は「残る霜」とした方がいい
90
9
令和四年十月
晩秋
夜を寒み人の恋しくなりぬれど色かはりゆく秋はかなしき
朱鷺
夜が寒いので人恋しくなるが、冷淡にも色あせてゆく秋は悲しい。自分に寄り添ってくれない「秋」という季節への無常感だが、上下の続けがらと「飽き」という言葉も響いて、むなしき恋心をうまく想起させている。
「夜を寒み人の恋しくなりぬれど色かはりゆく秋はかなしき」
判者評:夜が寒いので人恋しくなるが、冷淡にも色あせてゆく秋は悲しい。自分に寄り添ってくれない「秋」という季節への無常感だが、上下の続けがらと「飽き」という言葉も響いて、むなしき恋心をうまく想起させている。
106
9
令和四年九月
仲秋
宮城野の萩に置きたる白露にはかなく宿る秋の月かな
朱鷺
詞、心の両面から王朝和歌をみごとに捉えており、初心者を脱している。「萩の露」と「露に宿る月」は古典的な風景ではあるが、これらが関連しあって歌に物語を生んでいる。つまり「はかなく」は言わなくても醸成されているので「一夜ばかりの月ぞ宿れる」など工夫の余地がある。
「宮城野の萩に置きたる白露にはかなく宿る秋の月かな」
判者評:詞、心の両面から王朝和歌をみごとに捉えており、初心者を脱している。「萩の露」と「露に宿る月」は古典的な風景ではあるが、これらが関連しあって歌に物語を生んでいる。つまり「はかなく」は言わなくても醸成されているので「一夜ばかりの月ぞ宿れる」など工夫の余地がある。
130
9
令和四年八月
初秋
ひさかたの天の河原に波立ちてわが待つ君の舟ぞ近づく
朱鷺
七夕伝説の世界を素直に詠んだ歌、申し分ない。ただこの風景にある「波立つ」はなくても成立する。 あえて入れるのなら「不安な心」などの暗示にするか、「立秋」を踏まえて秋の縁語的に構成した方がよい。例えば…「秋くれば天の河原に波立ちてわか待つ君の舟も近づく」
「ひさかたの天の河原に波立ちてわが待つ君の舟ぞ近づく」
判者評:七夕伝説の世界を素直に詠んだ歌、申し分ない。ただこの風景にある「波立つ」はなくても成立する。 あえて入れるのなら「不安な心」などの暗示にするか、「立秋」を踏まえて秋の縁語的に構成した方がよい。例えば…「秋くれば天の河原に波立ちてわか待つ君の舟も近づく」
135
9
令和四年七月
盛夏
鳴る神のとどろきし空しづまれば風ぞ涼しき夕立のあと
朱鷺
一群の夕立と夕暮れ、しづまる「音」と涼しき「温度」とが対照された写生的であり技巧的な歌。「とどろきし」はすでに過去の事象となっており、「しづまる」のは必然的、また上の句で夕立が描かれており、結句で再び「夕立のあと」と出してくる必要がない。これらを直すとすれば…『鳴る神のとどろく空はしづまりてやがて涼しき夕暮れの風』
「鳴る神のとどろきし空しづまれば風ぞ涼しき夕立のあと」
判者評:一群の夕立と夕暮れ、しづまる「音」と涼しき「温度」とが対照された写生的であり技巧的な歌。「とどろきし」はすでに過去の事象となっており、「しづまる」のは必然的、また上の句で夕立が描かれており、結句で再び「夕立のあと」と出してくる必要がない。これらを直すとすれば…『鳴る神のとどろく空はしづまりてやがて涼しき夕暮れの風』
152
9
令和四年六月
雨
五月雨の夜に鳴きわたるほととぎす声ふるはせて誰を恋ふらむ
朱鷺
型に忠実な歌。ほととぎすとは詠み人の暗喩ともいえる。すべてそぎ落とされて個性はないが、耳に心地よい。まずはこのように詠めるようになりたい。
「五月雨の夜に鳴きわたるほととぎす声ふるはせて誰を恋ふらむ」
判者評:型に忠実な歌。ほととぎすとは詠み人の暗喩ともいえる。すべてそぎ落とされて個性はないが、耳に心地よい。まずはこのように詠めるようになりたい。