閑遊の詠草

18
8
令和五年二月
梅が香や春はきぬれどこぬ人を待てる心の雪は消ゆまじ
閑遊
こちらも「梅の宿ぼ主」を想起させる歌。しかしここでは相手は来ず、恨み言を歌にこめる。「梅」と「雪」が白色で連想が繋がるとしても、この歌では意味合いが弱い。季節は少々ずれるが、例えば「花ぞ散る春は暮れてもこぬ人を待てる心の雪は消ゆまじ」

38
8
令和五年一月
晩冬
冴えこほる天つ空より舞ひ散れる色なき野辺を染むる白雪
閑遊
「天つ空」「舞ひ」から僧正遍照の舞姫を連想させる、それが「色なき野辺そ染むる」と古典でありそうでない美しい風景を詠んでいる。発想抜群で言うことはない、あえて突っ込んでみると雪の連体修飾語が三つ「舞ひ」「散る」「染むる」あるのは冗長かもしれない。例えば「ひさかたの天つ空より舞ひ渡る白雪にいま野辺ぞ染まるる」。

「冴えこほる天つ空より舞ひ散れる色なき野辺を染むる白雪」

判者評:「天つ空」「舞ひ」から僧正遍照の舞姫を連想させる、それが「色なき野辺そ染むる」と古典でありそうでない美しい風景を詠んでいる。発想抜群で言うことはない、あえて突っ込んでみると雪の連体修飾語が三つ「舞ひ」「散る」「染むる」あるのは冗長かもしれない。例えば「ひさかたの天つ空より舞ひ渡る白雪にいま野辺ぞ染まるる」。

59
8
令和四年十二月
小夜中に雨は雪へと変はりなむ恋ひしき君の来たるものかは
閑遊
80年代に一世を風靡した某クリスマスソングのオマージュ、このように歌にされるととても和歌らしい情景だったことがわかる。ただ某歌の本歌取りとするには、歌詞のなぞらえではなく発展が望まれる。例えば「叶わなぬと思へどつらし冬の夜の雨は雪へといま変はりゆく」など。

「小夜中に雨は雪へと変はりなむ恋ひしき君の来たるものかは」

判者評:80年代に一世を風靡した某クリスマスソングのオマージュ、このように歌にされるととても和歌らしい情景だったことがわかる。ただ某歌の本歌取りとするには、歌詞のなぞらえではなく発展が望まれる。例えば「叶わなぬと思へどつらし冬の夜の雨は雪へといま変はりゆく」など。

71
8
令和四年十一月
初冬
思ひ寝の宵にそぼふる小夜時雨ひとりの庵ぞさえまさりける
閑遊
寂しき冬の一人寝、孤独の情が極まっている。上の句で寒の景は十分あらわれているので、結句は「わびしかりける」など人情をいれたい。

「思ひ寝の宵にそぼふる小夜時雨ひとりの庵ぞさえまさりける」

判者評:寂しき冬の一人寝、孤独の情が極まっている。上の句で寒の景は十分あらわれているので、結句は「わびしかりける」など人情をいれたい。

91
8
令和四年十月
晩秋
雲の間をうつろふ月の影を追ひ夜もすがらただ君を恋ひわぶ
閑遊
「月」に重ねた「待恋」の歌、ただ題「晩秋(十三夜)」からは遠いか。直すところはないが、「ただ」が少々説明くさいか。例えば入れ替えて「君を恋わぶ秋の夜かな」とか。

「雲の間をうつろふ月の影を追ひ夜もすがらただ君を恋ひわぶ」

判者評:「月」に重ねた「待恋」の歌、ただ題「晩秋(十三夜)」からは遠いか。直すところはないが、「ただ」が少々説明くさいか。例えば入れ替えて「君を恋わぶ秋の夜かな」とか。

108
8
令和四年九月
仲秋
穂に出づるしのぶの乱れ秋風にゆるぎてまどふ花すすきかな
閑遊
「忍ぶ恋」を「薄の穂」に見出した、これも古典的な景物や詞を使いながら新規の歌。ただ「穂に出でるしのぶ模様」は個人的にすんなりイメージできない。また、秋風が吹いて花薄が揺らいでまようように… 花薄にみえる乱れ模様… ということで、「しのぶの乱れ」と「ゆるぎてまどふ」という心情がたぶっていて歌がぼやけている。上の句を序詞として明確にすると…「秋風にしおれし薄の穂に出でてゆるぎまどへる我がこころかな」

「穂に出づるしのぶの乱れ秋風にゆるぎてまどふ花すすきかな」

判者評:「忍ぶ恋」を「薄の穂」に見出した、これも古典的な景物や詞を使いながら新規の歌。ただ「穂に出でるしのぶ模様」は個人的にすんなりイメージできない。また、秋風が吹いて花薄が揺らいでまようように… 花薄にみえる乱れ模様… ということで、「しのぶの乱れ」と「ゆるぎてまどふ」という心情がたぶっていて歌がぼやけている。上の句を序詞として明確にすると…「秋風にしおれし薄の穂に出でてゆるぎまどへる我がこころかな」

120
8
令和四年八月
初秋
秋きぬと告げさる風の吹きゆけばしのぶ心の花もうつろふ
閑遊
「立秋」の歌であるはずが、あきらかに失恋の歌となっている。ただ秋の歌で「花」だけでは不親切で、たとえば「萩の花」として「まだきうつろふ」などとすれば風景と心情が違和感なく両立する。

「秋きぬと告げさる風の吹きゆけばしのぶ心の花もうつろふ」

判者評:「立秋」の歌であるはずが、あきらかに失恋の歌となっている。ただ秋の歌で「花」だけでは不親切で、たとえば「萩の花」として「まだきうつろふ」などとすれば風景と心情が違和感なく両立する。

124
8
令和四年八月
初秋
秋風は入りつ日とあひ交らひて野辺を茜に染めわたりけむ
閑遊
秋風と夕日が交わって野辺を染め渡るという、素敵な着想。結句であえて過去「けむ」にするより詠嘆の「けり」が適当ではないか。まあ秋風は「白」(白秋)という伝統的発想を考慮してしまうと、茜色が弱くなってしまう(あまり気にしていいが)。

「秋風は入りつ日とあひ交らひて野辺を茜に染めわたりけむ」

判者評:秋風と夕日が交わって野辺を染め渡るという、素敵な着想。結句であえて過去「けむ」にするより詠嘆の「けり」が適当ではないか。まあ秋風は「白」(白秋)という伝統的発想を考慮してしまうと、茜色が弱くなってしまう(あまり気にしていいが)。

140
8
令和四年七月
盛夏
ひぐらしの声の澄みたる風を浴み時を忘るる野辺の夕映え
閑遊
疑問のひとつもない良い歌。めずらしくない風景かもしれないが、風を「浴む(あむ)」というところに一首の眼目があり優れた歌にしている。

「ひぐらしの声の澄みたる風を浴み時を忘るる野辺の夕映え」

判者評:疑問のひとつもない良い歌。めずらしくない風景かもしれないが、風を「浴む(あむ)」というところに一首の眼目があり優れた歌にしている。

141
8
令和四年七月
盛夏
波寄する浦わに生ふるひとつ松いにしへびとを恋しかるらむ
閑遊
松は永遠だが、それはみずからは孤独であることを意味する。この歌も、自分以外はだれもいなくなってしまったこの世に、昔の人の思い出だけにすがって生きながらえている無残なさまが詠まれている。「恋しかるらむ(恋しいのだろうか)」では意味が通らない。「思ひわたりて」などとして、上の句も「浦わに廃る」とすればいい。

「波寄する浦わに生ふるひとつ松いにしへびとを恋しかるらむ」

判者評:松は永遠だが、それはみずからは孤独であることを意味する。この歌も、自分以外はだれもいなくなってしまったこの世に、昔の人の思い出だけにすがって生きながらえている無残なさまが詠まれている。「恋しかるらむ(恋しいのだろうか)」では意味が通らない。「思ひわたりて」などとして、上の句も「浦わに廃る」とすればいい。

163
8
令和四年五月
立夏
こもれびに青き薫りの風立ちぬ桜の衣変はりけるかな
閑遊
こちらも更衣の歌。「木漏れ日」も「青き薫り(薫風)」といった言葉は雰囲気はあるが一方で具体性に欠け、安っぽくなってしまう。また立夏に「桜の衣」はあわせづらい。晩春の歌として「桜色の衣の裾を吹き返す風は緑になりにけるかな」

「こもれびに青き薫りの風立ちぬ桜の衣変はりけるかな」

判者評:こちらも更衣の歌。「木漏れ日」も「青き薫り(薫風)」といった言葉は雰囲気はあるが一方で具体性に欠け、安っぽくなってしまう。また立夏に「桜の衣」はあわせづらい。晩春の歌として「桜色の衣の裾を吹き返す風は緑になりにけるかな」

187
8
令和四年四月
三月尽
想へども逢ひ見ることのなきままに花散る風に春も消ゆらむ
閑遊
意味もわかりやすく、いい恋の歌。「春も」と暗示させるのではなく、ダイレクトに「恋」もにしたほうがいい。

「想へども逢ひ見ることのなきままに花散る風に春も消ゆらむ」

判者評:意味もわかりやすく、いい恋の歌。「春も」と暗示させるのではなく、ダイレクトに「恋」もにしたほうがいい。

199
8
令和四年三月
春興
梅が香も色も去年とは変はらねどうつろふこころ我のみぞ知る
閑遊
貫之の「人はいさ」の抒情。しかしそれが主との交流で生まれたのに対し、この歌では我のみぞと内省に終わっている。どういう真理で詠んだものか、悟りか。四句と五句に助詞がなく言葉足らず、「心変わりは」なととしたい。

215
8
令和四年二月
立春
春立つと聞くも残れる白雪に忍ぶ下もえ心もとなし
閑遊
「心もとなし(落ち着かない、気がかりだ)」、「忍ぶ」「下萌え」とは見せてはならぬ恋心だが、匂わせるに終わっていてどっちつかず中途半端、はっきりと序詞としたい。例えば…「いかがせむ雪間に閉じしわが恋の春立つ今日は萌えて出づらむ」

231
8
令和四年一月
冬、年明く
寂しさにたへたる人も来しかたの冬を偲びて雪眺むらむ
閑遊
冬の隠者の風景、人は待たなくても、次の季節を待ちわびる。実際に雪国の孤独とはこういうものだろう。

「寂しさにたへたる人も来しかたの冬を偲びて雪眺むらむ」

判者評:冬の隠者の風景、人は待たなくても、次の季節を待ちわびる。実際に雪国の孤独とはこういうものだろう。

240
8
令和三年十二月
立冬
冬枯れてまことのなりぞ見ゆるかな花も照り葉も無き桜木の
閑遊
枯れ木の風情に感じ入る歌はあるが、この歌は王様の裸、幽霊の正体得たりと言った感じ。

「冬枯れてまことのなりぞ見ゆるかな花も照り葉も無き桜木の」

判者評:枯れ木の風情に感じ入る歌はあるが、この歌は王様の裸、幽霊の正体得たりと言った感じ。

252
8
令和三年十一月
九月尽
末枯れる野辺をうるほす秋時雨消えゆく色をしばしとどめむ
閑遊
「末枯るる」となる。自分が時雨ではないので、「しばしとどめよ」と命令形がいいのでは

253
8
令和三年十一月
九月尽
澄み渡る高き空のみ仰ぎ見てひとり残るる木守柿かな
閑遊
面白い歌。和歌で「柿」は詠まれないが、和歌的声調のある見事な「ただごと歌」だ。

263
8
令和三年十月
秋の風景
夕暮れの茜の色は山の端に眺む間もなく溶けて消え入る
閑遊
初句に夕暮れをもってきたのはいい。「ながむ」は物思いに耽るという意味をもってしまう、「とどむ」くらいでいい。結句は「消えぬる」が適当か

「夕暮れの茜の色は山の端に眺む間もなく溶けて消え入る」

判者評:初句に夕暮れをもってきたのはいい。「ながむ」は物思いに耽るという意味をもってしまう、「とどむ」くらいでいい。結句は「消えぬる」が適当か

264
8
令和三年十月
秋の風景
秋風に揺れる名残の夏の花儚き色のいとほしきかな
閑遊
夏の花の具体的な景物が示されておらず抽象的。上句の「の」続きと、三句体言止めと四句目の「の」とありリズムが悪い。また「名残の夏の花」とあり「儚き色」は言い過ぎ。下句を「こころゆくまで見るよしもがな」などしてはどうか

「秋風に揺れる名残の夏の花儚き色のいとほしきかな」

判者評:夏の花の具体的な景物が示されておらず抽象的。上句の「の」続きと、三句体言止めと四句目の「の」とありリズムが悪い。また「名残の夏の花」とあり「儚き色」は言い過ぎ。下句を「こころゆくまで見るよしもがな」などしてはどうか

269
8
令和三年九月
小夜ふけて虫の音聞かばまなうらに月影のさす野辺見ゆるかな
閑遊

275
8
令和三年九月
初秋
秋くれば冷たき風のいたづらにいつしか咲きぬ恋忘草
閑遊

277
8
令和三年九月
初秋
野辺に咲く秋草の花夕ざりの風にそよぎて涼しかりけり
閑遊

283
8
令和三年八月
たそがれの空に聞こゆる夕蝉の声運ぶ風涼しかりけり
閑遊

288
8
令和三年八月
七夕
天の河星の逢瀬を喜ばむ恋し月影偲びながらも
閑遊

294
8
令和三年七月
大空を風のまにまにゆるゆると行方も知らぬ白雲の舟
閑遊

298
8
令和三年七月
漂えど沈まずといふ心知る君こぐ舟は凪をよぶらむ
閑遊