閑遊の詠草

9
8
令和六年一月
初逢恋
やうやくに逢ひ見し君の長閑なる春のごとしや冬のもなかに
閑遊
ようやく逢瀬を遂げたあなたは、まるで長閑な春のような人だ。この冬の最中に。恋人かそれとも逢瀬の時間か、作者にはこの機会が冬にあって春を感じた。幸福の根本には「暖かさ」があるのだろう。下の句には倒置の工夫がある。古語で「やうやく」は「だんだんと」の意味が強い、「辛くして」が直接的な言い換えだが、歌にする際には「時をへて」などがふさわしい。

42
8
令和五年十二月
不遇恋
逢ひ見るを夏の夜空に祈りしも想ひつつはや雪降りにけり
閑遊
逢える日を夏の夜空に祈りつづけて、もはや雪が降るまでになった。祈るしかない待つ女の苦悩の歌、しかし星と雪とが美しい情景を描いて幻想的にしている。「逢ひ見る」は「逢い見む」がふさわしく、夜空に逢瀬を祈るのは「牽牛・織女」だろうか、であれば「秋の夜空」がふさわしいだろう。また「祈り」と「想い」は重複表現といえる。よって「逢ひ見むを秋の夜空に祈れるも雲晴れぬまま雪ぞふりける」

「逢ひ見るを夏の夜空に祈りしも想ひつつはや雪降りにけり」

判者評:逢える日を夏の夜空に祈りつづけて、もはや雪が降るまでになった。祈るしかない待つ女の苦悩の歌、しかし星と雪とが美しい情景を描いて幻想的にしている。「逢ひ見る」は「逢い見む」がふさわしく、夜空に逢瀬を祈るのは「牽牛・織女」だろうか、であれば「秋の夜空」がふさわしいだろう。また「祈り」と「想い」は重複表現といえる。よって「逢ひ見むを秋の夜空に祈れるも雲晴れぬまま雪ぞふりける」

96
8
令和五年十一月
忍恋
したもひを告げし今宵の望月を彼方の君もふと眺めなむ
閑遊
下思ひを告げた今夜の満月を、ずっとあちらにいる君もふと眺めていてほしい。こちらも前後の物語を感じさせる歌である。満月の夜、かねてよりの思いをようやく告げることができた。ここで月は互いの象徴であり、これを眺めるとは相手を思うということである。結句は「なむ」は願望の方が抒情が増すだろう。ただ題「忍恋」に適ってない、でもいい歌である。

「したもひを告げし今宵の望月を彼方の君もふと眺めなむ」

判者評:下思ひを告げた今夜の満月を、ずっとあちらにいる君もふと眺めていてほしい。こちらも前後の物語を感じさせる歌である。満月の夜、かねてよりの思いをようやく告げることができた。ここで月は互いの象徴であり、これを眺めるとは相手を思うということである。結句は「なむ」は願望の方が抒情が増すだろう。ただ題「忍恋」に適ってない、でもいい歌である。

174
8
令和五年十月
初恋
ゆく先の見えぬ思ひの川なれど逢ふ瀬のあらば流れてしがな
閑遊
ゆく先の見えない思いの川だけど、もし逢瀬があれば流れていきましょう。逢瀬から連想を広げ、ゆく先の見えない恋を川に喩えた巧みな歌。小野小町と文屋康秀の贈答に「わびぬれば身を浮き草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」があり、「逢瀬のあれば流れてしがな」は女の心ともいえる。なので「逢瀬をたのみ流れゆくかな」となどしたい。

「ゆく先の見えぬ思ひの川なれど逢ふ瀬のあらば流れてしがな」

判者評:ゆく先の見えない思いの川だけど、もし逢瀬があれば流れていきましょう。逢瀬から連想を広げ、ゆく先の見えない恋を川に喩えた巧みな歌。小野小町と文屋康秀の贈答に「わびぬれば身を浮き草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」があり、「逢瀬のあれば流れてしがな」は女の心ともいえる。なので「逢瀬をたのみ流れゆくかな」となどしたい。

192
8
令和五年九月
待恋
まつ人のちぎりも秋にうつろひて時のまにまに消ゆる恋かも
閑遊

「まつ人のちぎりも秋にうつろひて時のまにまに消ゆる恋かも」

判者評:

211
8
令和五年九月
恋わびて寝(い)ねかてにする秋の夜の思ひなぐさむ望月の影
閑遊

「恋わびて寝(い)ねかてにする秋の夜の思ひなぐさむ望月の影」

判者評:

238
8
令和五年八月
秋風・恋
おのづから夜離るる君の心にぞとうに立ちけむ秋の初風
閑遊
しぜんと夜離れていったあなたの心には、とっくに立っていたのだ秋の初風よ。「あき」に「飽き」を掛ける常套的な恋の歌、これを立秋の初風で組み立てたところが巧い。

262
8
令和五年七月
六月尽
入り日さす千鳥のこゑのわたる野の涼しき風に老ゆる夏かな
閑遊
夕日がさす千鳥の声が鳴き渡る野の涼しき風に、暮れてゆく夏に思いいる。涼しくなってきた風に秋を感じ、夏の終わりを思う、これを「老ゆる夏」としたのが作者の力量である。和歌で「千鳥」は冬の主に浜辺の風景に合わせられるが、これは作者の体験であろう。ただ「野」に合わせるのは「入日」か「千鳥」どちらかに集中した方がより風景が際立つ。たとえば、「入日さし浮かぶ枯れ野を吹きわたる涼しき風に老ゆる夏かな」

「入り日さす千鳥のこゑのわたる野の涼しき風に老ゆる夏かな」

判者評:夕日がさす千鳥の声が鳴き渡る野の涼しき風に、暮れてゆく夏に思いいる。涼しくなってきた風に秋を感じ、夏の終わりを思う、これを「老ゆる夏」としたのが作者の力量である。和歌で「千鳥」は冬の主に浜辺の風景に合わせられるが、これは作者の体験であろう。ただ「野」に合わせるのは「入日」か「千鳥」どちらかに集中した方がより風景が際立つ。たとえば、「入日さし浮かぶ枯れ野を吹きわたる涼しき風に老ゆる夏かな」

298
8
令和五年六月
五月雨
逢ひみてののちこそまさる寂しさをやがて消さなむ夜半の五月雨
閑遊
敦忠の「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」を念頭に置き、和歌的な恋歌を見事に詠んでいる。ただ和歌世界での別れは明け方なので、夜半の五月雨に寂しさを消してというのは違和感がある。五月雨が寂しさを消すというのも説明が足りない。たとえば「五月雨の音を今宵の友とせば一人待つ夜も寂しからずや」とか。

323
8
令和五年五月
青葉
風そよぐ清き青葉をみてもなほ散りぬる花を恋ふる我かな
閑遊
夏の青葉、それは清々しくもあるが、はやり春の花が思い起こされる。春を思慕する哀切の歌。「そよぐ」のは「清き青葉」であるから、正しくは「風にそよぐ」とすべし。結句「我かな」が取ってつけたよう。例えば「清らなる青葉ぞそよぐ枝みてもたつことかたき花の思ひで」

「風そよぐ清き青葉をみてもなほ散りぬる花を恋ふる我かな」

判者評:夏の青葉、それは清々しくもあるが、はやり春の花が思い起こされる。春を思慕する哀切の歌。「そよぐ」のは「清き青葉」であるから、正しくは「風にそよぐ」とすべし。結句「我かな」が取ってつけたよう。例えば「清らなる青葉ぞそよぐ枝みてもたつことかたき花の思ひで」

339
8
令和五年四月
暮春
八千草のゑみたる花もうつろひて野の色に知る春のかぎりを
閑遊
野に咲く春の花々、その色の移ろいに春の終わりを知る。実景も感じられる情趣深い一首。難があるとしたら「ゑみたる花」、和歌ではこのような抽象的な形容は使いにくい。たとえば「うすくこき百の花園~」(※作者より、「八千草」とは秋の季語とのこと)

359
8
令和五年三月
木の末(このぬれ)になごりを残し散る花はいざなふ風に舞ひてたゆたふ
閑遊
美しい言葉の抒情、これぞ歌の響きというものを感じさせる。結句がとってつけたようでもったいない。たとえば、「木の末を惜しみつるかな桜花いざなふ風にあらそひにけり」

「木の末(このぬれ)になごりを残し散る花はいざなふ風に舞ひてたゆたふ」

判者評:美しい言葉の抒情、これぞ歌の響きというものを感じさせる。結句がとってつけたようでもったいない。たとえば、「木の末を惜しみつるかな桜花いざなふ風にあらそひにけり」

390
8
令和五年二月
梅が香や春はきぬれどこぬ人を待てる心の雪は消ゆまじ
閑遊
こちらも「梅の宿ぼ主」を想起させる歌。しかしここでは相手は来ず、恨み言を歌にこめる。「梅」と「雪」が白色で連想が繋がるとしても、この歌では意味合いが弱い。季節は少々ずれるが、例えば「花ぞ散る春は暮れてもこぬ人を待てる心の雪は消ゆまじ」

410
8
令和五年一月
晩冬
冴えこほる天つ空より舞ひ散れる色なき野辺を染むる白雪
閑遊
「天つ空」「舞ひ」から僧正遍照の舞姫を連想させる、それが「色なき野辺そ染むる」と古典でありそうでない美しい風景を詠んでいる。発想抜群で言うことはない、あえて突っ込んでみると雪の連体修飾語が三つ「舞ひ」「散る」「染むる」あるのは冗長かもしれない。例えば「ひさかたの天つ空より舞ひ渡る白雪にいま野辺ぞ染まるる」。

「冴えこほる天つ空より舞ひ散れる色なき野辺を染むる白雪」

判者評:「天つ空」「舞ひ」から僧正遍照の舞姫を連想させる、それが「色なき野辺そ染むる」と古典でありそうでない美しい風景を詠んでいる。発想抜群で言うことはない、あえて突っ込んでみると雪の連体修飾語が三つ「舞ひ」「散る」「染むる」あるのは冗長かもしれない。例えば「ひさかたの天つ空より舞ひ渡る白雪にいま野辺ぞ染まるる」。

431
8
令和四年十二月
小夜中に雨は雪へと変はりなむ恋ひしき君の来たるものかは
閑遊
80年代に一世を風靡した某クリスマスソングのオマージュ、このように歌にされるととても和歌らしい情景だったことがわかる。ただ某歌の本歌取りとするには、歌詞のなぞらえではなく発展が望まれる。例えば「叶わなぬと思へどつらし冬の夜の雨は雪へといま変はりゆく」など。

「小夜中に雨は雪へと変はりなむ恋ひしき君の来たるものかは」

判者評:80年代に一世を風靡した某クリスマスソングのオマージュ、このように歌にされるととても和歌らしい情景だったことがわかる。ただ某歌の本歌取りとするには、歌詞のなぞらえではなく発展が望まれる。例えば「叶わなぬと思へどつらし冬の夜の雨は雪へといま変はりゆく」など。

443
8
令和四年十一月
初冬
思ひ寝の宵にそぼふる小夜時雨ひとりの庵ぞさえまさりける
閑遊
寂しき冬の一人寝、孤独の情が極まっている。上の句で寒の景は十分あらわれているので、結句は「わびしかりける」など人情をいれたい。

「思ひ寝の宵にそぼふる小夜時雨ひとりの庵ぞさえまさりける」

判者評:寂しき冬の一人寝、孤独の情が極まっている。上の句で寒の景は十分あらわれているので、結句は「わびしかりける」など人情をいれたい。

463
8
令和四年十月
晩秋
雲の間をうつろふ月の影を追ひ夜もすがらただ君を恋ひわぶ
閑遊
「月」に重ねた「待恋」の歌、ただ題「晩秋(十三夜)」からは遠いか。直すところはないが、「ただ」が少々説明くさいか。例えば入れ替えて「君を恋わぶ秋の夜かな」とか。

480
8
令和四年九月
仲秋
穂に出づるしのぶの乱れ秋風にゆるぎてまどふ花すすきかな
閑遊
「忍ぶ恋」を「薄の穂」に見出した、これも古典的な景物や詞を使いながら新規の歌。ただ「穂に出でるしのぶ模様」は個人的にすんなりイメージできない。また、秋風が吹いて花薄が揺らいでまようように… 花薄にみえる乱れ模様… ということで、「しのぶの乱れ」と「ゆるぎてまどふ」という心情がたぶっていて歌がぼやけている。上の句を序詞として明確にすると…「秋風にしおれし薄の穂に出でてゆるぎまどへる我がこころかな」

492
8
令和四年八月
初秋
秋きぬと告げさる風の吹きゆけばしのぶ心の花もうつろふ
閑遊
「立秋」の歌であるはずが、あきらかに失恋の歌となっている。ただ秋の歌で「花」だけでは不親切で、たとえば「萩の花」として「まだきうつろふ」などとすれば風景と心情が違和感なく両立する。

「秋きぬと告げさる風の吹きゆけばしのぶ心の花もうつろふ」

判者評:「立秋」の歌であるはずが、あきらかに失恋の歌となっている。ただ秋の歌で「花」だけでは不親切で、たとえば「萩の花」として「まだきうつろふ」などとすれば風景と心情が違和感なく両立する。

496
8
令和四年八月
初秋
秋風は入りつ日とあひ交らひて野辺を茜に染めわたりけむ
閑遊
秋風と夕日が交わって野辺を染め渡るという、素敵な着想。結句であえて過去「けむ」にするより詠嘆の「けり」が適当ではないか。まあ秋風は「白」(白秋)という伝統的発想を考慮してしまうと、茜色が弱くなってしまう(あまり気にしていいが)。

「秋風は入りつ日とあひ交らひて野辺を茜に染めわたりけむ」

判者評:秋風と夕日が交わって野辺を染め渡るという、素敵な着想。結句であえて過去「けむ」にするより詠嘆の「けり」が適当ではないか。まあ秋風は「白」(白秋)という伝統的発想を考慮してしまうと、茜色が弱くなってしまう(あまり気にしていいが)。

512
8
令和四年七月
盛夏
ひぐらしの声の澄みたる風を浴み時を忘るる野辺の夕映え
閑遊
疑問のひとつもない良い歌。めずらしくない風景かもしれないが、風を「浴む(あむ)」というところに一首の眼目があり優れた歌にしている。

513
8
令和四年七月
盛夏
波寄する浦わに生ふるひとつ松いにしへびとを恋しかるらむ
閑遊
松は永遠だが、それはみずからは孤独であることを意味する。この歌も、自分以外はだれもいなくなってしまったこの世に、昔の人の思い出だけにすがって生きながらえている無残なさまが詠まれている。「恋しかるらむ(恋しいのだろうか)」では意味が通らない。「思ひわたりて」などとして、上の句も「浦わに廃る」とすればいい。

535
8
令和四年五月
立夏
こもれびに青き薫りの風立ちぬ桜の衣変はりけるかな
閑遊
こちらも更衣の歌。「木漏れ日」も「青き薫り(薫風)」といった言葉は雰囲気はあるが一方で具体性に欠け、安っぽくなってしまう。また立夏に「桜の衣」はあわせづらい。晩春の歌として「桜色の衣の裾を吹き返す風は緑になりにけるかな」

559
8
令和四年四月
三月尽
想へども逢ひ見ることのなきままに花散る風に春も消ゆらむ
閑遊
意味もわかりやすく、いい恋の歌。「春も」と暗示させるのではなく、ダイレクトに「恋」もにしたほうがいい。

571
8
令和四年三月
春興
梅が香も色も去年とは変はらねどうつろふこころ我のみぞ知る
閑遊
貫之の「人はいさ」の抒情。しかしそれが主との交流で生まれたのに対し、この歌では我のみぞと内省に終わっている。どういう真理で詠んだものか、悟りか。四句と五句に助詞がなく言葉足らず、「心変わりは」なととしたい。

587
8
令和四年二月
立春
春立つと聞くも残れる白雪に忍ぶ下もえ心もとなし
閑遊
「心もとなし(落ち着かない、気がかりだ)」、「忍ぶ」「下萌え」とは見せてはならぬ恋心だが、匂わせるに終わっていてどっちつかず中途半端、はっきりと序詞としたい。例えば…「いかがせむ雪間に閉じしわが恋の春立つ今日は萌えて出づらむ」

603
8
令和四年一月
冬、年明く
寂しさにたへたる人も来しかたの冬を偲びて雪眺むらむ
閑遊
冬の隠者の風景、人は待たなくても、次の季節を待ちわびる。実際に雪国の孤独とはこういうものだろう。

612
8
令和三年十二月
立冬
冬枯れてまことのなりぞ見ゆるかな花も照り葉も無き桜木の
閑遊
枯れ木の風情に感じ入る歌はあるが、この歌は王様の裸、幽霊の正体得たりと言った感じ。

624
8
令和三年十一月
九月尽
末枯れる野辺をうるほす秋時雨消えゆく色をしばしとどめむ
閑遊
「末枯るる」となる。自分が時雨ではないので、「しばしとどめよ」と命令形がいいのでは

625
8
令和三年十一月
九月尽
澄み渡る高き空のみ仰ぎ見てひとり残るる木守柿かな
閑遊
面白い歌。和歌で「柿」は詠まれないが、和歌的声調のある見事な「ただごと歌」だ。

635
8
令和三年十月
秋の風景
夕暮れの茜の色は山の端に眺む間もなく溶けて消え入る
閑遊
初句に夕暮れをもってきたのはいい。「ながむ」は物思いに耽るという意味をもってしまう、「とどむ」くらいでいい。結句は「消えぬる」が適当か

636
8
令和三年十月
秋の風景
秋風に揺れる名残の夏の花儚き色のいとほしきかな
閑遊
夏の花の具体的な景物が示されておらず抽象的。上句の「の」続きと、三句体言止めと四句目の「の」とありリズムが悪い。また「名残の夏の花」とあり「儚き色」は言い過ぎ。下句を「こころゆくまで見るよしもがな」などしてはどうか

641
8
令和三年九月
小夜ふけて虫の音聞かばまなうらに月影のさす野辺見ゆるかな
閑遊

647
8
令和三年九月
初秋
秋くれば冷たき風のいたづらにいつしか咲きぬ恋忘草
閑遊

649
8
令和三年九月
初秋
野辺に咲く秋草の花夕ざりの風にそよぎて涼しかりけり
閑遊

655
8
令和三年八月
たそがれの空に聞こゆる夕蝉の声運ぶ風涼しかりけり
閑遊

660
8
令和三年八月
七夕
天の河星の逢瀬を喜ばむ恋し月影偲びながらも
閑遊

「天の河星の逢瀬を喜ばむ恋し月影偲びながらも」

判者評:

666
8
令和三年七月
大空を風のまにまにゆるゆると行方も知らぬ白雲の舟
閑遊

670
8
令和三年七月
漂えど沈まずといふ心知る君こぐ舟は凪をよぶらむ
閑遊