翔馬の詠草

862
32
令和六年六月
山家郭公
思ひ入るみやまの庵のほととぎす我のみぞきく夜半の初声
翔馬

861
32
令和六年六月
寄草恋
根を絶えてこひぢはなるる浮草もぬれてうき世をのがれやはする
翔馬

791
32
令和六年四月
会不逢恋
忘らるる身をうぐひすのわび声をなべての春と人やきくらむ
翔馬
忘れられて、憂く干ずとなった身をわび声を、すべての春と、あの人は聞くだろうか。虚しくなった身をうぐひす(憂く干ず)に重ねた歌、ここまではよくある作り方かもしれないが、この声を「なべての春」としたところが見事。この歌には深い意味が備わっている。「つれないあの人はこの泣き声を、よくある声だとつれなく聞いているのだろうか(わたしの声=思ひは並ではない)」。抜群の名歌である。

「忘らるる身をうぐひすのわび声をなべての春と人やきくらむ」

判者評:忘れられて、憂く干ずとなった身をわび声を、すべての春と、あの人は聞くだろうか。虚しくなった身をうぐひす(憂く干ず)に重ねた歌、ここまではよくある作り方かもしれないが、この声を「なべての春」としたところが見事。この歌には深い意味が備わっている。「つれないあの人はこの泣き声を、よくある声だとつれなく聞いているのだろうか(わたしの声=思ひは並ではない)」。抜群の名歌である。

754
32
令和六年三月
憚人目恋
くもれかし袖のしがらみせきかねて露の淵瀬をてらす月影
翔馬
曇ってほしい、袖のしがらみを(涙が)せきかねて、露の逢瀬を照らす月影よ。月や闇夜を照らす、人目憚る恋には大敵である、だから曇ってほしい。「袖のしがらみせきかねて露の淵瀬」も趣向は濃厚で、一首が充実している。むしろ手加減してバランスを整えてもいいかもしれない。「くもれかし人目を忍ぶかよひ路をさらぬ(素知らぬ)顔にててらす月影」

「くもれかし袖のしがらみせきかねて露の淵瀬をてらす月影」

判者評:曇ってほしい、袖のしがらみを(涙が)せきかねて、露の逢瀬を照らす月影よ。月や闇夜を照らす、人目憚る恋には大敵である、だから曇ってほしい。「袖のしがらみせきかねて露の淵瀬」も趣向は濃厚で、一首が充実している。むしろ手加減してバランスを整えてもいいかもしれない。「くもれかし人目を忍ぶかよひ路をさらぬ(素知らぬ)顔にててらす月影」

718
32
令和六年二月
夜間梅花
おぼろ月それと真垣をてらさねど木ごとの梅ぞ空にかをれる
翔馬

「おぼろ月それと真垣をてらさねど木ごとの梅ぞ空にかをれる」

判者評:

717
32
令和六年二月
後朝恋
かへるさの跡さへ惜しむすべぞなき又もふりしく雪のあけぼの
翔馬

「かへるさの跡さへ惜しむすべぞなき又もふりしく雪のあけぼの」

判者評:

669
32
令和六年一月
初逢恋
栲縄のながき契りの末も見むこよひ結ぶの神にまかせて
翔馬

668
32
令和六年一月
初逢恋
初花を摘みて染めたる紅の深きあはれにかはす袖かな
翔馬
シンプルであるが深い歌。初花は末摘花(紅花)、それを摘んで染めた深い色ならぬ「あはれ」の袖を交わす、すなわち情交である。美しく静かでありながら、情熱を感じる歌である。ただ結句は結論を急いでいる感じもある、恋心の深さを無理に題(初遇恋)にまとめた印象。題を無視すれば結句を「深きあはれを知る人ぞなき」とか。

616
32
令和五年十二月
不遇恋
いつしかとたのむの雁もとはずして身を知る野辺に秋風ぞ吹く
翔馬
いつかと頼みにした、田面の雁(すなわち手紙)も絶えてしまって、自分の身のほどが知れる野辺に秋風が吹くではないが、飽きられてきたことがわかる。「頼み」と「田面」、「秋」と「飽き」の掛詞、「雁」の暗示、「身を知る野辺」といった常套句の発展など、見どころ満載の歌である。こういった場合技巧に心情が負けてしまう場合が多いが、そうならずに抒情も見事に表現されている。手練れの一首で、作者は歌作りを心底楽しみながら詠んだことだろう。

「いつしかとたのむの雁もとはずして身を知る野辺に秋風ぞ吹く」

判者評:いつかと頼みにした、田面の雁(すなわち手紙)も絶えてしまって、自分の身のほどが知れる野辺に秋風が吹くではないが、飽きられてきたことがわかる。「頼み」と「田面」、「秋」と「飽き」の掛詞、「雁」の暗示、「身を知る野辺」といった常套句の発展など、見どころ満載の歌である。こういった場合技巧に心情が負けてしまう場合が多いが、そうならずに抒情も見事に表現されている。手練れの一首で、作者は歌作りを心底楽しみながら詠んだことだろう。

568
32
令和五年十一月
忍恋
ながめする軒のしのぶにこぼれけりつつむにあまる袖の上の露
翔馬
長雨が降る軒のしのぶ草にこぼれた露は、隠すことができない袖の涙であった。「しのぶ」にはもちろん「忍ぶ」が掛けられている。抜群にうまい歌である。姿・こころともに優にてはべらん。しいていうなら、袖の露が軒の忍にこぼれるのは無理があるか。「つつむにあまる」はいい言葉だ。

497
32
令和五年十月
羇旅
磯菜つむ人影もなし海の原庭ひきはへて五月雨の頃
翔馬

「磯菜つむ人影もなし海の原庭ひきはへて五月雨の頃」

判者評:

496
32
令和五年十月
初恋
今よりは思ひ染川たぎつ瀬につくしはつべき身ともこそなれ
翔馬
今からは思いを染めよう、染川の激流に身をつくしはてても。「染川」は太宰府の歌枕、ここでは「尽くし」と「筑紫」が掛けられている。古歌の知見が高く、また構成も抜群で、手練れの人の一首である。

「今よりは思ひ染川たぎつ瀬につくしはつべき身ともこそなれ」

判者評:今からは思いを染めよう、染川の激流に身をつくしはてても。「染川」は太宰府の歌枕、ここでは「尽くし」と「筑紫」が掛けられている。古歌の知見が高く、また構成も抜群で、手練れの人の一首である。