翔馬の詠草

6
32
令和六年一月
初逢恋
栲縄のながき契りの末も見むこよひ結ぶの神にまかせて
翔馬

7
32
令和六年一月
初逢恋
初花を摘みて染めたる紅の深きあはれにかはす袖かな
翔馬
シンプルであるが深い歌。初花は末摘花(紅花)、それを摘んで染めた深い色ならぬ「あはれ」の袖を交わす、すなわち情交である。美しく静かでありながら、情熱を感じる歌である。ただ結句は結論を急いでいる感じもある、恋心の深さを無理に題(初遇恋)にまとめた印象。題を無視すれば結句を「深きあはれを知る人ぞなき」とか。

59
32
令和五年十二月
不遇恋
いつしかとたのむの雁もとはずして身を知る野辺に秋風ぞ吹く
翔馬
いつかと頼みにした、田面の雁(すなわち手紙)も絶えてしまって、自分の身のほどが知れる野辺に秋風が吹くではないが、飽きられてきたことがわかる。「頼み」と「田面」、「秋」と「飽き」の掛詞、「雁」の暗示、「身を知る野辺」といった常套句の発展など、見どころ満載の歌である。こういった場合技巧に心情が負けてしまう場合が多いが、そうならずに抒情も見事に表現されている。手練れの一首で、作者は歌作りを心底楽しみながら詠んだことだろう。

「いつしかとたのむの雁もとはずして身を知る野辺に秋風ぞ吹く」

判者評:いつかと頼みにした、田面の雁(すなわち手紙)も絶えてしまって、自分の身のほどが知れる野辺に秋風が吹くではないが、飽きられてきたことがわかる。「頼み」と「田面」、「秋」と「飽き」の掛詞、「雁」の暗示、「身を知る野辺」といった常套句の発展など、見どころ満載の歌である。こういった場合技巧に心情が負けてしまう場合が多いが、そうならずに抒情も見事に表現されている。手練れの一首で、作者は歌作りを心底楽しみながら詠んだことだろう。

102
32
令和五年十一月
忍恋
ながめする軒のしのぶにこぼれけりつつむにあまる袖の上の露
翔馬
長雨が降る軒のしのぶ草にこぼれた露は、隠すことができない袖の涙であった。「しのぶ」にはもちろん「忍ぶ」が掛けられている。抜群にうまい歌である。姿・こころともに優にてはべらん。しいていうなら、袖の露が軒の忍にこぼれるのは無理があるか。「つつむにあまる」はいい言葉だ。

「ながめする軒のしのぶにこぼれけりつつむにあまる袖の上の露」

判者評:長雨が降る軒のしのぶ草にこぼれた露は、隠すことができない袖の涙であった。「しのぶ」にはもちろん「忍ぶ」が掛けられている。抜群にうまい歌である。姿・こころともに優にてはべらん。しいていうなら、袖の露が軒の忍にこぼれるのは無理があるか。「つつむにあまる」はいい言葉だ。

175
32
令和五年十月
羇旅
磯菜つむ人影もなし海の原庭ひきはへて五月雨の頃
翔馬

「磯菜つむ人影もなし海の原庭ひきはへて五月雨の頃」

判者評:

176
32
令和五年十月
初恋
今よりは思ひ染川たぎつ瀬につくしはつべき身ともこそなれ
翔馬
今からは思いを染めよう、染川の激流に身をつくしはてても。「染川」は太宰府の歌枕、ここでは「尽くし」と「筑紫」が掛けられている。古歌の知見が高く、また構成も抜群で、手練れの人の一首である。

「今よりは思ひ染川たぎつ瀬につくしはつべき身ともこそなれ」

判者評:今からは思いを染めよう、染川の激流に身をつくしはてても。「染川」は太宰府の歌枕、ここでは「尽くし」と「筑紫」が掛けられている。古歌の知見が高く、また構成も抜群で、手練れの人の一首である。