攝津の詠草

19
3
令和六年一月
釈教
先に墓にきたれる彼の弟子もまた入り、之を見て信ず。
つゆしげき朝いはやにいそげどもむなしきあとぞしるしなりける
攝津
「つゆしげき」:『新約聖書』ヨハネ伝福音書(第廿章・八)

20
3
令和六年一月
釈教
そはキリストの苦難(くるしみ)われらに溢るる如く、我らの慰安(なぐさめ)も亦キリストによりて溢るればなり。
みつしほになきて千鳥のしづむともなぐさの浜のかひぞあるべき
攝津
「みつしほに」:『新約聖書』コリント人への後の書(第一章・五)

21
3
令和六年一月
釈教
加刀杖瓦石、念仏故応忍
ふるさとに衣うちつつ乱れせずしのぶもじずり深くなるらむ
攝津
「ふるさとに」:『法華経』法師品

22
3
令和六年一月
神祇
八雲よりいづもの歌の道とほく末の世までも絶えじとぞ思ふ
攝津

23
3
令和六年一月
白雪ぞつもりわたれる冬の夢を見たるくさ木のふすまなりけり
攝津

24
3
令和六年一月
おく山のこのもとごとの霜ばしら冬のたてたる宮にやあるらむ
攝津

25
3
令和六年一月
初逢恋
さくら花よしのの山をこえて見つ霞ならねど名をや立ちなむ
攝津

67
3
令和五年十二月
羇旅
東路にみやこある代はみやこどり西にゆきてや見るべかるらむ
攝津

「東路にみやこある代はみやこどり西にゆきてや見るべかるらむ」

判者評:

68
3
令和五年十二月
除夜
宿おほふ雪とは消えじ年のうちにつもれるつみを鐘にこそつけ
攝津

「宿おほふ雪とは消えじ年のうちにつもれるつみを鐘にこそつけ」

判者評:

69
3
令和五年十二月
除夜
ゆくすゑはたのもしくとも惜しむかなことしは今日のかぎりなるとは
攝津

「ゆくすゑはたのもしくとも惜しむかなことしは今日のかぎりなるとは」

判者評:

70
3
令和五年十二月
千鳥
川風の寒さになける鳥の名の数よりまされ君がよはひは
攝津

「川風の寒さになける鳥の名の数よりまされ君がよはひは」

判者評:

71
3
令和五年十二月
千鳥
朝霧の衣たちけりあはと見るあはぢの島にむらちどりなく
攝津

「朝霧の衣たちけりあはと見るあはぢの島にむらちどりなく」

判者評:

72
3
令和五年十二月
不遇恋
みちのくにあるてふ野田の玉川のながれてもなほあふよしのなき
攝津

「みちのくにあるてふ野田の玉川のながれてもなほあふよしのなき」

判者評:

115
3
令和五年十一月
羇旅
草まくら夢路にだにもいにしへの都に行きて寝覚めてしがな
攝津

「草まくら夢路にだにもいにしへの都に行きて寝覚めてしがな」

判者評:

116
3
令和五年十一月
初冬
さらさらに人こそとはね我がやどに嵐とともに冬ぞ来にける
攝津

「さらさらに人こそとはね我がやどに嵐とともに冬ぞ来にける」

判者評:

117
3
令和五年十一月
紅葉
ふく風の寒くもあるかくれなゐの錦を着たる秋の山もと
攝津

「ふく風の寒くもあるかくれなゐの錦を着たる秋の山もと」

判者評:

118
3
令和五年十一月
忍恋
山深く木の葉うづみてゆく水のながれな出でそ時雨ふるとも
攝津

「山深く木の葉うづみてゆく水のながれな出でそ時雨ふるとも」

判者評:

147
3
令和五年十月
羇旅
本節「まだ暁より足柄を越ゆ。まいて山の中のおそろしげなることいはむかたなし。雲は足の下に踏まる。」(『更級日記』)
行き行きていたくもたゆき足柄に雲を踏みてはおこたりやせむ
攝津

「行き行きていたくもたゆき足柄に雲を踏みてはおこたりやせむ」

判者評:

148
3
令和五年十月
霜おきてうつろひやすき菊の花めぐる月にしよそへてぞ見る
攝津

「霜おきてうつろひやすき菊の花めぐる月にしよそへてぞ見る」

判者評:

149
3
令和五年十月
入り日さす山の端ちかくかげ見えて友よびわたるかりがねぞなく
攝津

「入り日さす山の端ちかくかげ見えて友よびわたるかりがねぞなく」

判者評:

150
3
令和五年十月
初恋
秋霧にほのかに見ゆる月かげも人もあはれと思ひそめけり
攝津

「秋霧にほのかに見ゆる月かげも人もあはれと思ひそめけり」

判者評:

209
3
令和五年九月
待恋
とはぬ日のならびが丘に吹くなへに人まつ風の音ぞ悲しき
攝津

「とはぬ日のならびが丘に吹くなへに人まつ風の音ぞ悲しき」

判者評:

226
3
令和五年九月
水のおもに涼しくてれる月かげの明きに秋のもなかをぞ知る
攝津

「水のおもに涼しくてれる月かげの明きに秋のもなかをぞ知る」

判者評:

235
3
令和五年八月
秋風・葛
うづらなくうらみがちなる深草にかへりもやせむ葛の葉風は
攝津
うづらが鳴く、恨みを抱いている深草の宿に、帰ってくるだろうか、葛の葉が返るように。歌は伊勢物語を踏まえた俊成の「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」を踏まえる。初句、二句の「うら」がリズムを生んでいる、また葛の葉の縁語ともなる。葛の葉が風で裏返るように、男の帰りを期待してしまうという、技巧が見事でかつ旧歌を踏まえたハイレベルな歌。

261
3
令和五年七月
六月尽
夏の歌とて
暮れぬれば日ぞのぼりける玉くしげふたみの浦にあくるしののめ
攝津

「暮れぬれば日ぞのぼりける玉くしげふたみの浦にあくるしののめ」

判者評:

300
3
令和五年六月
紫陽花
とほ島のしげみに咲けるあぢさゐのあぢきなくとも世を思ふかな
攝津

「とほ島のしげみに咲けるあぢさゐのあぢきなくとも世を思ふかな」

判者評:

321
3
令和五年五月
更衣
やへ桜ちりぬるのちに緑ひとへ着たるは木々の衣がへかな
攝津
こちらも花から葉への変化が詠まれているが、否定的な印象はない。これは虚しき移ろいではなく、日常の衣替えだったのだ、という機知的趣向。「八重」と「一重」が対比されており、また桜木を擬人化するなど技巧も光る。

「やへ桜ちりぬるのちに緑ひとへ着たるは木々の衣がへかな」

判者評:こちらも花から葉への変化が詠まれているが、否定的な印象はない。これは虚しき移ろいではなく、日常の衣替えだったのだ、という機知的趣向。「八重」と「一重」が対比されており、また桜木を擬人化するなど技巧も光る。

333
3
令和五年四月
藤浪の咲くみよしのの大河のかなたの岸は夏にやあるらむ
攝津

「藤浪の咲くみよしのの大河のかなたの岸は夏にやあるらむ」

判者評:

343
3
令和五年四月
暮春
春暮れて花ちりわたるかつしかや真間のつぎはし道まがふまで
攝津
実景であろうが、万葉への憧憬をも感じる心深い一首である。作者はあえて倒置しているのだろうが、あえて句順を整えると「かつしかや真間のつぎ橋まがふまで花散りわたる春の暮れかな」

356
3
令和五年三月
なつかしき過ぎにし宿に花さきて鳥も昔の声に鳴きけり
攝津

「なつかしき過ぎにし宿に花さきて鳥も昔の声に鳴きけり」

判者評:

365
3
令和五年三月
早く咲き早く散りなむ山ざくら花の心のいそぐころかな
攝津
友則を踏まえた歌、花を擬人化し思いをかける。桜を愛する人なら、だれしも同じように語るだろう。結句「いそぐころかな」が、いつのころか具体的にならずわかりにくくしている。たとえば「花の心ぞすずろはしけれ」

383
3
令和五年二月
立春
あけぼのの富士の高峰はかすみつつけぶりとともに春ぞ立ちける
攝津

「あけぼのの富士の高峰はかすみつつけぶりとともに春ぞ立ちける」

判者評:

389
3
令和五年二月
うぐひすのとくる涙か梅の花あさ日を宿す露のしらたま
攝津
古今集の「うくひすのこほれる涙」を踏まえた歌。ここでは涙は見立てとなって「梅の花に置く露の白玉」であり、なんとそれが朝日を宿しているという、晴れの正月の朝にふさわしい発想抜群の歌である。

400
3
令和五年一月
晩冬
空こほる雄島の海のさざなみを緑に染むるいその松原
攝津

「空こほる雄島の海のさざなみを緑に染むるいその松原」

判者評:

404
3
令和五年一月
晩冬
武蔵の国なる御岳山に登りしに
しろがねの朴(ほほ)の木立の枝まよりさやかに見ゆる冬の空かな
攝津
「朴の木」は万葉集に用例がある(我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋)。「しろがねの朴」とは雪を被った姿か、その枝の間から冬の空が見える。詞書のとおり実景を詠んだ、見事な風景歌である。やはり「朴(ほほ)の木」が活きている。

「しろがねの朴(ほほ)の木立の枝まよりさやかに見ゆる冬の空かな」

判者評:「朴の木」は万葉集に用例がある(我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋)。「しろがねの朴」とは雪を被った姿か、その枝の間から冬の空が見える。詞書のとおり実景を詠んだ、見事な風景歌である。やはり「朴(ほほ)の木」が活きている。

422
3
令和四年十二月
年暮
ひととせのことを思ひめぐらしたるに
道のへの松につもれるゆきくれてひととせ来たる旅をしぞ思ふ
攝津
松に積もる「雪」からの「行き暮れる」につなげ、一年を振りかえる年暮のうた。一年を「行く」「来たる」と旅に例えたところがうまい。

435
3
令和四年十一月
初冬
風ふけばもみぢちりぬる山の井のあかでむかふる秋のくれかな
攝津

「風ふけばもみぢちりぬる山の井のあかでむかふる秋のくれかな」

判者評:

442
3
令和四年十一月
初冬
はつしもに木の葉かれたるそのはらやふせやの夢の覚むるあかつき
攝津
わびしき冬の朝の景、「そのはら」は固有名詞か。幽玄な姿であるが、反面、上句と下句の繋がりが弱い

「はつしもに木の葉かれたるそのはらやふせやの夢の覚むるあかつき」

判者評:わびしき冬の朝の景、「そのはら」は固有名詞か。幽玄な姿であるが、反面、上句と下句の繋がりが弱い

457
3
令和四年十月
晩秋
ひさかたの空に霧こそ立ちのぼれながるゝ川と見ゆる月かげ
攝津

468
3
令和四年十月
晩秋
奥山に思ひ入りてとふ鹿見てや萩のうは葉もいろづきぬらむ
攝津
伊勢物語にある「年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ」を後に俊成が「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」と、後日談を妄想して詠んだように、百人一首にも採られた俊成の「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」に後付けしたような儚き秋山の歌。萩を擬人化し、それに心を合わせるように色づくという定石のようで定石でない独特な詠みぶり。「思ひ入りてとふ」が字余りなので「思ひ入りぬる、思ひ入りにし」としたい。

474
3
令和四年九月
仲秋
秋ふかくなりにけるかな鈴虫のなくねにつけて涙こそふれ
攝津

484
3
令和四年九月
仲秋
大空におれる錦と見えつるは雲間にやどる月にぞありける
攝津
使われている景物や詞はつねのものだが、「雲居の月」を「大空の錦」の錦を見立てたのは新しい。ただ、いわば単色の衣を「錦」とするには無理があるか。色とりどりの紅葉を錦を見立てるのは和歌の常套「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり」。声調が麗しいのは「る」の韻律によるもので、作者の工夫がみえる。

「大空におれる錦と見えつるは雲間にやどる月にぞありける」

判者評:使われている景物や詞はつねのものだが、「雲居の月」を「大空の錦」の錦を見立てたのは新しい。ただ、いわば単色の衣を「錦」とするには無理があるか。色とりどりの紅葉を錦を見立てるのは和歌の常套「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり」。声調が麗しいのは「る」の韻律によるもので、作者の工夫がみえる。

491
3
令和四年八月
初秋
夕さればいりあひの鐘をつくづくと秋を告げつるせみぞなくなる
攝津
「入あひの鐘」からつくづく「法師」へと連想をつなげ、和歌的でありながら新鮮な秋の風景。とても面白い歌。

「夕さればいりあひの鐘をつくづくと秋を告げつるせみぞなくなる」

判者評:「入あひの鐘」からつくづく「法師」へと連想をつなげ、和歌的でありながら新鮮な秋の風景。とても面白い歌。

497
3
令和四年八月
初秋
空の色に秋ぞ見えけるおく山はあつさもしげき木陰なりとも
攝津
「しげき」様が暑さと木陰に掛かっている、また二句で倒置され、シンプルながらも技巧に工夫がある歌。

516
3
令和四年七月
盛夏
五月やみ沢のほたるは夜さへも照る日持ちつつくるしかるらむ
攝津
なるほど、私たちは闇夜に蛍で癒されるものだが、当の蛍としても闇が続きくのはつらかったのだ。夜に「照る日」がでることなどありえないが、それほど蛍はひかりを求めているのだという逆説的な切迫感を感じさせてくれる。面白い一首だが、「五月雨」の題がよりふさわしかった。

517
3
令和四年七月
盛夏
須磨の浦のまつ夕暮はわくらばにとはれでしふる村雨ぞうき
攝津
優れた手練れの一首。「須磨の浦の松」と「村雨」とくれば当然謡曲「松風」だが、この物語を見事三十一文字に組み入れた。「わくらばに」といえば行平だが、これも古歌の引用で、複数の関連語と風景を雑然とすることなく一首に仕立てあげたのは見事。

523
3
令和四年六月
さみだれに美豆(みづ)のまこもの乱れつつものを思へば身こそ濡れぬれ
攝津
「美豆(みずら=上代の成人男子の髪の結い方)」。真菰(まこも=水草)はヘアスタイルだと思われるが、このような用例があるのだろう。「さみだれ」に乱れがかかるか、もの想いに耽る男。まこもの乱れを想像させる物語がある。古風なことばが巧みに用いられるなかに個性が認められるすぐれた歌

536
3
令和四年五月
立夏
ふかみどり木の下かげの山つつじ燃えてにほへる夏ぞ来にける
攝津
「ふかみどり」が木の枕言的表現になっており面白い。「萌える」ではなく「燃える」であり、暑い夏が来たことを想起させる。いい歌。

「ふかみどり木の下かげの山つつじ燃えてにほへる夏ぞ来にける」

判者評:「ふかみどり」が木の枕言的表現になっており面白い。「萌える」ではなく「燃える」であり、暑い夏が来たことを想起させる。いい歌。

560
3
令和四年四月
三月尽
うらうらと春日さしたるわが宿に光にまがふ山吹の花
攝津
うまい、見事な歌。山吹の色が強調されて、和歌らしく美しい一首。山吹と宿の取り合わせがわずかな懸念。

561
3
令和四年四月
三月尽
こひすてふことのはる日にかはりゆき花ちる里のわれぞわびしき
攝津
虚しく捨てられてしまった女の歌。「夢の浮橋」が代表的だが、源氏物語に関連する詞があると歌が一気に物語性を秘める。ただ「ことのはる日」の意味が分かりずらい。わかりやすく、例えば…「ちかひてし春やむかしとなりぬらむ花散る里の…」としてはどうか。

569
3
令和四年三月
春興
月も出でであやなきやみにくるる夜は梅の花あらふ春さめのふる
攝津
「あやなき闇」とは躬恒の歌を内包、踏まえた見事な短縮表現。しかし下の句で梅の花をあらふ春雨との躬恒との関連、その情景による一首の狙いが見えてこない

570
3
令和四年三月
春興
世の中さはがしきころ
世の中はのどけき春の色もなくいたづらにうつる桜花かな
攝津
コンクリートに囲まれた、色なき都会の春。花見もできず無駄に散る桜。共感できる都会の無風流。四句目が破調であり、避けたい。

「世の中はのどけき春の色もなくいたづらにうつる桜花かな」

判者評:コンクリートに囲まれた、色なき都会の春。花見もできず無駄に散る桜。共感できる都会の無風流。四句目が破調であり、避けたい。

584
3
令和四年二月
立春
しののめにきける初音はうくひずとなげきつむ日のかぎりなりけり
攝津
「初音」がうぐひすの到来とともに、春を待ち嘆き悲しんだ日々の終わりを告げるということ。

585
3
令和四年二月
立春
うすごほりかかるみぎはに一枝の花こそ春のしるしなりけれ
攝津
風景も声調も見事な一首。水際にかかる一枝とは、本当に一枝の花なのか、白浪の見立てか。本歌があるのかもしれない。

「うすごほりかかるみぎはに一枝の花こそ春のしるしなりけれ」

判者評:風景も声調も見事な一首。水際にかかる一枝とは、本当に一枝の花なのか、白浪の見立てか。本歌があるのかもしれない。

599
3
令和四年一月
冬、年明く
あらたしき年も来にけり渋谷に波とともにや春のたつらむ
攝津
字数的に「しぶたに」だが「しぶや」だろう。その地の名物新年のカウントダウンは2年連続で中止となってしまった。今年こそは人の波とともに、年越しができるようになってほしいものだ。

600
3
令和四年一月
冬、年明く
たまくしげ二上山にてる月のかたぶくままに年あけにけり
攝津
全体が「あく」を導くための序詞となる。ただ「二上山に傾く月」という美しい叙景が備わって手練れの人の歌とわかる

608
3
令和三年十二月
立冬
たぎりおちしたきの玉みづこほりけりをのへにみ雪はやつもるらし
攝津
下流の変化で上流を知る、間接的に知るという、和歌のテクニックを踏まえている。その情景が美しくみごと。

609
3
令和三年十二月
立冬
夏秋もいなばの山にふるゆきの波にまがへる冬の夕暮
攝津
「いなば」がの掛詞、雪の波の見立て。それで下句は新古今らしい風情がミックスされて面白い試み。白波に夕暮れがまがえる(見間違える)のは若干違和感か。