海螢の詠草

36
26
令和六年一月
雪やみて月冴えわたるふる里の梢に白き花咲きこぼる
海螢

「雪やみて月冴えわたるふる里の梢に白き花咲きこぼる」

判者評:

37
26
令和六年一月
もり出づる月影に咲く霜の花しののめ待ちて消ゆる命や
海螢

「もり出づる月影に咲く霜の花しののめ待ちて消ゆる命や」

判者評:

38
26
令和六年一月
釈教
『大日経の三句の法門』
御仏の真の言は秘むれどもわれの心の慈しみ問ふ
海螢

「御仏の真の言は秘むれどもわれの心の慈しみ問ふ」

判者評:

39
26
令和六年一月
釈教
『法華経の還著於本人』
恨みつるわが身へ還れ人恨む心の罪の重くしあれば
海螢

「恨みつるわが身へ還れ人恨む心の罪の重くしあれば」

判者評:

40
26
令和六年一月
神祇
ちはやふる神の御業に三峰の清き雪すら暖けきかな
海螢

「ちはやふる神の御業に三峰の清き雪すら暖けきかな」

判者評:

41
26
令和六年一月
初逢恋
かき抱く月の顔ばせ隠れなば今宵ひと夜の命ならまし
海螢
抱いている月の顔が隠れてしまったら、今宵一夜の命となりましょう。ここで月は恋人(女性)の暗示、それが隠れるすなわち遇えなくなったら、今宵だけの命となる死んでしまおうという歌。強烈で印象的な後朝の歌である。「顔ばせ」は和歌であまり聞き馴れない。「今宵ひと夜の」が冗長と言えなくもない。よって「あひ見えし月の面影かくれなば今宵かぎりの命とぞせむ」

「かき抱く月の顔ばせ隠れなば今宵ひと夜の命ならまし」

判者評:抱いている月の顔が隠れてしまったら、今宵一夜の命となりましょう。ここで月は恋人(女性)の暗示、それが隠れるすなわち遇えなくなったら、今宵だけの命となる死んでしまおうという歌。強烈で印象的な後朝の歌である。「顔ばせ」は和歌であまり聞き馴れない。「今宵ひと夜の」が冗長と言えなくもない。よって「あひ見えし月の面影かくれなば今宵かぎりの命とぞせむ」

63
26
令和五年十二月
羇旅
松風にむせぶ新井の城ゆけば暗き水面の油壷見ゆ
海螢

「松風にむせぶ新井の城ゆけば暗き水面の油壷見ゆ」

判者評:

64
26
令和五年十二月
除夜
つごもりの鐘の音消えて年ふれば静けき空に淡雪流る
海螢

「つごもりの鐘の音消えて年ふれば静けき空に淡雪流る」

判者評:

65
26
令和五年十二月
千鳥
ゆく方もしらぬ汀の浜千鳥波間に消ゆる声ぞ悲しき
海螢

「ゆく方もしらぬ汀の浜千鳥波間に消ゆる声ぞ悲しき」

判者評:

66
26
令和五年十二月
不遇恋
遥かなる雲居のはての月なれば逢はで死ぬるもさだめなるらむ
海螢
遥か遠く雲の果てにある月のようなあなただから、逢わないで死ぬのも運命なのだろう。決して叶わない恋、遠い人、身分違いの恋… いろいろと物語を想像させる歌である。「逢はで死ぬる」では完了となるので「逢はで死なむ」としたい。

「遥かなる雲居のはての月なれば逢はで死ぬるもさだめなるらむ」

判者評:遥か遠く雲の果てにある月のようなあなただから、逢わないで死ぬのも運命なのだろう。決して叶わない恋、遠い人、身分違いの恋… いろいろと物語を想像させる歌である。「逢はで死ぬる」では完了となるので「逢はで死なむ」としたい。

88
26
令和五年十一月
桃色に艶めきたりし舞姫も遠き昔の夢に咲く花
海螢

「桃色に艶めきたりし舞姫も遠き昔の夢に咲く花」

判者評:

89
26
令和五年十一月
花火を見て亡き人を思ひて詠める歌
よにひらくたまゆらの花落ちぬれど在りし光の彩を忘れじ
海螢

「よにひらくたまゆらの花落ちぬれど在りし光の彩を忘れじ」

判者評:

129
26
令和五年十一月
羇旅
夜の更けて二見七浦なぎわたり漁火ふたつ交じり離るる
海螢

「夜の更けて二見七浦なぎわたり漁火ふたつ交じり離るる」

判者評:

130
26
令和五年十一月
紅葉
紅を黄に織りかさねもみぢ葉の錦流るるせせらきの里
海螢

「紅を黄に織りかさねもみぢ葉の錦流るるせせらきの里」

判者評:

131
26
令和五年十一月
紅葉
月凍る夜風に眠るししの仔の臥所温めよ散りしもみぢ葉
海螢

「月凍る夜風に眠るししの仔の臥所温めよ散りしもみぢ葉」

判者評:

132
26
令和五年十一月
紅葉
甲州の山中にて詠める歌
更くる夜にたいまつ焚けば奥山の紅葉まばゆし月や惑はむ
海螢

「更くる夜にたいまつ焚けば奥山の紅葉まばゆし月や惑はむ」

判者評:

133
26
令和五年十一月
忍恋
しぐるれどなほ下燃ゆる埋め火の心ならずや人を思へば
海螢
時雨が降ってもそれでもくすぶる埋め火のように、本意ではない、人を思えば。序詞、倒置を用いた巧みな歌である。ところで「心ならずや」だけでなく「思ひは消えじ」といった表現も可能で素直である。

「しぐるれどなほ下燃ゆる埋め火の心ならずや人を思へば」

判者評:時雨が降ってもそれでもくすぶる埋め火のように、本意ではない、人を思えば。序詞、倒置を用いた巧みな歌である。ところで「心ならずや」だけでなく「思ひは消えじ」といった表現も可能で素直である。

137
26
令和五年十一月
夕暮れ
夕暮れの汀に寄するささ波になづさふうき世の身の儚さよ
海螢

「夕暮れの汀に寄するささ波になづさふうき世の身の儚さよ」

判者評:

184
26
令和五年十月
羇旅
武蔵國の三峯神社に詣でて詠める歌
ちはやふる神の宮なる三峰の御山(みやま)に清き白雪ぞ降る
海螢

「ちはやふる神の宮なる三峰の御山(みやま)に清き白雪ぞ降る」

判者評:

185
26
令和五年十月
夕月夜ほのかに見ゆる白菊はいにしへ人のあはれなりけり
海螢

「夕月夜ほのかに見ゆる白菊はいにしへ人のあはれなりけり」

判者評:

186
26
令和五年十月
夕空をわたる雁が音消えゆけば過ぎし歳月(としつき)沁むる秋風
海螢

「夕空をわたる雁が音消えゆけば過ぎし歳月(としつき)沁むる秋風」

判者評:

187
26
令和五年十月
初恋
しろたへの衣のうちに秘むれども色にやいづらむ思ひそめしは
海螢

「しろたへの衣のうちに秘むれども色にやいづらむ思ひそめしは」

判者評:

188
26
令和五年十月
初恋
ゆくりなくはつかに見えし面影を慕ふ心ぞ月や知るらむ
海螢
偶然にもわずかに見えた面影、それを慕う心を月は知っているのだろうか。垣間見えた女性を月に喩える風情ある一首である。状況を説明する「ゆくりなく」と「はつか」はどちらかに、「面影」と「月」も意味で重なるため言葉を選びたい。また結句を「月や知るらむ」としたことで、意味が複雑になっている。「垣間見」と「相手の心を探る」心情はどちらかに絞ってはどうか。すなわち単純化して、「ひさかたの雲居はるかに漏れ出づる影を見しより恋ぞわたれる」とか。

「ゆくりなくはつかに見えし面影を慕ふ心ぞ月や知るらむ」

判者評:偶然にもわずかに見えた面影、それを慕う心を月は知っているのだろうか。垣間見えた女性を月に喩える風情ある一首である。状況を説明する「ゆくりなく」と「はつか」はどちらかに、「面影」と「月」も意味で重なるため言葉を選びたい。また結句を「月や知るらむ」としたことで、意味が複雑になっている。「垣間見」と「相手の心を探る」心情はどちらかに絞ってはどうか。すなわち単純化して、「ひさかたの雲居はるかに漏れ出づる影を見しより恋ぞわたれる」とか。

205
26
令和五年九月
待恋
ゆくりなくおとなふ夜の面影を恋ひてさびしき有明の月
海螢

「ゆくりなくおとなふ夜の面影を恋ひてさびしき有明の月」

判者評:

219
26
令和五年九月
澄みわたる月影映す露の玉こぼれ散りぬる初恋の夢
海螢

「澄みわたる月影映す露の玉こぼれ散りぬる初恋の夢」

判者評:

228
26
令和五年八月
雑秋
わたつみは秋の深藍湛へけり波のきらめき凪ぎわたれども
海螢

「わたつみは秋の深藍湛へけり波のきらめき凪ぎわたれども」

判者評:

234
26
令和五年八月
秋風・萩・鹿
鹿の声絶えて久しき奥山の露おく萩に秋風ぞ吹く
海螢
鹿の声が長い間途絶えている奥山の露が置いた萩に秋風が吹いている。「鹿」「奥山」「露」「萩」「秋風」と和歌の秋の景物がこれでもかと詠みこまれ、秋の風景をいっそう強く詠んだ歌。であるがゆえに散漫(特に鹿の声絶えて久しき)で歌の本意が取りづらく、印象を弱くしてしまっている。たとえば「鳴く鹿の声も聞こえぬ奥山の露おく萩に秋風ぞ吹く」(自分しか知らない深山の秋という趣向)

250
26
令和五年七月
飛び交はす螢な追ひそせせらぎに儚き魂の光映れり
海螢

「飛び交はす螢な追ひそせせらぎに儚き魂の光映れり」

判者評:

267
26
令和五年七月
恋がため命尽くせる蝉しぐれ絶ゆとも絶えず君を思ほゆ
海螢
恋とは突き詰めると子孫を残すこと、そのために命を懸けて蝉が鳴いている、絶えても絶えない君を思いながら。これは蝉にたとえた人の恋心だろうが、「命尽くす」と「絶ゆとも絶えず」によほどの執着心が見える、激情の恋の歌である。「尽くせる」とは「尽くす」が存続している状態で、矛盾しているように思う。また「絶ゆとも絶えず」の「とも」は仮定の意味合いがあるがふさわしいか。すなわち「恋がため命を尽くし蝉しぐれ絶ゆれど絶えぬ思ひなるかな」

「恋がため命尽くせる蝉しぐれ絶ゆとも絶えず君を思ほゆ」

判者評:恋とは突き詰めると子孫を残すこと、そのために命を懸けて蝉が鳴いている、絶えても絶えない君を思いながら。これは蝉にたとえた人の恋心だろうが、「命尽くす」と「絶ゆとも絶えず」によほどの執着心が見える、激情の恋の歌である。「尽くせる」とは「尽くす」が存続している状態で、矛盾しているように思う。また「絶ゆとも絶えず」の「とも」は仮定の意味合いがあるがふさわしいか。すなわち「恋がため命を尽くし蝉しぐれ絶ゆれど絶えぬ思ひなるかな」