螺実の詠草

33
25
令和六年一月
初逢恋
武蔵野の紫草に染む衣着れば今宵の月ぞ照りまさりける
螺実
武蔵野に生える紫草で染めた衣を着れば、今宵の月が照りまさっている。歌はわかるが本意がわからない。紫草と恋を結び付けるのはおそらく伊勢物語の「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」などが意識されてのことだろう。つまりあなたへの「ひともと(一途)」な心で染めた衣が、逢瀬がかなっていっそう輝いている、という感じだろうか。表現したいことはわかるが難しい、また結句が字余り。たとえば「武蔵野の紫草のねを追ひてきにける宿に見えし君はも」

「武蔵野の紫草に染む衣着れば今宵の月ぞ照りまさりける」

判者評:武蔵野に生える紫草で染めた衣を着れば、今宵の月が照りまさっている。歌はわかるが本意がわからない。紫草と恋を結び付けるのはおそらく伊勢物語の「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」などが意識されてのことだろう。つまりあなたへの「ひともと(一途)」な心で染めた衣が、逢瀬がかなっていっそう輝いている、という感じだろうか。表現したいことはわかるが難しい、また結句が字余り。たとえば「武蔵野の紫草のねを追ひてきにける宿に見えし君はも」

34
25
令和六年一月
おのづから落つる枯葉の音さえに霜のおくらむ冬の夜半かな
螺実

「おのづから落つる枯葉の音さえに霜のおくらむ冬の夜半かな」

判者評:

35
25
令和六年一月
白雪の積もれる山を超えしかば黒きし帯の川の光れり
螺実

「白雪の積もれる山を超えしかば黒きし帯の川の光れり」

判者評:

79
25
令和五年十二月
羇旅
いにしゑの衣打つ音の響けるも絶えて久しき砧の夜かな
螺実

「いにしゑの衣打つ音の響けるも絶えて久しき砧の夜かな」

判者評:

80
25
令和五年十二月
巡り逢ひて友に点てたる一服は過ぎし月日を潤はするかな
螺実

「巡り逢ひて友に点てたる一服は過ぎし月日を潤はするかな」

判者評:

81
25
令和五年十二月
羇旅
外つ国のなれぬ虫の音聞こゆれば白金色の月出でにけり
螺実

「外つ国のなれぬ虫の音聞こゆれば白金色の月出でにけり」

判者評:

82
25
令和五年十二月
釈教
色は夢花なき秋の夕暮れに見ゆる空やはうつつなりけむ
螺実

「色は夢花なき秋の夕暮れに見ゆる空やはうつつなりけむ」

判者評:

83
25
令和五年十二月
釈教
いつしかとすくはるる日を待ち侘びるうき身やすでに御手のうちなる
螺実

「いつしかとすくはるる日を待ち侘びるうき身やすでに御手のうちなる」

判者評:

84
25
令和五年十二月
神祇
大山祇神社に詣でて詠み侍りける
玉の緒の結びし神の依代の絶えぬみどりにこころ知らるる
螺実

「玉の緒の結びし神の依代の絶えぬみどりにこころ知らるる」

判者評:

85
25
令和五年十二月
除夜
ひととせの残る日数ををよび折る我が衣手に降れる雪かな
螺実

「ひととせの残る日数ををよび折る我が衣手に降れる雪かな」

判者評:

86
25
令和五年十二月
千鳥
昔、陶工が朝鮮から連れてこられたことに、想いを馳せて
夕去れば唐津の海の浜千鳥友よぶこえにかすむ遠島
螺実

「夕去れば唐津の海の浜千鳥友よぶこえにかすむ遠島」

判者評:

87
25
令和五年十二月
不遇恋
契りとてあだなきものと知りながらまだ見ぬ花の匂ひぬるかな
螺実
約束したといっても儚いものを、そうと知りながらまだ見ない花が匂うごとく、まだ見ないあなたへの思いが残っている。見たことがない人へのやる方ない感情を、まだ見ぬ花の匂いとした。ありそうでない、新規で見事な暗喩である。素晴らしい。

「契りとてあだなきものと知りながらまだ見ぬ花の匂ひぬるかな」

判者評:約束したといっても儚いものを、そうと知りながらまだ見ない花が匂うごとく、まだ見ないあなたへの思いが残っている。見たことがない人へのやる方ない感情を、まだ見ぬ花の匂いとした。ありそうでない、新規で見事な暗喩である。素晴らしい。

134
25
令和五年十一月
紅葉
下燃えのもみじ葉おほう初雪に思ひ絶ゆれば冬立ちにけり
螺実

「下燃えのもみじ葉おほう初雪に思ひ絶ゆれば冬立ちにけり」

判者評:

135
25
令和五年十一月
紅葉
夕去りに眠るもみじ葉色は消えやがて闇夜に返りゆくらむ
螺実

「夕去りに眠るもみじ葉色は消えやがて闇夜に返りゆくらむ」

判者評:

136
25
令和五年十一月
忍恋
恋ふれども言ひ出だされぬ言の葉は心深きに積もりぬるかな
螺実
恋をしてもけっして伝えることができない言葉ならぬ「言の葉」は、心深く積もっている。言葉ならぬ「葉」にかえて、それが積もるとした巧みな歌である。「心深き(に)積もりぬるかな」が難しいか、例えば「重ねるごとに積もりぬるかな」とか。

「恋ふれども言ひ出だされぬ言の葉は心深きに積もりぬるかな」

判者評:恋をしてもけっして伝えることができない言葉ならぬ「言の葉」は、心深く積もっている。言葉ならぬ「葉」にかえて、それが積もるとした巧みな歌である。「心深き(に)積もりぬるかな」が難しいか、例えば「重ねるごとに積もりぬるかな」とか。

189
25
令和五年十月
羇旅
住み慣れし都離れて年経れば都路今ぞ旅となりける
螺実

「住み慣れし都離れて年経れば都路今ぞ旅となりける」

判者評:

190
25
令和五年十月
色うつるよしは菊とて知らぬままひと露おきて霜にぞ消えむ
螺実

「色うつるよしは菊とて知らぬままひと露おきて霜にぞ消えむ」

判者評:

191
25
令和五年十月
初恋
人知れず色づきそめし萩の葉の露にぬれつつ人思ひたり
螺実
人知れず色づきはじめた萩の葉の上に置く、露に濡れつつ人を思っている。萩の葉が人知れず色に染まるのを初恋に重ねた、秋の風情が抜群にうつくしい恋歌である。ちなみに色づくのは葉ではなく花の方ではないかと思うのだが、古今集に「秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人のいねがてにする」とある。ただ下句によって上の句の風情が半端になってしまった。個人的には「色染む」と「露に濡れて思ふ」はどちらかにしたい。よって「秋されば萩の下葉の人知れず色づきそむる恋をするかな」。

「人知れず色づきそめし萩の葉の露にぬれつつ人思ひたり」

判者評:人知れず色づきはじめた萩の葉の上に置く、露に濡れつつ人を思っている。萩の葉が人知れず色に染まるのを初恋に重ねた、秋の風情が抜群にうつくしい恋歌である。ちなみに色づくのは葉ではなく花の方ではないかと思うのだが、古今集に「秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人のいねがてにする」とある。ただ下句によって上の句の風情が半端になってしまった。個人的には「色染む」と「露に濡れて思ふ」はどちらかにしたい。よって「秋されば萩の下葉の人知れず色づきそむる恋をするかな」。

196
25
令和五年九月
待恋
月影にぬばたまの髪けづりしはくるやも知れぬ君がためなり
螺実

213
25
令和五年九月
ありし人の袖にうつりし秋の月めぐりて宿るわが涙かな
螺実

227
25
令和五年八月
雑秋
秋の空にわかに降りし雨の糸堪えどほころびつる涙かな
螺実

「秋の空にわかに降りし雨の糸堪えどほころびつる涙かな」

判者評:

244
25
令和五年八月
秋風
夏すぎて重なりあひし葉のひまを通りてすぐる秋の風かな
螺実
夏が終わり、重なあいながら茂った葉の隙間を通り過ぎてゆく秋の風よ。夏の間に茂りに茂った葉を「重なりあひし葉」としたところが新味。その間を縫うように吹く風、という細微の趣向が光る。「通りてすぐる」がやや説明的。より秋らしい歌にするとしたら、「夏の間は重なりあひし木々の葉を今日ぞ漏れ来る秋の風かな」※参考歌「木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり」

「夏すぎて重なりあひし葉のひまを通りてすぐる秋の風かな」

判者評:夏が終わり、重なあいながら茂った葉の隙間を通り過ぎてゆく秋の風よ。夏の間に茂りに茂った葉を「重なりあひし葉」としたところが新味。その間を縫うように吹く風、という細微の趣向が光る。「通りてすぐる」がやや説明的。より秋らしい歌にするとしたら、「夏の間は重なりあひし木々の葉を今日ぞ漏れ来る秋の風かな」※参考歌「木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり」

245
25
令和五年七月
七夕
いっときの君の香りを忘れじと息ひそめたり七夕の夜
螺実

「いっときの君の香りを忘れじと息ひそめたり七夕の夜」

判者評:

247
25
令和五年七月
夏越祓
ちはやふる古き社の茅の輪をともにくぐりて水無月はつる
螺実

「ちはやふる古き社の茅の輪をともにくぐりて水無月はつる」

判者評:

254
25
令和五年七月
いさぎよく雨にうたるる蓮の花乱れし我を導きたまへ
螺実

255
25
令和五年七月
七夕
しののめの空にとけゆく天の川流れし時の恨めしきかな
螺実
七月七日の夜があけて、白々とした朝に天の川が溶けてゆく。ひととせ待ちわびた逢瀬の時は終わりもう僅か、過ぎ行く時間が恨めしい。七夕伝説を踏まえた恋の歌だが、「空にとけゆく」の表現が秀逸でひとしをの虚しさを感じさせる。

275
25
令和五年六月
雑夏
銀閣寺の「洗月泉」にて
月洗う泉と名に負ふその水の涙となりぬ晦の夜
螺実

「月洗う泉と名に負ふその水の涙となりぬ晦の夜」

判者評:

276
25
令和五年六月
南禅寺天授庵の蓮池にて
凛と坐し雨に打たるる蓮の花心乱れし我さとさなむ
螺実

「凛と坐し雨に打たるる蓮の花心乱れし我さとさなむ」

判者評:

285
25
令和五年六月
ほととぎす
五十鈴川水の面ゆらせしほととぎす川底の石ふるわさんと
螺実
「ゆらせし」は「揺りし」、「ふるわさんと」は「振はさんと」と表しますが、表現の重複でいわゆる「歌病」という禁制になります。『ホトトギスが男性で、女性の五十鈴川を口説いてる感じ』は和歌にない心なので明確に示す必要があると思います。例えば「五十鈴川底の大岩動くまで声ふり立てて鳴くホトトギス」とか。(伝承がないと、五十鈴川と岩の組み合わせは唐突に感じますね)、「閉じられし天の岩戸の開くまで」とか…

「五十鈴川水の面ゆらせしほととぎす川底の石ふるわさんと」

判者評:「ゆらせし」は「揺りし」、「ふるわさんと」は「振はさんと」と表しますが、表現の重複でいわゆる「歌病」という禁制になります。『ホトトギスが男性で、女性の五十鈴川を口説いてる感じ』は和歌にない心なので明確に示す必要があると思います。例えば「五十鈴川底の大岩動くまで声ふり立てて鳴くホトトギス」とか。(伝承がないと、五十鈴川と岩の組み合わせは唐突に感じますね)、「閉じられし天の岩戸の開くまで」とか…

286
25
令和五年六月
五月雨
叶わねば思いたたんといくたびもまだ忘られじさみだれの恋
螺実
「思いたたんと」の意味が不明瞭です。ちなみに「思い」は旧仮名遣いで「思ひ」となります。「いくたびも」は「いつまでも」が自然、「まだ忘られじ」の「じ」は打消意志となるが、意志をもって忘れないということではないでしょうから、「まだ忘られぬ」としたいです。「さみだれの恋」だが現代的な「「五月雨式」の意味が通らず、むしろ「乱れの恋」を連想させてしまいます。ちなみに心の変りやすさを天気になぞらえるなら、季節は「秋」がふさわしいです。例えば「秋の空うつろひやすき人なれど忘られぬ君が面影」(秋の空の情景のうちに、心情を表した)また「降りて止み止みては降りぬ五月雨のはしたなからむ・乱れがちなる恋をするかな」

「叶わねば思いたたんといくたびもまだ忘られじさみだれの恋」

判者評:「思いたたんと」の意味が不明瞭です。ちなみに「思い」は旧仮名遣いで「思ひ」となります。「いくたびも」は「いつまでも」が自然、「まだ忘られじ」の「じ」は打消意志となるが、意志をもって忘れないということではないでしょうから、「まだ忘られぬ」としたいです。「さみだれの恋」だが現代的な「「五月雨式」の意味が通らず、むしろ「乱れの恋」を連想させてしまいます。ちなみに心の変りやすさを天気になぞらえるなら、季節は「秋」がふさわしいです。例えば「秋の空うつろひやすき人なれど忘られぬ君が面影」(秋の空の情景のうちに、心情を表した)また「降りて止み止みては降りぬ五月雨のはしたなからむ・乱れがちなる恋をするかな」

287
25
令和五年六月
やみの間に消えたる君にあひまほしせめて蛍の光となりて
螺実
文法上は「たる」は存続なので、過去のことなら「消えにし君」。「まほし」は未然形接続なので「あはまほし」となる。下句「せめて蛍の光となりて」と言いたいことは分かりますが、言い足りていないように感じます。また歌の上で「蛍」が浮いているように感じるので、夏という季節を活かしたいです、例えばこのように直してみてはどうでしょうか。「夏の夜ににわかに消えし・失せし君がため蛍となりて道照らさばや・道ぞ照さむ」

「やみの間に消えたる君にあひまほしせめて蛍の光となりて」

判者評:文法上は「たる」は存続なので、過去のことなら「消えにし君」。「まほし」は未然形接続なので「あはまほし」となる。下句「せめて蛍の光となりて」と言いたいことは分かりますが、言い足りていないように感じます。また歌の上で「蛍」が浮いているように感じるので、夏という季節を活かしたいです、例えばこのように直してみてはどうでしょうか。「夏の夜ににわかに消えし・失せし君がため蛍となりて道照らさばや・道ぞ照さむ」

297
25
令和五年六月
五月雨
雨の銀閣寺の庭にて
五月雨に濡るる庭いと鮮やかなり楓も竹も匂いぬるかな
螺実
「雨の銀閣寺の庭にて」とあるように、青葉が鮮やかな初夏の庭園が目に浮かぶ。「いと」は少々安易、三句目「鮮やかなり」は字余りとなっている。結句を「匂ふ」で結ぶのは、楓や竹といった青物では「照り映える」という意味があるとしても違和感を感じる。あと、名所を詠む際は歌の中に詠み込んだ方がいい。よって、「五月雨に涼しくなりぬ銀閣寺楓も笹も露を宿して」