螺実の詠草

839
25
令和六年六月
寄海恋
よるごとに浜辺に消ゆる波のあわ夢にし見つる人はいづこに
螺実

「よるごとに浜辺に消ゆる波のあわ夢にし見つる人はいづこに」

判者評:

838
25
令和六年六月
山家郭公
とふ人もなき深山辺にほととぎすなく声聞けばかすむしののめ
螺実

「とふ人もなき深山辺にほととぎすなく声聞けばかすむしののめ」

判者評:

807
25
令和六年五月
五月雨
五月雨のあまたの糸のひまをぬいて君につげたし思ひとどめむ
螺実

「五月雨のあまたの糸のひまをぬいて君につげたし思ひとどめむ」

判者評:

806
25
令和六年五月
ほととぎす
ありし人を思ひていぬる夢路にもほととぎす鳴く夏の夜かな
螺実

「ありし人を思ひていぬる夢路にもほととぎす鳴く夏の夜かな」

判者評:

805
25
令和六年五月
ほととぎす
春すぎて風のかをりの変はれるを知らせぬるかな山ほととぎす
螺実

「春すぎて風のかをりの変はれるを知らせぬるかな山ほととぎす」

判者評:

804
25
令和六年五月
うつろひて秋風そよと吹かざれば葛の葉裏の見せざらましを
螺実
変ってしまって、秋風が「そよ」と吹かないので、葛の裏葉を見せないのになあ。意味が分かりづらい歌。結句に「まし」(反実仮想)があるので、三句目は「吹かざらば」。おそらく「あき風」すなわちわたしに飽きなかったら、「裏見」をしない、つまり恨まないのだけれど、ということではないか。だとすれば、「あき風のつゆふかざれば葛の葉のうらみることはなきとこそ思へ」

「うつろひて秋風そよと吹かざれば葛の葉裏の見せざらましを」

判者評:変ってしまって、秋風が「そよ」と吹かないので、葛の裏葉を見せないのになあ。意味が分かりづらい歌。結句に「まし」(反実仮想)があるので、三句目は「吹かざらば」。おそらく「あき風」すなわちわたしに飽きなかったら、「裏見」をしない、つまり恨まないのだけれど、ということではないか。だとすれば、「あき風のつゆふかざれば葛の葉のうらみることはなきとこそ思へ」

803
25
令和六年五月
貴人(あてびと)を恋ふるわが身ぞうらめしきあへなきことと知りたるものを
螺実

「貴人(あてびと)を恋ふるわが身ぞうらめしきあへなきことと知りたるものを」

判者評:

802
25
令和六年五月
待恋
月影にぬばたまの髪けづりしは来るとも知れぬ君がためなり
螺実

「月影にぬばたまの髪けづりしは来るとも知れぬ君がためなり」

判者評:

774
25
令和六年四月
皆既日食を見し折に詠める
恋焦がれ日に抱かれし月影はたまゆらにもえ空に消えたり
螺実

「恋焦がれ日に抱かれし月影はたまゆらにもえ空に消えたり」

判者評:

773
25
令和六年四月
述懐
幸いは憂きなむ知りて現るる浮世の定め恨めしきかな
螺実

「幸いは憂きなむ知りて現るる浮世の定め恨めしきかな」

判者評:

772
25
令和六年四月
会不逢恋
梅かほり桜のちりて菊さけど忘れ難きは君てふ花なり
螺実
梅の香がかおり桜の花が散って、今は菊が咲くけれど、忘れがたいのはなにより君という花である。四季折々の美しい花をすべて差し置いても、あなたが恋しいという情熱的な歌。「花と君」の対比をもっと明確にしてはどうか、例えば「春の花秋のもみぢは忘れても忘れがたきは君が面影」※面影を人以外に使った例「面影に花の姿をさき立てて幾重越え来ぬ峰の白雲」

「梅かほり桜のちりて菊さけど忘れ難きは君てふ花なり」

判者評:梅の香がかおり桜の花が散って、今は菊が咲くけれど、忘れがたいのはなにより君という花である。四季折々の美しい花をすべて差し置いても、あなたが恋しいという情熱的な歌。「花と君」の対比をもっと明確にしてはどうか、例えば「春の花秋のもみぢは忘れても忘れがたきは君が面影」※面影を人以外に使った例「面影に花の姿をさき立てて幾重越え来ぬ峰の白雲」

745
25
令和六年三月
外つ国のやよいの空に風ふかば目には見えねど花の散るらむ
螺実

「外つ国のやよいの空に風ふかば目には見えねど花の散るらむ」

判者評:

744
25
令和六年三月
憚人目恋
ひとめ避くこともかたしき望月の君を思へば朧なりけり
螺実
人目を避けることも難しい、(今となっては)衣を片敷いて(そこに映る)望月のような君を思えば朧である。「かたし(難しい・片敷き)」を掛詞とし、物語を繋げていく趣向は見事。古歌にもない用法なのではないか。ただ結句「朧なりけり」がそれこそはっきりせず、もったいない。たとえば「心空なり」など。

「ひとめ避くこともかたしき望月の君を思へば朧なりけり」

判者評:人目を避けることも難しい、(今となっては)衣を片敷いて(そこに映る)望月のような君を思えば朧である。「かたし(難しい・片敷き)」を掛詞とし、物語を繋げていく趣向は見事。古歌にもない用法なのではないか。ただ結句「朧なりけり」がそれこそはっきりせず、もったいない。たとえば「心空なり」など。

736
25
令和六年二月
後朝恋
朝ぼらけはかなき夜の思ひ出は露にうつりて昼にや消ゆらむ
螺実

「朝ぼらけはかなき夜の思ひ出は露にうつりて昼にや消ゆらむ」

判者評:

735
25
令和六年二月
夜間梅花
辿りなく闇の夜ゆけば仄かにも風のまにまに梅の香ぞする
螺実

「辿りなく闇の夜ゆけば仄かにも風のまにまに梅の香ぞする」

判者評:

642
25
令和六年一月
初逢恋
武蔵野の紫草に染む衣着れば今宵の月ぞ照りまさりける
螺実
武蔵野に生える紫草で染めた衣を着れば、今宵の月が照りまさっている。歌はわかるが本意がわからない。紫草と恋を結び付けるのはおそらく伊勢物語の「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」などが意識されてのことだろう。つまりあなたへの「ひともと(一途)」な心で染めた衣が、逢瀬がかなっていっそう輝いている、という感じだろうか。表現したいことはわかるが難しい、また結句が字余り。たとえば「武蔵野の紫草のねを追ひてきにける宿に見えし君はも」

「武蔵野の紫草に染む衣着れば今宵の月ぞ照りまさりける」

判者評:武蔵野に生える紫草で染めた衣を着れば、今宵の月が照りまさっている。歌はわかるが本意がわからない。紫草と恋を結び付けるのはおそらく伊勢物語の「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」などが意識されてのことだろう。つまりあなたへの「ひともと(一途)」な心で染めた衣が、逢瀬がかなっていっそう輝いている、という感じだろうか。表現したいことはわかるが難しい、また結句が字余り。たとえば「武蔵野の紫草のねを追ひてきにける宿に見えし君はも」

641
25
令和六年一月
おのづから落つる枯葉の音さえに霜のおくらむ冬の夜半かな
螺実

「おのづから落つる枯葉の音さえに霜のおくらむ冬の夜半かな」

判者評:

640
25
令和六年一月
白雪の積もれる山を超えしかば黒きし帯の川の光れり
螺実

「白雪の積もれる山を超えしかば黒きし帯の川の光れり」

判者評:

593
25
令和五年十二月
羇旅
いにしゑの衣打つ音の響けるも絶えて久しき砧の夜かな
螺実

592
25
令和五年十二月
巡り逢ひて友に点てたる一服は過ぎし月日を潤はするかな
螺実

591
25
令和五年十二月
羇旅
外つ国のなれぬ虫の音聞こゆれば白金色の月出でにけり
螺実

590
25
令和五年十二月
釈教
色は夢花なき秋の夕暮れに見ゆる空やはうつつなりけむ
螺実

589
25
令和五年十二月
釈教
いつしかとすくはるる日を待ち侘びるうき身やすでに御手のうちなる
螺実

588
25
令和五年十二月
神祇
大山祇神社に詣でて詠み侍りける
玉の緒の結びし神の依代の絶えぬみどりにこころ知らるる
螺実

587
25
令和五年十二月
除夜
ひととせの残る日数ををよび折る我が衣手に降れる雪かな
螺実

586
25
令和五年十二月
千鳥
昔、陶工が朝鮮から連れてこられたことに、想いを馳せて
夕去れば唐津の海の浜千鳥友よぶこえにかすむ遠島
螺実

585
25
令和五年十二月
不遇恋
契りとてあだなきものと知りながらまだ見ぬ花の匂ひぬるかな
螺実
約束したといっても儚いものを、そうと知りながらまだ見ない花が匂うごとく、まだ見ないあなたへの思いが残っている。見たことがない人へのやる方ない感情を、まだ見ぬ花の匂いとした。ありそうでない、新規で見事な暗喩である。素晴らしい。

536
25
令和五年十一月
紅葉
下燃えのもみじ葉おほう初雪に思ひ絶ゆれば冬立ちにけり
螺実

535
25
令和五年十一月
紅葉
夕去りに眠るもみじ葉色は消えやがて闇夜に返りゆくらむ
螺実

「夕去りに眠るもみじ葉色は消えやがて闇夜に返りゆくらむ」

判者評:

534
25
令和五年十一月
忍恋
恋ふれども言ひ出だされぬ言の葉は心深きに積もりぬるかな
螺実
恋をしてもけっして伝えることができない言葉ならぬ「言の葉」は、心深く積もっている。言葉ならぬ「葉」にかえて、それが積もるとした巧みな歌である。「心深き(に)積もりぬるかな」が難しいか、例えば「重ねるごとに積もりぬるかな」とか。

「恋ふれども言ひ出だされぬ言の葉は心深きに積もりぬるかな」

判者評:恋をしてもけっして伝えることができない言葉ならぬ「言の葉」は、心深く積もっている。言葉ならぬ「葉」にかえて、それが積もるとした巧みな歌である。「心深き(に)積もりぬるかな」が難しいか、例えば「重ねるごとに積もりぬるかな」とか。

483
25
令和五年十月
羇旅
住み慣れし都離れて年経れば都路今ぞ旅となりける
螺実

「住み慣れし都離れて年経れば都路今ぞ旅となりける」

判者評:

482
25
令和五年十月
色うつるよしは菊とて知らぬままひと露おきて霜にぞ消えむ
螺実

「色うつるよしは菊とて知らぬままひと露おきて霜にぞ消えむ」

判者評:

481
25
令和五年十月
初恋
人知れず色づきそめし萩の葉の露にぬれつつ人思ひたり
螺実
人知れず色づきはじめた萩の葉の上に置く、露に濡れつつ人を思っている。萩の葉が人知れず色に染まるのを初恋に重ねた、秋の風情が抜群にうつくしい恋歌である。ちなみに色づくのは葉ではなく花の方ではないかと思うのだが、古今集に「秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人のいねがてにする」とある。ただ下句によって上の句の風情が半端になってしまった。個人的には「色染む」と「露に濡れて思ふ」はどちらかにしたい。よって「秋されば萩の下葉の人知れず色づきそむる恋をするかな」。

「人知れず色づきそめし萩の葉の露にぬれつつ人思ひたり」

判者評:人知れず色づきはじめた萩の葉の上に置く、露に濡れつつ人を思っている。萩の葉が人知れず色に染まるのを初恋に重ねた、秋の風情が抜群にうつくしい恋歌である。ちなみに色づくのは葉ではなく花の方ではないかと思うのだが、古今集に「秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人のいねがてにする」とある。ただ下句によって上の句の風情が半端になってしまった。個人的には「色染む」と「露に濡れて思ふ」はどちらかにしたい。よって「秋されば萩の下葉の人知れず色づきそむる恋をするかな」。

476
25
令和五年九月
待恋
月影にぬばたまの髪けづりしはくるやも知れぬ君がためなり
螺実

「月影にぬばたまの髪けづりしはくるやも知れぬ君がためなり」

判者評:

459
25
令和五年九月
ありし人の袖にうつりし秋の月めぐりて宿るわが涙かな
螺実

445
25
令和五年八月
雑秋
秋の空にわかに降りし雨の糸堪えどほころびつる涙かな
螺実

「秋の空にわかに降りし雨の糸堪えどほころびつる涙かな」

判者評:

428
25
令和五年八月
秋風
夏すぎて重なりあひし葉のひまを通りてすぐる秋の風かな
螺実
夏が終わり、重なあいながら茂った葉の隙間を通り過ぎてゆく秋の風よ。夏の間に茂りに茂った葉を「重なりあひし葉」としたところが新味。その間を縫うように吹く風、という細微の趣向が光る。「通りてすぐる」がやや説明的。より秋らしい歌にするとしたら、「夏の間は重なりあひし木々の葉を今日ぞ漏れ来る秋の風かな」※参考歌「木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり」

427
25
令和五年七月
七夕
いっときの君の香りを忘れじと息ひそめたり七夕の夜
螺実

425
25
令和五年七月
夏越祓
ちはやふる古き社の茅の輪をともにくぐりて水無月はつる
螺実

418
25
令和五年七月
いさぎよく雨にうたるる蓮の花乱れし我を導きたまへ
螺実

417
25
令和五年七月
七夕
しののめの空にとけゆく天の川流れし時の恨めしきかな
螺実
七月七日の夜があけて、白々とした朝に天の川が溶けてゆく。ひととせ待ちわびた逢瀬の時は終わりもう僅か、過ぎ行く時間が恨めしい。七夕伝説を踏まえた恋の歌だが、「空にとけゆく」の表現が秀逸でひとしをの虚しさを感じさせる。

397
25
令和五年六月
雑夏
銀閣寺の「洗月泉」にて
月洗う泉と名に負ふその水の涙となりぬ晦の夜
螺実

396
25
令和五年六月
南禅寺天授庵の蓮池にて
凛と坐し雨に打たるる蓮の花心乱れし我さとさなむ
螺実

387
25
令和五年六月
ほととぎす
五十鈴川水の面ゆらせしほととぎす川底の石ふるわさんと
螺実
「ゆらせし」は「揺りし」、「ふるわさんと」は「振はさんと」と表しますが、表現の重複でいわゆる「歌病」という禁制になります。『ホトトギスが男性で、女性の五十鈴川を口説いてる感じ』は和歌にない心なので明確に示す必要があると思います。例えば「五十鈴川底の大岩動くまで声ふり立てて鳴くホトトギス」とか。(伝承がないと、五十鈴川と岩の組み合わせは唐突に感じますね)、「閉じられし天の岩戸の開くまで」とか…

「五十鈴川水の面ゆらせしほととぎす川底の石ふるわさんと」

判者評:「ゆらせし」は「揺りし」、「ふるわさんと」は「振はさんと」と表しますが、表現の重複でいわゆる「歌病」という禁制になります。『ホトトギスが男性で、女性の五十鈴川を口説いてる感じ』は和歌にない心なので明確に示す必要があると思います。例えば「五十鈴川底の大岩動くまで声ふり立てて鳴くホトトギス」とか。(伝承がないと、五十鈴川と岩の組み合わせは唐突に感じますね)、「閉じられし天の岩戸の開くまで」とか…

386
25
令和五年六月
五月雨
叶わねば思いたたんといくたびもまだ忘られじさみだれの恋
螺実
「思いたたんと」の意味が不明瞭です。ちなみに「思い」は旧仮名遣いで「思ひ」となります。「いくたびも」は「いつまでも」が自然、「まだ忘られじ」の「じ」は打消意志となるが、意志をもって忘れないということではないでしょうから、「まだ忘られぬ」としたいです。「さみだれの恋」だが現代的な「「五月雨式」の意味が通らず、むしろ「乱れの恋」を連想させてしまいます。ちなみに心の変りやすさを天気になぞらえるなら、季節は「秋」がふさわしいです。例えば「秋の空うつろひやすき人なれど忘られぬ君が面影」(秋の空の情景のうちに、心情を表した)また「降りて止み止みては降りぬ五月雨のはしたなからむ・乱れがちなる恋をするかな」

385
25
令和五年六月
やみの間に消えたる君にあひまほしせめて蛍の光となりて
螺実
文法上は「たる」は存続なので、過去のことなら「消えにし君」。「まほし」は未然形接続なので「あはまほし」となる。下句「せめて蛍の光となりて」と言いたいことは分かりますが、言い足りていないように感じます。また歌の上で「蛍」が浮いているように感じるので、夏という季節を活かしたいです、例えばこのように直してみてはどうでしょうか。「夏の夜ににわかに消えし・失せし君がため蛍となりて道照らさばや・道ぞ照さむ」

「やみの間に消えたる君にあひまほしせめて蛍の光となりて」

判者評:文法上は「たる」は存続なので、過去のことなら「消えにし君」。「まほし」は未然形接続なので「あはまほし」となる。下句「せめて蛍の光となりて」と言いたいことは分かりますが、言い足りていないように感じます。また歌の上で「蛍」が浮いているように感じるので、夏という季節を活かしたいです、例えばこのように直してみてはどうでしょうか。「夏の夜ににわかに消えし・失せし君がため蛍となりて道照らさばや・道ぞ照さむ」

375
25
令和五年六月
五月雨
雨の銀閣寺の庭にて
五月雨に濡るる庭いと鮮やかなり楓も竹も匂いぬるかな
螺実
「雨の銀閣寺の庭にて」とあるように、青葉が鮮やかな初夏の庭園が目に浮かぶ。「いと」は少々安易、三句目「鮮やかなり」は字余りとなっている。結句を「匂ふ」で結ぶのは、楓や竹といった青物では「照り映える」という意味があるとしても違和感を感じる。あと、名所を詠む際は歌の中に詠み込んだ方がいい。よって、「五月雨に涼しくなりぬ銀閣寺楓も笹も露を宿して」