央英の詠草

758
14
令和六年三月
釈教
おこたりて阿弥陀になむをねぎたまふ風あふぐ空とづけよ花を
央英

「おこたりて阿弥陀になむをねぎたまふ風あふぐ空とづけよ花を」

判者評:

757
14
令和六年三月
憚人目恋
ふしのまと知りつつひそみみごしらへ重ねる逢瀬人な知られそ
央英
少しのあいだと知りつつ秘密に身支度して重ねる逢瀬を、人よ知るな。ユニークだが散文調である。四句目は「重ぬる」、結句は「人な知りそ」が自然。歌らしく、例えば「ふしのまと知りて重ぬる恋なれやかたときばかり人な咎めそ」とか。

「ふしのまと知りつつひそみみごしらへ重ねる逢瀬人な知られそ」

判者評:少しのあいだと知りつつ秘密に身支度して重ねる逢瀬を、人よ知るな。ユニークだが散文調である。四句目は「重ぬる」、結句は「人な知りそ」が自然。歌らしく、例えば「ふしのまと知りて重ぬる恋なれやかたときばかり人な咎めそ」とか。

729
14
令和六年二月
後朝恋
かき抱く衣と起くや広き床ようべは狭しと思ひあへしが
央英

「かき抱く衣と起くや広き床ようべは狭しと思ひあへしが」

判者評:

728
14
令和六年二月
後朝恋
明け暮れてなおたち消えぬ移り香のをしむらむひとあるぞかなしき
央英

「明け暮れてなおたち消えぬ移り香のをしむらむひとあるぞかなしき」

判者評:

618
14
令和五年十二月
不遇恋
霧渡りくれないもみじ曇らせて思ひも淡く色褪せにけり
央英

「霧渡りくれないもみじ曇らせて思ひも淡く色褪せにけり」

判者評:

617
14
令和五年十二月
不遇恋
しきたへの枕に落つる月影をなぞりて思ふ音にきくひと
央英
枕に映る月影をなぞって想像する、うわさでばかり聞くあの人。一人寝の様を枕に映る月影としたのが妙、なんとも妖艶で美しい逢わざる恋である。「月」は先の歌にもあったように「遠い存在」としても成立するが、「月影」とすると、逢ったことがある人物の「面影」が強く出て「不遇恋」の匂いが薄れる感じがする。また「陰」から「音(うわさ)」と転じるのが若干の違和感を抱く。よって「しきたへの枕に映る月影をなぞりて偲ぶ恋ぞわびしき」とか(ここでは「遇不逢恋」の意とした)

「しきたへの枕に落つる月影をなぞりて思ふ音にきくひと」

判者評:枕に映る月影をなぞって想像する、うわさでばかり聞くあの人。一人寝の様を枕に映る月影としたのが妙、なんとも妖艶で美しい逢わざる恋である。「月」は先の歌にもあったように「遠い存在」としても成立するが、「月影」とすると、逢ったことがある人物の「面影」が強く出て「不遇恋」の匂いが薄れる感じがする。また「陰」から「音(うわさ)」と転じるのが若干の違和感を抱く。よって「しきたへの枕に映る月影をなぞりて偲ぶ恋ぞわびしき」とか(ここでは「遇不逢恋」の意とした)

524
14
令和五年十月
初恋
心染む人にとづけと香たけどをりふしくだる雨濡らす袖
央英
こころを染める人に届けと香を焚いても(届かないようで)季節で降ってくる雨に袖が濡れています。「香に思いを託すも、叶わず雨に濡れる」という作者の独創性が光る一首、このような斬新な挑戦はぜひ続けたい。一方で、「とづけ」「をりふし」「くだる」などは歌にあまり見られない言葉である。「心染む人」も言葉を凝縮させすぎな感じがある。たとえば「思ひこめわが焚く香のけぶりさへかき消す雨に袖は濡れけり」。

「心染む人にとづけと香たけどをりふしくだる雨濡らす袖」

判者評:こころを染める人に届けと香を焚いても(届かないようで)季節で降ってくる雨に袖が濡れています。「香に思いを託すも、叶わず雨に濡れる」という作者の独創性が光る一首、このような斬新な挑戦はぜひ続けたい。一方で、「とづけ」「をりふし」「くだる」などは歌にあまり見られない言葉である。「心染む人」も言葉を凝縮させすぎな感じがある。たとえば「思ひこめわが焚く香のけぶりさへかき消す雨に袖は濡れけり」。

474
14
令和五年九月
待恋
忍ばれでわれてあわむと壱師花そのね(根)(音)の持たる毒と知りつつ
央英

「忍ばれでわれてあわむと壱師花そのね(根)(音)の持たる毒と知りつつ」

判者評:

404
14
道のべになりかえりたる蝉白き腹見せ足掻く風の夕かげ
央英
道のべに、成虫となった蝉が腹を出してもがいている、そんな風の夕影よ。蝉は幼虫で土の中で7年を過ごし、地上に出て1週間で死ぬなんて言われる。まさに空蝉が白い腹を出しながら息も絶え絶えとなっている、そこまでが序で、風の夕影で結ぶ。仏教的な無常感と欣求浄土の思想が漂う歌であるが、とすれば「風の夕影」はどうしても唐突感があるので、「白き腹」にたいして「赤き夕暮れ」などどうか。※「赤光」は斎藤茂吉が仏説阿弥陀経の一節から採った。「赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遙(はる)けかり野は涯(はて)ならん」

360
14
令和五年五月
雑夏
袖日よけ川面をわたる涼風に前をゆく君ふと振り返
央英
袖日をよけて川面をわたる涼風、そこに前を歩く君がふと振り返った。写実であろう、君とはもちろん恋人、青春の1ページである。初句「袖日よけ」が分からなかった。「振り返る」後に「風が吹いた」としたらもっといいのではなか、たとえば「言葉なく前を行く君ゆくりなく振り返るより風ぞ吹きける」

328
14
令和五年四月
落花
川ほとりひと雨ごとの花筏過ぎてかいろぐ若柳かな
央英
ひと雨ごとに花は散り、川を流れ来て、それによって若い柳がかいろぐ(揺れ動く)。花筏で柳が動くはずもないが、それだけ多くの花が流れ来るということ、見事な趣向の一首。「川ほとり」と「かいろぐ」を直したい、「花筏ひと雨ごとに流れきて揺りにしほどの若柳かな」(※「揺り」にはためらうという意味もある)

310
14
令和五年三月
月影の野にまろぶねこののしりて花乱れそむこひごろものごと
央英
月影の野にまろぶねこというのが軽妙で面白い。「まろぶ」は「転がる」、「ののしる」は「大きな声を出す」の意。猫が大きなで鳴いて花が乱れだす、ということか、初句「月影の野」は必要な風景であろうか。もっと素直で明朗な歌にしたい、たとえば「春の野にまろぶ子猫の寝床にも生ひにけるかな菫若草」

290
14
令和五年二月
立春
雪衣細き枝より雫落つかたきつぼみのもて隠す春
央英

279
14
令和五年二月
立春
奈良、若草山の野焼きにて
呼べや春火の波枯野黒く染むけぶる宵咲く花火あかきに
央英
詞書にあるとおり野焼きの風景、初句の倒置された「呼べや春」が見どころになっている。結句を調整して「あかき火」に呼びかけるようにしたらどうだろう、例えば「呼べや春いまだ枯れ野に閉じられし若草山を焦がすあかき火」

274
14
令和五年一月
晩冬
ごうごうと閉ざされし部屋ことこととあたたむ鍋やまだ来ぬひとを
央英

260
14
令和五年一月
晩冬
朝ぼらけ枝をしならせたつ鳥の響きしたいてしずり雪かは
央英
「垂(しず)り雪」とは美しい言葉である。それが立つ鳥によって生じるという、目の付け所が素晴らしい。「響きした(ひ)て」とはなんだろうか、立つ鳥の羽ばたきの音、声など考えられるが、「しなり」で「しずる」と思うのでいずれにせよ不要に思われる。また結び「かは」(反語)は正しいだろうか。なので例えば「朝ぼらけ宿りし枝を立つ鳥のしなりにあえずしずり雪かな」。