そこそこをそばの庵にかこまれて八雲の家はかたはらにあり
へるんさん松江の人の呼ぶ声は今もかはらぬ情けありけり詠み人 圓学
八雲庵に明々庵、出雲そばの名店が点在する城山の地区に、小泉八雲の記念館と旧居がある。一般的には『小泉八雲』と呼ばれるラフカディオ・ハーンだが、松江では愛情をこめて『へるんさん』と呼ばれる。
※就任時の契約書にラフカディオ・ヘルンと記されたことから
八雲は日本の風土と精神文化に強い関心を抱いた。特に彼が注目したのは、出雲地方に色濃く残る神話と信仰である。着任後すぐに出雲大社を訪れたのは、その象徴的な行動のひとつといえる。
彼は『古事記』の英訳を通じて、出雲神話に日本の成り立ちの本質を見いだしていた。出雲大社では千家尊紀宮司の案内により、西洋人として初めて本殿への昇殿を許された。後にその経験を記した著書『知られぬ日本の面影』の中で、「杵築(出雲大社)を見るということは、古代信仰の脈拍を感じ取ることである」と述べている。
また、著の一章には「神々の国の首都(The Chief City of the Province of the Gods)」と題された松江の記録がある。八雲にとって松江は、単なる地方都市ではなく、神話の記憶が今も残る象徴的な土地、まさに「神々の国の首都」であったのだ。そしてそれは今も変わらない。
八雲は16歳の時に左目を失明している(彼のポートレートの大半が右向きの横顔なのはそれを隠すためだ)。しかし残された目には、わたしたちには見えない霊的な世界そして古き良き日本の面影がありありと映っていた。
彼の松江時代はわずか一年と三か月ばかりでであったが、八雲にとって松江は特別な地であり続け、生活の記録だけでなく、日本を理解しようとする視点の多くが、松江での体験を起点としている。地元の人々が見過ごしがちな価値を、外から来た八雲が言葉にしたことは意義深い。
私たちは、八雲に多大な感謝を寄せなねばらない。彼のまなざしを通して、ふるさとの日常の背後にある文化の層や、土地に刻まれた記憶の存在に気づかせてくれたのだから。
(書き手:内田圓学)
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