茶人に愛された「三夕の歌」

「三夕」とは「新古今和歌集」の秋上、『秋夕』歌群のうち寂連・西行・定家(361・362・363)の三首を指す。

新古今和歌集 秋上より

357「おしなべて思ひしことのかすかずになほ色まさる秋の夕暮れ」(良経)
358「暮れかかるむなしき空の秋をみて覚えずたまる袖の露かな」(良経)
359「もの思はでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮れ」(良経)
360「み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲の夕暮れの空」(慈円)
361「さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮」(寂蓮)
362「こころなき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮」(西行)
363「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」(定家)
364「たへてやは思ひありともいかがせんむぐらの宿の秋の夕暮」(雅経)
365「思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ」(後鳥羽院宮内卿)
366「秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただわれからの露の夕暮」(長明)

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ちなみに『秋の夕暮』を結びに据えた作例は「古今集」には見られない。勅撰集において明確に現れるのは「後拾遺集」が初めであり、良暹法師の歌によってその心は定められた。

「寂しさに宿を立出てながむればいづくもおなじ秋の夕暮」(良暹法師

その後、「六百番歌合」には「秋夕」の題が採られ、新古今時代には「秋の夕暮」が一つの定型的な歌題として確立するに至る。しかしひとつの疑問は、これら寂連・西行・定家の三首がとりわけなぜ「三夕」などともてはやされたかである。

「三夕」が特別に尊ばれるようになったのは、後世の茶人たちの美意識によるところが大きい。なかでも、小堀遠州が掲げた『綺麗さび』の感性が深く関わっている。
『綺麗さび』とは、千利休の「わび」の精神を受け継ぎつつ、そこに王朝文化の優雅さや洗練を加えた美の理念である。武家茶道の茶人たちは、この『綺麗さび』の心を「三夕」の歌に見出し、それをまさに「茶の本心」として重んじたのである。

石州三百ヶ条

「石州三百ヶ条」は江戸初期の大名茶人、片桐石州が茶道の心得を三百ヶ条にまとめた、家茶道の心得である。そこには以下の記述がある。

茶湯は仏法およびに歌道を兼ねたる由申し伝へ候。詠歌大概に「情以新為先、詞以旧可用」とあり。茶道は仏道・歌道かねたるものなり。【略】

珠光・引拙・紹鴎の心の事、此の三人共にもとづくところ趣向あり。珠光は

「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」

この心を用ふ。これ則ちさびたる体を専らにこれ用ふる也。利休愛す。
引拙は

「さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山切秋の夕暮」

紹鴎は

「村雨の露もまだひぬ槙の葉に霧たちのぼる秋の夕暮」

これ則ちすすぎあげてさはやかなる(清々しい)体なり。道安好み紹鴎にもとづく也。これ茶の湯根元なり。かくのごとく、いづれも宗匠そのもとづくところこれありて用ふ。後世、子弟たるものこの意味を常に工夫すべきこと也。

珠光から引拙、紹鴎、そして利休へと続く茶の湯の系譜の中で、これら「三夕」の歌にいかに深く心を寄せていたかが記されている。※ここに「鴫たつ沢」は言及されていない

実のところ、三千家などいわゆる「町人茶道」では和歌など貴族的な風雅を重んじない。あくまで表向きは簡素で、掛け物も禅語が基本である。もともと茶道は、王朝貴族の華やかな文化から一線を画し、武家によって磨かれてきた独自の精神文化である。その根底には、権威や装飾を退け、質素・簡素の中に真の美を見いだす思想があった。
しかし興味深いのは、やがて町人茶道がこの「わび・さび」の精神を守り続けた一方で、武家茶道のほうは逆に貴族的な美意識を再び尊び、王朝文化の優雅さを取り入れていった点である。

ちなみに武家茶人ではないが、南坊宗啓の著にもこのようにある。

南方録

紹鴎、陀び茶の湯の心は、新古今集のなか定家朝臣の歌に、

「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」

この歌の心にてこそあれと申されしと也。花紅葉は、則ち書院台子※2の結構にたとへたり。その花紅葉をつくづくとながめ来りて見れば、無一物(=空)の境界浦のとまや也。花紅葉を知らぬ人の、初めよりとまやには住まれぬぞ、ながめながめてこそ、とまやのさびすましたる所は見立てたれ。これ、茶の本心也といはれし也。
【略】
また宗易いま一首見出したりとて、つねに二首を書きつけ信ぜられしなり。同集、家隆の歌に

「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」

これまた相加へて得心すべし。世上の人々そこの山かしこの森の花がいついつ咲くべきかと、あけくれ外に求めて、かの花紅葉もわが心にあることを知らず、ただ目に見ゆる色ばかりを楽しむなり。山里は浦のとまやも同然のさびた住居なり。去年一とせの花も紅葉もことごとく雪が埋みつくして、何もなき山里になりて、さびすましたまでは、浦のとまや同意なり。【略】

歌道の心は子細もあるべけれども、この両首は紹鴎、利休、茶の道にとり用ひらるる心入れを聞き覚え候てしるしおく事なり。

※「南方録」には、南坊宗啓が師利休から習った茶道の奥儀や逸話などの見聞が書かれている。ただ偽書とする説もある

これらの書物でわかることは、茶人がその道を仏道・歌道に重ね、精神の核心――すなわち「茶の本心」を、とりわけ「三夕」の和歌に見いだしていたということである。

(書き手:内田圓学)

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