神社にお参りをしたとき、ふと境内を吹き抜ける風に心が洗われるような感覚を覚えたことはありませんか? 私たちは古来より、目に見えない大いなる存在に祈りを捧げ、日々の感謝を伝えてきました。
お賽銭を入れ、柏手を打つ。 その土地で採れたお米や海の幸、山の幸をお供えする。これらはすべて神様への捧げ物ですが、実は古くから日本人が心を砕き、大切にしてきた「特別な奉納品」があります。それが「和歌(やまと歌)」です。
私たち令和和歌所では、由緒ある神社の拝殿にて、参加者が詠んだ和歌を奉納する「歌合」を定期的に執り行っています。先日も、雪が舞う厳かな鎌倉宮にて「正月歌合」を開催いたしました。
→ 【活動報告】令和八年 正月歌合 ── 雪の鎌倉宮、極寒のなかに響く雅な熱狂
現代において、「わざわざ神様に和歌を奉納する」ことには、どのような意味があるのでしょうか。 それは単なる風流な催しや、文学の発表会ではありません。和歌を神前に捧げるという行為には、現代人が忘れがちな「感謝」と「日本の心」そのものが深く関わっています。
目に見えぬ神を動かす、三十一文字の力
醍醐天皇の命によって作られた日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』。その冒頭(仮名序)に、和歌の本質を突いた大変有名な一節があります。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり(古今和歌集/仮名序)
腕力を使うことなく天地を動かし、目に見えない神仏の心をも深く感動させるのが「和歌」である、と。なぜ、和歌には神の心を動かす力があるのでしょうか? 同じくこの序文には、その答えとなる重要な記述があります。それは、三十一文字(みそひともじ)の和歌は「須佐之男命から始まった」というものです。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
これは、八岐大蛇を退治した須佐之男命が、妻を迎えて安心な宮殿をつくるのだという意気込みと喜びを詠んだ歌です。平安時代の歌人たちは、「和歌は神様が最初に詠み始めたものだ」と考えていました。だからこそ、神様も人間に思いやお告げ(神意)を伝えるときには和歌を用い、人間もまた、神様と同じ三十一文字の言葉遣い(フォーマット)で思いを届けてきたのです。
和歌とは、神様と人間とが直接心を通わせるための「言葉の懸け橋」として、古くから最も重んじられてきた神聖なものなのです。
「生かされている」ことへの感謝
私たちが和歌を奉納する最大の理由は、日々われわれを見守ってくださっている神様へ感謝を伝え、喜んでいただくためです。
目の前にある季節の移ろいを感じ、美しい景色を見て心が動くこと。それは決して当たり前のことではありません。私たちが今、こうして無事に「生かされている」からこそ得られる喜びです。その「生かされていること」への深い感謝を、けがれのない「まことの心」で三十一文字に懸命に紡ぎ出す。人間の素直な「精神の結晶」として詠まれた和歌は、神様が最も喜ばれる純粋な捧げ物となることでしょう。
ところで浄土真宗の僧侶である私としては、この和歌の奉納という行為は、「御恩報謝(ごおんほうしゃ)の念仏」と同じ境地であると感じています。 御恩報謝とは、口に「南無阿弥陀仏」と称えることが、大いなる阿弥陀如来に対して「ありがとうございます」とお礼を申しているのと同じである、という教えです。
神前で三十一文字の和歌を紡ぐことも、仏前で念仏を称えることも、その根底にあるのは「生かされていることへの報恩感謝」に他なりません。 自分の力だけで生きているのではないという事実に立ち返り、我欲を離れて、ただ大いなる存在へ「ありがとうございます」と声に出して響かせる。和歌を奉納するとは、まさにそのような尊く清らかな祈りの時間なのです。
歌道を歩む
このように和歌を奉納する文化は、いにしえの歌人たちが人生をかけて行ってきたことでもあります。
たとえば、かの西行法師も、自作の歌合を編んで俊成と定家に判詞を依頼し、伊勢神宮に奉納しています。さらに俊成自身も、自作の歌を百首ずつ、伊勢、賀茂、春日、日吉、住吉の五つの神社に奉納しました(俊成五社百首)。
私たちが神社で和歌を詠むとき、それはすなわち「かつてこの国で生きた無数の詠み人たちと、同じ心で歌を詠んでいる」ということです。
神仏への感謝とともに、いにしえの歌人たちを慕い、その精神を受け継いでいく。これこそが、私たちが歩む「歌道(かどう)」の本質です。
途絶えた「日本の心」を復興する
しかし残念なことに、現代において和歌を神仏に奉納する文化はほとんど絶えてしまっています。
目に見える「データ」や「スピード」が何よりも重んじられる世の中となり、見えない大いなる存在への畏敬の念も、三十一文字に静かに思いを凝らす時間も、私たちの日常から失われてしまいました。
これは単に「古い文学が衰退した」という話ではなく、「日本の心そのものが絶えようとしている」ことに等しいと、私は強く危惧しています。
だからこそ、令和和歌所は「和歌・奉納歌」という形を現代に復興しようとしているのです。 私たちが目指しているのは、単なる昔の真似事に留まりません。和歌を取り戻すことで、自然を敬い、神仏に感謝し、いにしえの人々と心を合わせるという、日本人が本来持っていた素直な心を復興させたいと願っているのです。
結びに
雪降る鎌倉宮の拝殿。張り詰めた冷たい空気。そして、朗々と響き渡る和歌の声。 先日の「正月歌合」は、まさにその「日本の心」が千年という時を超えて、鮮やかによみがえった瞬間でした。
和歌を神前に奉納する価値と意味を知っていただくことは、私たちが何者であるかを思い出す旅でもあります。令和和歌所では、いにしへの詠み人たちが残したこの美しい「祈りのかたち」を受け継ぎ、未来へと繋いでいきます。
もしご興味を持たれましたら、ぜひ一度、私たちの活動に触れてみてください。 あなたの中に眠る、澄み切った言葉と心に、きっと出会えるはずです。
(書き手:内田圓学)
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