「思考」を捨てて「美」に降伏する。和歌を詠むたったひとつの理由

真宗の歌僧としての視座より。現代を生きる私たち凡夫へ、現代に和歌を詠む理由を諦かにする。

俗世という「二元論」の病理

まず直視せねばならぬのは、我々が生きる「俗世」の正体である。俗世とは、徹底した「二元論」が支配する独断的な世界だ。善か悪か、勝ちか負けか、損か得か。人間は悲しいかな、複雑怪奇な奔流であるこの世界を、あたかもコンピューターのように「0か1か」でしか処理できぬほど、その知覚能力が偏狭なのである。(ゆえにAIも、人間のような「心」を持つことは可能だろう)

人間は集団を統率するために「善悪」や「正義」というルール、すなわち道徳を発明した。だがそれは、強者が弱者を縛るための独断に過ぎない。わが師、親鸞が見つめた「悪人」とは、このルールの敗者であった。生きるために殺生をせねばならず、心を修める余裕など持てなかった人々。彼らは「悪にならざるを得なかった」人々である。 しかし、弱者もまた、この歪んだ世界の共犯者であるといえる。なぜなら、彼らは「自分は弱者である(負けている)」と嘆くことで、強者が作った「勝ち負け」という二元論のルールを内面化し、認めてしまっているからだ。強者へのルサンチマン(怨恨)に浸ることは、この二元論の構造を補強することに他ならない。我々は、自らが生み出した「二元論の監獄」の中で、終わることのない断罪合戦を繰り広げているのである。

「絶対」への渇望と苦悩

この俗世における最大の苦しみは、人間存在の抱える「矛盾」にある。 人間は生物としての限界から、相対的な「二元論」でしか世界を理解できない。にもかかわらず、本能として、世界と人生に「絶対の物語(確固たる正解)」を求めてやまないのだ。

しかし現実の世は、因果と無常が支配する世界である。すべては相対的に移ろい、絶対の正義や安心など存在しない。この無常の嵐の中で、人間は足場を失って宙吊りとなり、不安という絶望に落ちる。二元論しか理解できぬ身でありながら、絶対を渇望して泣き叫ぶ。この埋まらぬ溝こそが、人間の虚無感の正体であり、苦しみの根源である。

「思考の敗北」としての美

この救いようのない矛盾に対し、「和歌」は俗世からの解脱装置として機能する。なぜなら、和歌が志向する「美」とは、人間が用いる二元論的思考が停止した、「絶対的一元」の世界だからだ。

散りゆく花、秋の夕暮れ。その圧倒的な「美」と対峙した時、善悪や損得といった小賢しい判断は停止する。人間はただ立ちすくみ、「ああ」と感嘆の声をあげるのみである。この「ああ=あはれ」という嘆息は、言葉ではない。判断(二元論)が敗北し、自我が崩壊した跡に残る、魂の降伏宣言である。この瞬間、人間は「理解」を超えた次元で、強制的に俗世の分別から切り離され、「美」という絶対の世界と合一する。古人が「我が御心すがすがし(古事記 上巻)」と言い表したのはこの境地だ。美とは、思考停止による心の救済なのである。

定型による自我の滅却

和歌を詠むことは、ひたすら美を志向し「心を清浄に整える」行に他ならない。ゆえに、歌道において個人の「個性」など無用であり、むしろ邪魔ですらある。 神代から連なる純粋な心と詞(大和言葉)、そして三十一文字という厳格な定型。これらはすべて、肥大化した現代人の「自我(エゴ)」を滅するための、開かれた制約である。

俗世の感情、すなわち二元論的な区別から逃れ、先人たちが耕した道(型)を踏みしめることで、我々は積極的に「自分」を消滅させる。和歌とは自己表現ではない。自己滅却の行為である。「私」を消し去り、純粋な美に触れた時、初めて人は二元論の苦しみから離れることができるのだ。

「積極的な諦念」という名の道

ここで、仏道の教えが極めてラジカルな響きを持って重なり合う。親鸞は言った、「ただ念仏を唱えよ」と。これは、己の小賢しい「はからい(計算や分別)」を捨てて、理解を超える絶対的存在である阿弥陀仏にすがれ、ということである。「南無阿弥陀仏」とは、二元論しか生きられぬ人間が、絶対に対して降伏する声なのだ。

和歌における「ああ」という感嘆と、仏道における「南無」という帰依。これらは完全に同義である。どちらも、自分の無力さを認め、絶対的なものに身を投げる「積極的な諦念(あきらめ)」である。 人生に苦悩する人間にできることは、自力での解決を諦め、絶対なるものに「すがる」ことだけだ。「すべてお任せします」と、世界に対して白旗をあげること。この「降伏」の瞬間にのみ、我々は二元論の監獄から解き放たれ、真のやすらぎを得る。

歌道も仏道も、向かう先は同じである。それは自らを作り上げた虚構の「私」と「善悪」を捨て、ただ「絶対=美」の前にひれ伏す、崇高な敗北の道なのである。

(書き手:内田圓学)

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