辞世の歌 その23「浮き世をば今こそ渡れもののふの名を高松の苔に残して」(清水宗治)

清水宗治は戦国時代後期の武将で備中高松城の城主。豊臣秀吉の中国征伐に対抗し、水攻めに苦しめられる。やがて本能寺の変が起こり、急いで事態を収拾したいと考えた秀吉は宗治の自害を条件に講和を進め、これを受け入れた宗治は自刃して果てた。
その最後は伝説的である。水浸しの備中高松城から小舟に乗って現われた宗治は、その上で曲舞を披露してから腹を切ったという。辞世の歌はその風流な武士(もののふ)にふさわしい一首といえよう。

ところで、あなたがあの世へ旅立つ時、後世にひとつ残せるものがあるとしたら何を望むか。貯め込んだ金? いやいや、多くの人は子孫(その幸福)かもしれない。もののふ(武士)においてそれは「名」であった。

「浮き世をば今こそ渡れもののふの名を高松の苔に残して」(清水宗治)

いざ死なむ! 高松の地に生ふ苔に我が名を残して。「苔」とは高松城を象徴するものだったのかもしれないが、歌意においては「永久の存在」すなわち「我が名を永遠に留めておきたい」という切なる願いが表れている。

切腹の所作からもわかるように、宗治はきっと清々しい心持で死を迎え入れたことだろう。それは水攻めによる飢え、その苦しみからの開放、なにより家臣らの命が約束されたという城主としての安堵感によるもので、決して宗教的「信心」などによるものではない。なぜなら「名を残す」なんてことは立派な執着であり、仏教的には明白な迷いであるからだ。

ともかく清水宗治の望みは果たされた。それはもちろん「高松の苔」に名が残っていたからではなく、彼の生き様そして、残された辞世歌が素晴らしかったからだ。

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(書き手:歌僧 内田圓学)

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