折こそあれながめにかかる浮雲の袖もひとつにうち時雨つつ(二条院讃岐)

『長雨の雲が居座り続けて物思いに耽る私の袖も、時雨が降ったように濡れています』。詠み人は二条院讃岐、あまり知られていないが源頼政の娘だ。なぜ故に時雨は袖を濡らすのか? 四時の最後たる季節がもたらす悲哀、落葉に埋もれて訪れなき恋の絶望。これら複雑な感情が入り乱れて、冬の冷たい雨は涙に変わるのだ。ところで讃岐は百人一首歌でも濡れた「袖」※を歌っていた、しかしあちらは理知が勝り、今日の歌には到底及ばない。

※「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」(二条院讃岐)

(日めくりめく一首)

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