心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)

三夕の二首目、今日は西行の夕暮れだ。適訳の必要などまったくない単純な歌、悪くもないがそれほどのものか? この歌の価値はやはり、詠み人が西行であるということに尽きる。知られるように西行は武士でありながら若くして仏門に入った、「心なき身」とは隠遁の身を卑下し顧みたものである。本来僧とは執着の念から遠くあるべきだが、西行はこれから生涯逃れることができなかった。花に月、そして鴫立つ沢の夕暮れ。いくら修行を積もうと自ずと心の底から湧き起ってくる妄念、西行にとって「美」とは二律背反の「苦しみ」であったのだ。出家して釈阿と名乗るも、世俗にどっぷりつかった俊成に、この歌にある魔力は到底理解できなかった※。

※藤原俊成は西行の夕暮れを「御裳濯河歌合」で負に判じ、「千載和歌集」に採ることもしなかった

(日めくりめく一首)

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