わが宿の池の藤波咲きにけり山郭公いつかき鳴かむ(よみ人知らず)

古今集の夏の一番歌、詞書きによると柿本人麻呂製と噂される。和歌の春といえば梅にうぐいす、桜が情景を飾ったが夏はどうであろう? 実のところ「ほととぎす」一辺倒なのである。草花は繁り、鳥や虫の盛んに活動する季節にあってなぜか関心のほとんどは、遅れてやってくるひとつの渡り鳥に向けられる、特に古今集ではそれが顕著だ。
今日の歌は『わが家の藤は盛りになった、ほととぎすよ早く来て鳴いおくれ』という、内容はなくただ夏を宣誓すべく据えられたような歌だ。ところで取り合わせの「藤」は暮春で詠まれたはずであったがここで再び登場している。後戻りのない厳格な四季の運行を望む撰集としては失敗ではなかろうか? 現に新古今ではそのような曖昧さは少ない。春の一番歌に年内立春を持ってきた貫之らしからぬ仕事だ。

(日めくりめく一首)

和歌の型(基礎)を学び、詠んでみよう!

代表的な古典作品に学び、一人ひとりが伝統的「和歌」を詠めるようになることを目標とした「歌塾」開催中!

季刊誌「和歌文芸」
令和六年冬号(Amazonにて販売中)