来むと言ひしほどや過ぎぬる秋の野に誰れまつ虫ぞ声の悲しき(紀貫之)

秋の虫、今日は「まつ虫」である。さて、よく古典文学では今の「まつ虫」は「すず虫」を指し、「まつ虫」こそが今の「すず虫」であると言われる。率直に言おう、どっちでもいい。では一緒くたにしても良いのかと問われればそれは困る、和歌で肝要なのは虫の見た目や鳴き声ではなく、その「名前」なのだ。まつ虫が歌に詠まれるとき、それはきまって「待つ」の掛詞として詠まれる、そこに虫の音に哀愁を寄せる孤独な人間を当てがえれば立派な秋の抒情歌の出来上がりだ。
昨日今日と貫之の歌をご紹介したがどうだろう? いくら平安の技巧派とはいえ、それは非常に素朴なものであった。しかし当意即妙を求められた宮廷歌人には、これくらいがちょうど良いのだ。

(日めくりめく一首)


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