「松」は四季歌において、「待つ」の掛詞として二次的に用いられるか、寂寥感をかき立てる「松風」として詠まれることがほとんどた。なぜ単独で詠まれないかといえばそれが常緑樹という、絶えず緑を讃える永遠の存在だからだ。移ろわぬものにあはれを寄せることなどできない。※半面、賀歌ではそれに長寿を託して頻繁に詠まれる
だから今日の歌は珍しい、四季歌で松が単独に詠まれているのだ。『一様に木々の梢に青葉が見えて、今日ばかりは松の緑も気になって離れにくいことよ』。他の木々に青葉が繁り始めたことで、ああそういえばこいつも緑だったな、と松の木に気づく。躬恒の暮春※を理想としたかもしれないが、やはりなんとも情趣は得られない。
※「ゆくすゑはまた遠ほけれど夏山のこの下影ぞ立ちうかりける」(凡河内躬恒)
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