今日の歌がいかに素晴らしいか、昨日の慈円と比較すれば理解が早い。『どんなにか嬉しいだろう、秋の夜の月が澄んだ空に雲がなかったら』、適訳以上の真意はこの歌に全くない。ともかく秋の月の様を隈なく眺めていたいという慕情の一途ただそれだけである。西行以前、貴族に根付いた和歌文化の文脈ではこのような歌はほとんどなかった、白痴の誹りを免れなかったためである。今日ような歌はそれ自体で奇跡と言える。それもこれも、西行という世捨て人の真心がなくては遂げられなかったことだ。
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