そよかぜの詠草

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令和六年一月
初逢恋
嵯峨の池春まだ遠きほとりにてみそめし君がとく初氷
そよかぜ
嵯峨の池の、春まだ遠い畔で見初めたあなたが解く初氷であることよ。みなさまの詠草を拝見するに、恋の成就するにふさわしい季節はどうも春らしい(個人的には夏か)。この歌では「池の氷を融く」を、「心を解く」に掛けて成就を暗示している。ユニークなのは嵯峨の池すなわち「大覚寺」の大沢池を詠んでいるところだ、詠み人の経験か、何かいわれがあるのか興味深い。また「とく」はここで他動詞となり、詠み人は受動的である。さて「ほとり」は現代的には「畔(池などの水際)」だが、古語では「かたわら、近辺」といって意味しかない。「みそめし君」は初恋題にふさわしいか、また「初氷」は冬の景となるが、そうすると「春まだ遠き」が半端な印象を受ける。よって「嵯峨の池あつき氷のとけるまで君が心もわれにとけぬる」

55
29
令和五年十二月
不遇恋
君もまた見上げゐるにや冬の夜のおもかげ浮かぶあの六連星
そよかぜ
恋するあなたもまた見上げているだろうか、冬の夜御面影がふかぶあの六連星(むつらぼし)を。六連星すなわち「昴」に恋人を重ねたロマンチックな歌。「(見上げ)ゐる」が不自然、「仰ぎ見む」あたりが妥当。「あの(六連星)」というのは現代的な使い方である。また月ではなくあえて昴に面影が浮かぶとしたのはいかがだろうか(「あの」とした意味は、もしかしたら谷村新司への哀悼の心か)。ただ六連星を歌に詠んだのは新しい着想で素晴らしい。よって「君もまたおなじ夜空を仰ぎ見むおもかげ浮かぶ六連星かな」

「君もまた見上げゐるにや冬の夜のおもかげ浮かぶあの六連星」

判者評:恋するあなたもまた見上げているだろうか、冬の夜御面影がふかぶあの六連星(むつらぼし)を。六連星すなわち「昴」に恋人を重ねたロマンチックな歌。「(見上げ)ゐる」が不自然、「仰ぎ見む」あたりが妥当。「あの(六連星)」というのは現代的な使い方である。また月ではなくあえて昴に面影が浮かぶとしたのはいかがだろうか(「あの」とした意味は、もしかしたら谷村新司への哀悼の心か)。ただ六連星を歌に詠んだのは新しい着想で素晴らしい。よって「君もまたおなじ夜空を仰ぎ見むおもかげ浮かぶ六連星かな」

94
29
令和五年十一月
忍恋
風も無き池の水面に立つ波は心に秘むる思ひのささやき
そよかぜ
水面に立つ波は、こころに秘めている恋心のささやきであった。見立てが冴える歌である。和歌の恋はわりに激情的であるが、この歌はすこぶる穏やかな心境が詠まれている。しかし果ては荒波に変るのだろうか?

「風も無き池の水面に立つ波は心に秘むる思ひのささやき」

判者評:水面に立つ波は、こころに秘めている恋心のささやきであった。見立てが冴える歌である。和歌の恋はわりに激情的であるが、この歌はすこぶる穏やかな心境が詠まれている。しかし果ては荒波に変るのだろうか?

145
29
令和五年十月
初恋
小倉山日に異に染まるもみじ葉の思ひをいかに伝ふべきにや
そよかぜ
小倉山が日にとくに染まるもみじ葉のような思いをどのようにして伝えるべきなのか。恋心を小倉山の紅葉の色に喩た風情あふれる一首。趣向は見事なので、言葉を整えたい、たとえば「小倉山日ごとに染まるもみぢ葉のこころのうちをいかにかすべき」。

「小倉山日に異に染まるもみじ葉の思ひをいかに伝ふべきにや」

判者評:小倉山が日にとくに染まるもみじ葉のような思いをどのようにして伝えるべきなのか。恋心を小倉山の紅葉の色に喩た風情あふれる一首。趣向は見事なので、言葉を整えたい、たとえば「小倉山日ごとに染まるもみぢ葉のこころのうちをいかにかすべき」。

197
29
令和五年九月
待恋
秋風はこころに寒しひとり見る十五夜月の照らす縁側
そよかぜ

215
29
令和五年九月
秋の夜にひときはおほき月明し野辺にうかぶは白き山里
そよかぜ

239
29
令和五年八月
秋風
いつしかと吹かなむ秋の涼風も文月の江戸に届かざりけり
そよかぜ
「いつしか」は「いつになったら」、これに「吹かなむ」すなわち「きっと吹くだろう」では合わない。「文月の江戸に」は字余りとなる、よって「いつしかと待ちたる秋の涼風もいまだ江戸には届かざりけり」など。

257
29
令和五年七月
七夕
天の川流るる星はおりひめのこぼる涙の雫なるらむ
そよかぜ
天の川をわたる流れ星は、織姫のこぼす涙の雫なのだろう。おなじみ七夕の歌であるが、流れ星を織姫の涙に例えるなど、なんともロマンチックである。細かいが「織姫のこぼる涙の」ではなく「織姫がこぼす涙の」としたい。ちなみに少し万葉的にしてみると、「吾が妹の流す涙か天の川時をしわかず星ぞ流るる」

「天の川流るる星はおりひめのこぼる涙の雫なるらむ」

判者評:天の川をわたる流れ星は、織姫のこぼす涙の雫なのだろう。おなじみ七夕の歌であるが、流れ星を織姫の涙に例えるなど、なんともロマンチックである。細かいが「織姫のこぼる涙の」ではなく「織姫がこぼす涙の」としたい。ちなみに少し万葉的にしてみると、「吾が妹の流す涙か天の川時をしわかず星ぞ流るる」

279
29
令和五年六月
バス停のわずか隣の別世界蛍の川にみんな驚き
そよかぜ

「バス停のわずか隣の別世界蛍の川にみんな驚き」

判者評:

282
29
令和五年六月
五月雨
五月雨の降るを幾日ながむれば山の色こそ日々まさりゆく
そよかぜ

「五月雨の降るを幾日ながむれば山の色こそ日々まさりゆく」

判者評:

292
29
令和五年六月
ほととぎす
朝霧の山の間に間にこだまする山の声かな郭公の歌
そよかぜ
朝霧がただよう山の間に間に、姿は見えないけれでほととぎすが鳴いているよ。おそらく実景であろう、日本的な山の風景が歌われている。作者は「郭公」を「かっこう」と捉えられていたが、ここでは「ほととぎす」とさせてもらう。気になるのは「朝霧」だろう、初夏でも山には霧が出るのかもしれないが、和歌的四季感では季節の混乱を招く。また四句目の「かな」に拍子抜けの感がある。直すとして、作者の意を強く残すなら「夏山の歌ぞ聞こゆる心地かなこだまとなりぬほととぎすの音」、声調を変えて「夏くれば歌はぬ山はあらじとて響きわたれるほととぎすの音」