荒神谷遺跡:大原郡 - 出雲荒都歌その6

八千矛の名にし負ひけるしるしかな谷より出でしそこらの剣
玉に抜き君にかけばやいにしへの蓮(はちす)のうへにすめる白露

詠み人 圓学

島根県出雲市斐川町、静かな田園地帯の一角にある荒神谷遺跡は、1983年、広域農道の建設をきっかけに発見された。そこから出土したのは、なんと358本もの銅剣、6個の銅鐸、16本の銅矛。いずれも弥生時代のもので、これほどの青銅器が一箇所から出土した例は日本考古学史上前代未聞の出来事であった。

それまで、島根県は青銅器の出土例も乏しく、考古学的には大きな注目を集める地域ではなかった。荒神谷遺跡の発見は、これまで「神話=物語」として扱われてきた古代出雲の存在に、一気に「現実味」を与えることとなったのだ。

記紀神話で数多く言及される出雲の地。しかし、それらは長らく史実として証明されることがなく、出雲王国は幻想の中に留まり続けていた。しかし荒神谷の大量の青銅器は、出雲に確かに独自の文化圏と権力が存在していたことを如実に語っている。

続いて1996年、仏経山を越えたほど近い場所に加茂岩倉遺跡(大量の銅鐸が出土)が発見された。これらの遺跡は、出雲国の政治中心であった意宇郡とは別に、もうひとつの強大な勢力がこの地にあったことを示唆しているだろう。

現在、荒神谷史跡公園には青銅器の展示施設や整備された遊歩道があり、周囲には「古代ハス」が植えられている。初夏には、鮮やかなピンクの花が咲き誇り、かつて栄えた古代の記憶にそっと彩りを添えてくれる。

神話の国「出雲」は、確かに独自の文化圏すなわち「都」が存在していた。荒神谷遺跡は、その象徴ともいえる場所なのだ。

(書き手:内田圓学)

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