出雲荒都歌その2 「出雲郡 脳の磯:黄泉の穴」

 黄泉坂はいづくにやと問はれて
黄泉の口いづくならむか知らねどもげに恐ろしき窟(いはや)なりけり

詠み人 圓学

出雲には、現世と死者の国(黄泉)との境目とされる場所、「黄泉比良坂」がある。

黄泉の国から、命からがら現世に逃げ延びたイザナギが、大きな石(千引石)でその入り口を塞いだという場所だ。『古事記』では、この「黄泉比良坂」を『出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)』と記し、現在の島根県東出雲町揖屋(いや)の揖夜神社周辺がその地であるという。

一方、『出雲国風土記』には、出雲郡の北の海の浜、脳(なづき)の磯の洞窟についての記述があり、「夢でこの場所に来ると必ず死ぬ」として、ここを「黄泉の坂・黄泉の穴と号く」とある。現在の「猪目洞窟」がその場所だ。

どちらが「本物の黄泉比良坂」であろうか?

近年、東出雲町の「黄泉比良坂」が注目されている。映画の舞台ともなり、NHKのドキュメンタリーにも取り上げられた。小さな祠と「逢いたい人に手紙を送れるポスト」も設置され、ちょっとした観光地ともなっている。ただ、現地の「千引石」は想像していたよりも小さく、神話のスケールに対してやや物足りなさを感じるのは、わたしだけではないはずだ。

一方「猪目洞窟」は、なるほど伝説にふさわしい畏怖を感じる。おそらく多くの出雲人が、こちらの方に「黄泉比良坂」を思うだろう。

実は、東出雲町の黄泉比良坂は“中央(大和)から見た視点”にすぎない、との説がある。古代、西北(乾)のはてに「死者の国」があると考えられていた。大和から見てそこは「出雲国」であり、出雲の入り口である東出雲にこそ、黄泉の入り口があると考えたのだ。

一方、出雲国内で見た時、国府意宇(おう)から見た「乾」は、島根半島西北端の猪目町方面にあたる。「坂」とは単に傾斜地だけでなく、断崖や絶壁をも意味する。太陽が沈む最果ての地、「猪目洞窟」こそ黄泉の入り口で間違いないだろう。

※スサノオもオオクニヌシも、出雲の神は一線を退いてからは黄泉の国へ隠居している。すなわち中央(大和)にとって、出雲とは黄泉の国そのものであったのである。

(書き手:内田圓学)

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