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和歌と茶の深〜い関係


最近になって、定例の歌会でお茶を振る舞うようになりました。
といっても会場は茶室でもなく簡単な水回りさえもない場所… ですので水筒で湯を持参し、紙のコップでお出しするという大変粗末なものです。
それでもしばらくは、歌会でお茶を出すつもりです。
その理由とは?

一つは美味し〜いお茶の味を知ったことです。
私がお出ししているのは抹茶ではなく「玉露」です。普段は「烏龍茶」や「ほうじ茶」たまのお茶会なんかで「抹茶」を頂くことはあれ、意外と飲む機会が少ないのが玉露というお茶ではないでしょうか?
しかしこの玉露、抹茶のような手間もなくしかもそれに匹敵する「うま味」を持ったすごいお茶なのです!
これをいまさら知った私は、みなさまにもその感動を共有したくてお茶を入れています。

ちなみに美味しい玉露を入れる秘訣は蒸らし(抽出)の温度。香りを楽しむ「ほうじ茶」などは熱々のお湯でさっと入れますが、うま味を味わう玉露は低温でゆっくり抽出するのがポイントです。この違いはお茶に含まれる成分に由来します、玉露はテアニン(アミノ酸)が多く含まれうんぬん…

前置きが長くなってしまいましたね…
私が歌会でお茶を入れる一番の理由をお話ししましょう。

それは歌と茶の縁が深〜いから! です。

現在の茶道(茶の湯)の原型は「闘茶(=利き茶)」にあると言われ、歌・連歌とは共に「寄合いで楽しまれるもの」という共通点があります。
が、確かにこれも一つの縁であるとはいえ、私がお話したい茶と歌の縁はもっと深いところにあります。
それは根幹にある精神性です。

さて、本題に入る前に茶の歴史を少しおさらいしてみましょう。
茶がはじめて日本に伝わったのは8世紀ごろ、本格的な普及は12世紀末に臨済宗の僧「栄西」が宋から持ち帰ってからだといわれます。
ちなみに栄西は茶の効能や製法を書き留めた「喫茶養生記」を残しています。

現代において茶は日常的な飲料になっていますよね。ただ当時は舶来の高価な趣向品、先ほどご紹介した闘茶もようは高貴な公家や武家の遊びであり、茶文化とは金持ちを満足させることを発端にしています。ですから当然、そこで用いられる茶器や掛物も高価でレアな唐物であったわけですね。

しかし、ここに転機が起こります。
村田珠光、 武野紹鴎から起こり千利休で大成する「侘び茶」の発生です。
彼らも金持ちではあったのですが、他の金持ち茶人と異なって茶に精神性を持ち出しました。

「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」で知られる珠光にはまだ金持ちの貧乏趣味が見え隠れしますが、
その後の紹鴎・利休になると洗練された確固たる精神性が茶の湯に見出されます。
それがいわゆる「わび・さび」です。

「わび・さび」というと現代でも解釈が難しいとされますが、これは当時も同じだったようで、
紹鴎・利休は茶の湯の精神を説明するのにこれらの和歌を引き合いに出しています。

「花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや」(藤原家隆)
「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」(藤原定家)

いずれも冷え枯れた「閑寂の美」を表すとして、茶道はもちろん和歌史においても最高峰に挙げられる歌です。
この二首が言わんとするところ、それは「虚無にある花は際立って美しい」(対照の美)、だけではありません。
全てを削ぎ落とした「貧・孤絶の先に真実がある!」が、その本意です。
仏教の言葉でいう「一即多」ですね。う〜ん、奥深い…

ちなみに家隆と定家はともに平安末期から鎌倉時代を生きた歌人ですが、
ご承知のようにこの時代は戦乱や飢饉が立て続けに起こり、彼ら上流貴族といえど容易に生き抜くことは困難な時代でした。
だからこそ家隆・定家は「貧」「孤絶」なんてダークな世界に美を見出したのでしょうか?

いえ、そうではありません。
そもそも和歌は貴族文化華やかりし平安時代から「貧」や「孤絶」に美を見出していました。
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ」(柿本人麻呂)
「おくやまに 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」(猿丸大夫)
「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」(喜撰法師)
「山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めもくさも かれぬとおもへば」(源宗于)
「見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり」(紀貫之)

→関連記事「百人一首は「ジジイのための歌集」である(百人一首その3)

つまり日本の文化人は、いつの時代も貧しさや孤独の先に美ひいてはこの世の本質を見ていたのです。
この観点からいうと、歌も茶もその表現手段のひとつに過ぎず、追求する美学、精神性は元来同じ! なのです。
和歌と茶(茶の湯)の深〜い関係、お分かり頂けたと思います。

さて、私たち現代人も日本文化の深淵に触れたいのなら「貧」の美を追求していきたいですよね。
がしかし! 世は「インスタ映え」が流行語大賞に選ばれる時代、盛ることはますます盛んになっても、貧乏趣味なんて見向きもされないでしょう…
現代人が「わび・さび」に触れることは出来ないのか!?
ってこの切迫感、実は利休たちも抱いていました。強いて四畳半の茶室や露地なんて貧乏空間をしつらえたのは彼らの苦肉の産物なのです。

よっしゃ、じゃ私たちも茶室へレッツゴー!
と、いかないが現代人の悲しさ…
なぜなら私たちにとって茶室とは、高尚で趣があり特別感溢れるのインスタ映えする場所に成り下がってしまったからです。
現代人が「わび・さび」にふれることは難しそうですね…

と、お嘆きのみなさまにオススメの場所があります。
利休は理想的な露地のしつらいを、この歌に例えました。
「樫の葉の もみぢぬからに ちりつもる 奥山寺の 道のさびしさ」(慈円)

そう、お寺です。
ただもちろん、どのお寺でもいいというわけではありません。

例えば鎌倉五山の一つ「浄智寺」。

飾らないその参道からは、他の五山にはない、慈円の歌を体現したような「わび」を感じることができます。
※ちなみに浄智寺の境内は国の史跡に指定されています。

→関連記事「鎌倉散策(第二回)~春を探して~

「見渡せば 広告、騒音 だらけなり、、」の、盛り盛りの都会に囲まれた私たち。
でもふとした場所に、「浦の苫屋」はあるものです。
あなたが感じた特別な「秋の夕暮れ!」ぜひ私にも教えてください。
ともに一服一首やろうじゃないですか♪

→「はじめての古今伝授と茶寄せ連歌会

(書き手:内田かつひろ)

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