和歌の入門教室 「本歌取り」

先般、2020年東京オリンピック公式エンブレムのパクり騒動なんてのが世間を騒がせましたが、和歌の世界では「パクり」にも似た行為が横行してることをご存知でしょうか?
そう、それが本歌取りです。

例えば以下の歌、
「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰にわかるる 横雲の空」(藤原定家)

これは本歌取りの最高峰とも言える歌ですが、同時に「パクリの王様」とも言える歌です。

本歌取りは、有名な古歌の文句を拝借して歌を組み立てる技法です。
古歌、いうなればパクリ元は、古今和歌集にある以下の歌です

601「風ふけば 峰にわかるる 白雲の たえてつれなき 君か心か」(壬生忠峯)
山の峰で二方向に別れる雲を、愛する人の離れてしまった心に例えた歌です。

また百人一首にも採られた、
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ」(周防内侍)
などの文句も十分意識されているでしょう。

さらに5句目の「夢の浮橋」は源氏物語の最終帖のタイトルを丸パクリです。
つまり先の定家の歌は、パクリだけで構成されたキングオプパクり歌! なのです。

これを「本歌取り」なんて立派な名前をつけただけで、技法と言っていいのか?
そもそもこんな歌が評価されていいのか?

いいんです!

パクリと本歌取りには大きな違いがあります。
それはパクりが「出典」を知られてしまっては困るのに対して、
本歌取りは「出典」を知っていてもらわないと困るのです。

ちなみに定家自身、その歌論「毎月抄」において

「その歌を取れるよと、聞き手に聞ゆるやうに詠みなすべきにて候」
「毎月抄」

と述べています。

和歌はコミュニケーションツールです。
本歌取りというコミュニケーションが成り立つには、互いに出典元の和歌を知っている必要があるのです。
この時代、古歌を知っているということは第一の教養でした。
もし本歌取りの和歌を受け取った人が、その本歌(古歌)を知らないということになれば、歌の本意を理解できないのはもちろん、無教養としてレッテルを張られる恐れもあるのです。

さて、本歌取りが技法たる所以ですが、
これは31文字という文字限界を突破し、表現力を重層的に拡張できる点にあります。

定家の歌と忠峯の本歌を比べてみて下さい。
忠峯の歌には「たえてつれなき」と心情が入っていますが、定家の歌には感情が一切みえません。
それでも定家の絵画的な歌に冷々たる虚しさを感じるのは、本歌が持っている本意を見事に重ねているからです。

本歌取りとは、いわば香水の調香と同じです。
歌に立ち込める匂いのエッセンスを抽出し、それらを新たに再調合して新しい香りを生み出す。
匂いが強すぎても、弱すぎてもいけません。ほのかに香らせつつ、強めるところは強める。
定家は本歌取りの名手と言われますが、それはこの調合(構成)力にあると思います。

本歌取りは和歌が歴史を蓄える中で育まれた、高度に技術化した技法です。
新古今和歌集の和歌が分かりづらいというのは、ここに採られた和歌の多くが本歌取りであるからでしょう。一首を理解するのに、和歌だけでなく源氏物語などの古典文学や漢詩などの膨大な知識・教養が前提となるのですから。
簡単にコピペできるパクりとは全く違いますね。
→関連記事「定家vsマラルメ 世紀を超えた対決! 象徴歌の魅力に迫る

さて、古歌でコミュニケーションすると言えば、こんなエピソードが源氏物語にあります。
月の美しい花見の宴、政敵であり、源氏物語のラスボス弘徽殿女御の妹が近づいてきます。
「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさみながら。

これは大江千里の
「照りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の 朧月夜に しくものぞなき」
をもじったものです。

これを聞いた源氏は、女にセンスと教養を感じ取ったのでしょう。
心が躍り、女の腕を強引に掴み抱き寄せ、口説きはじめるのです。
「深き夜の あはれを知るも 入る月の おぼろげならぬ 契りとぞ思ふ」
なんて言いながら。

※このエピソードで、女は「朧月夜」と呼ばれるようになりました。

現代に生きる我々もさらっと言ってみたいものですね、
例えばこんな風に

男「月を見ると、何かにつけて物悲しくなるよ」
女「でも、あなただけの秋ではないけどね」
お、こやつできる! となります。

ちなみに出典は
193「月見れば ちぢに物こそ かなしけれ わか身ひとつの 秋にはあらねど」(大江千里)

(書き手:和歌DJうっちー)

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源氏の恋文「焦燥のブルー」


ご機嫌いかがですか

「あさぢふの 露のやどりに 君ををきて よもの嵐ぞ 静心なき」

妙なうわさなどに惑わされていたりはしませんか

どうか私の言葉だけを信じてください

会いにいきます

それまで心を強くもってください

(源氏)


兄のように、父のように
言葉の上ではおおらかに振る舞う源氏。

しかし心中は穏やかではない。
様々な外聞に邪推されぬように、
この紫のゆかりを確実に手せねばならぬのだ!
源氏らしからぬ文字色に焦りがみえる。

(書き手:和歌DJうっちー)

源氏の恋文「からころも」


「からころも君が心のつらければ 袂はかくぞそぼちつつのみ」

本当にあなたは薄情なお人

ご自分の事しか頭にないのですね

いつも思い慕って鳴いてばかりおります

私の衣は袖も袂も濡れに濡れ、干くひまさえありません

ただただお待ち申し上げております

今夜も明日も変わらずに

(末摘花)


感性の鈍い女ほど哀れな存在はない。
恋文に陸奥紙を選ぶ理由がどこにあるのだろう。
そこに薫香を深くたきしめるなんぞ痴態の極みだ!

恋文にはその人となりが全て表れる、
末摘花の姫とはこういう女なのであろう。

だが哀れも度が過ぎると魅力の一つになるのだろか?
源氏はこの女を生涯庇護した。
その理由は優しさといった美談では決してないだろう。

(書き手:和歌DJうっちー)

源氏の恋文「紫の少女」


「ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の 露分けわぶる草のゆかりを」

あなたのことを真剣に考えています

この思いに偽りがないこと、あなたが一番分かっているはずですよね

一人の美しい女性としてお慕い申し上げています

今までは気兼ねしていましたが

これからは少しづつ、親密になれるようお互い勤めましょうね

(源氏)


源氏の毒牙に掛かった少女には
端から成すすべなどなく、
優しく手ほどきを受けるのみである。

これが正しいのか間違っているのか、
分からぬままに。

(書き手:和歌DJうっちー)

古今和歌集 恋歌残酷物語 その25「忍ぶれど」

668「わかこひをしのひかねてはあしひきの山橘の色にいてぬへし」(友則)
669「おほかたはわか名もみなとこきいてなむ世をうみへたに見るめすくなし」(よみ人しらす)
671「風ふけは浪打つ岸の松なれやねにあらはれてなきぬへらなり」(よみ人しらす)

—————-
忘れる苦しみ

忘れられない苦しみ

幾度も寄せは返す慚愧の波

恋が私に残したのは

夜の海原のようなどこまでも暗く深い苦悩だけ

もう限界だ

噂が立っても構わない

私は自由になりたいのだ

この海原を漕ぎ出して

あの山橘のように

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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源氏の恋文「山桜の結び文」


敬愛なる尼君

あなたは冗談だとお思いかもしれない

だが私は本気です

「面影は身をも離れず山桜 心の限りとめて来しかど」

あの紫の少女の姿が頭から離れないのです

今まで忍び留めてきましたが、もう限界です

私の純愛をどうかご理解ください

そして一言だけでも話ができる機会をください

(源氏)


本気となった源氏は怖い。
自らの才知を掛けてあらゆる手を尽くす。

今回も絶妙なタイミングで尼君に仕掛けた!
その場にあった紙に思いを美しくしたためる。
そして手際よく結び文に仕立てたのであった。

目論み通り、尼君の心は動かされたようだ。

(書き手:和歌DJうっちー)

古今和歌集 恋歌残酷物語 その24「後顧の憂い」

661「紅の色にはいてしかくれぬの 下にかよひて恋はしぬとも」(友則)
663「笹の葉におくはつ霜の夜をさむみ しみはつくとも色にいてめや」(躬恒)
667「下にのみ恋ふれはくるし玉のをの 絶えてみたれむ人なとかめそ」(友則)

—————-
人に知られてはいないか?
そう思うと、背筋が凍る

とにかく今は、あの逢瀬をなかったことにするしかない

紅の色のように
厳冬の朝、笹の葉に置く初霜の様に
決して、顔色になぞ出してはならない

忘れよう
忘れよう

ただそう思うほど、愛しさがこみ上げる

なんという苦しさだろう

いっそのこと、玉の緒が切れるように乱れてしまいたい
誰の咎めも受けずに

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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歌って覚える秋の七草♪


すっかり秋めいてきましたね。
平安歌人たちにとって秋は特別な季節です。

184「木の間より漏りくる月の影見れば 心づくしの秋はきにけり」(よみ人知らず)
心づくし…心の全てを奪われてしまうのです、秋の前では。

桜一辺倒の春とは違い、秋は心奪う景物が沢山あります。
野辺や木々を染める色のようにとりどりに。

代表的なものが月、そして鮮やかな紅葉。
さらに松虫や蜩など虫の音に雁や鹿といった動物たち。
そしてなんといっても、秋といえば美しい草花です。

萩、尾花(すすき)、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗。
これらは「秋の七草」といわれ、万葉の時代に山上憶良が歌に詠んで以来、秋の代表的な草花になりました。
「秋の野に 咲きたる花を ゆびおり かき数ふれば 七草の花 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔(ききょう)の花」(山上憶良)

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この「秋の七草」は古今和歌集において、全て歌中に詠まれています。

女郎花:226「名に愛でて 折れるばかりぞ 女郎花 我おちにきと 人にかたるな」(僧正遍昭)
尾花(すすき):243「秋の野の 草のたもとか 花すすき 穂にいでてまねく 袖と見ゆらむ」(在原棟梁)
撫子:244「我のみや あはれとおもは むきりぎりす なく夕かげの 大和撫子」(素性法師)
藤袴:239「なに人か きてぬきかけし 藤袴 くる秋ごとに のべをにほはす」(藤原敏行)
葛:262「ちはやふる 神のいがきに はふ葛も 秋にはあへず うつろひにけり」 (紀貫之)
萩:211「夜をさむみ 衣かりがね なくなへに 萩のしたはも うつろひにけり」(よみ人しらず)

あれ、「朝顔(ききょう)の花」が見当たりませんね。
実は桔梗は簡単には見つけられない仕掛けが施してあります。

先に答えとなる歌をお見せしましょう。
440「秋ちかう のはなりにけり 白露の おけるくさはも 色かはりゆく」(紀友則)

パッと見ても「桔梗」はないようですが…
実はこの歌は「物名歌」なのです。
物名とは歌の中にある単語を詠み込む技法です。
ですのでよく見ると「きちかうのはな」という単語が見つかります。
これが「桔梗の花」なのです!
まあ、現代の感覚でいうと「きちかう」が「桔梗」だとは気づかないですね。

最後に秋の七草の覚え方を伝授しましょう。
「大きな服は」?
「お(みなえし)・お(ばな)・き(きょう)・な(でしこ)・ふ(じばかま)・く(ず)・は(ぎ)」です。

→関連記事「秋の大混乱、荻と萩と薄
→関連記事「とばっちりだよ女郎花

(書き手:和歌DJうっちー)

古今和歌集 恋歌残酷物語 その23「愛が恐怖に変わる時」

649「君か名も我なもたてじ難波なる みつともいふなあひきともいはし」(よみ人しらす)
650「名とり河せせのむもれ木あらはれは 如何にせむとかあひ見そめけむ」(よみ人しらす)
651「吉野河水の心ははやくとも 滝のおとにはたてしとそ思ふ」(よみ人しらす)
652「恋しくはしたにをおもへ 紫のねすりの衣色にいつなゆめ」(よみ人しらす)

—————-
私は人道を外れた行為を犯した
実の兄の女を奪ったのだ
初めから分かっていたことだったのに
今や恐怖が先に立つ
この関係が表立つことは、なんとしても避けなければならない

どうか愛しいひとよ
私と逢ったことは口が裂けても言わないでくれ
私を恋しく思うのであれば、心の中でひっそりと思っていてくれ
そう、紫の根擦りの衣の様に、顔色になぞ決して出さないと約束してくれ
私も断じて口にすることはない
あなたのことを

一途で純粋な恋心は、もはや罪業の恐れへと変わってしまった

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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恋の和歌はなぜつまらないか?

恋の和歌はなぜつまらないか?
世間一般では「今と変わらぬ恋心に胸キュン必至!」と無条件に礼賛されている感がありますが、
正直申し上げて、恋の和歌は面白いものではありません。

この記事の音声配信「第八回 胸キュン必至? 恋歌を熱く語る!」を
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一応断っておくと、全ての恋の和歌がつまらないと言っているのではありません。
中には男の私がウットリするような歌もあります。
だが大半は、つまらない。

では早速その「つまらない」代表例を古今和歌集からあげてみましょう。
487「ちはやふる 加茂の社の 木綿襷 ひと日も君を かけぬ日はなし」
489「駿河なる 田子の浦浪 たたぬひは あれとも君を こひぬ日はなし」
508「いで我を 人なとがめそ おほ舟の ゆたのたゆたに 物思ふころぞ」
493「たぎつ瀬の 中にも淀は ありてふを なと我恋の 淵瀬ともなき」
509「伊勢の海に 釣りする海女の 浮子なれや 心ひとつを 定めかねつる」
534「人しれぬ 思ひをつねに するがなる 富士の山こそ わが身なりけれ」
604「つのくにの 難波の葦の 芽も張るに しげきわが恋 人しるらめや」
626「逢ふ事の 渚にしよる 浪なれば 怨みてのみぞ 立帰りける」

恋部の前半をざっと見ただけでも、こんなにつまらない歌がありました。
皆さんも同様の感想を持たれないでしょうか?

実はこれらの歌には共通点があります。
それは、「比喩の序詞」で構成されていることです。
そしてその比喩がつまらなさを生んでいる元凶なのです!

例えば
437「襷(たすき)を掛けないことがないように、思いを掛けないことはない」とか
487「浪が立たない日はあっても、君を思わない日はない」さらに
「大船の様な思い」、「激流のような恋」、「海女の浮子(うき)のように揺れる」などなど…

言っては悪いですが、センスのないギャグのように思えます。
これら比喩が現代人の私にとって、全く共感できない。
そう、恋歌がつまらないのは、共感できないからなのです!

ストレートに恋心を表することは下卑とされた時代。
秘めた思いは花鳥風月に例え優美に表現しなければなりませんでした。
そこで多用されるのが、「○○のように思っています」という比喩の序詞。
この例え方が、現代の我々の感覚からあまりにもズレているから、共感できないのです。

つまり恋歌がつまらないのは、下手とか稚拙とかいう理由ではなく、
時代のギャップゆえに共感できないがための結果なのです。

だから序詞の比喩が現代にも共感可能であったり、序詞のない恋歌は、我々もウットリ感じることができます。

例をあげましょう。
まずは共感可能な比喩の序詞として、以下の歌。

479「山桜 霞の間より ほのかにも 見てし人こそ 恋しかりけれ」
春霞に隠れる山桜のように、微かに見えたあなたが恋しい…

542「春たてば 消ゆる氷の 残りなく 君が心は 我に溶けなむ」
暖かくなって冬の氷が残りなく溶ける様に、あなたの心よ、私に溶けてくれ

なんとも美しい…
現代でも十分通用しそうな口説き文句ではありませんか!
(恥ずかしくて言えないだろけど…)

そして、序詞のないストレートな恋歌の例。
552「思ひつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢としりせば さめざらましを」
あの人のことを思いつつ寝たから夢で出会えたのだろか? 夢と分かっていれば目覚めなかったのに

553「うたたねに 恋しきひとを 見てしより 夢てふ物は 思みそめてき」
うたたねで恋しいあの人に出会えてから、夢だけを頼りにしています

理屈のない素直な恋心。
こういう歌は男には詠めません。
実際2首ともかの女流歌人、小野小町の歌です。
→関連記事「小野小町 ~日本的、恋愛観のルーツ~

さて、これで古今和歌集の恋歌がつまらない理由がはっきりしましたね。
→関連記事「和歌の入門教室 序詞

ちなみに序詞による比喩は、「○○の様」とダイレクトに例える「直喩」です。
一方で「暗喩」による恋歌も多数存在すると思います。

例えば以下
46「梅か香を 袖に移して 留めては 春はすくとも 形見ならまし」
あなたの香を袖に移し留めて、別れた後の形見とします…

もらい泣きしそうな切ない別れのシーン。見事な恋の歌ですよね。
しかしこの歌、「春」の歌なのです。
詞書にも男女の別れなどと記してあるわけではなく、表面上は季節の移り変わりを嘆く歌です。
ただこれを暗喩つまり「春」を「思い人」とみれば、恋歌として十分に成り立ちますよ。

四季歌に潜む恋心、探ってみても面白そうです。

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~

→令和の古今伝授(和歌を詠み書くための会、神無月)10/27(日)9:50~11:50