【和歌マニア(第29回)】本当の百人一首は〇〇だった!?

百人一首のイメージが覆る!? 在原業平の超有名な歌「ちはやふる」の功罪。本当の百人一首は華やかな歌集ではなく、超ジミ~な歌集だった。

♪放送で紹介した和歌
「浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人のこひしき」(参議等)
「忍ぶれど 色に出にけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで」(平兼盛)
「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」(元良親王)
「山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば」(源宗于朝臣)

ストップ・ザ・シーズン! ~行く春と来る夏~


春が行き、夏が来る。
一見当たり前のことのようですが、これはあくまでも暦における名目上の変化に過ぎません。

季節は移ろえど、人の心はそう簡単に切り替えられないものです。
一度あれに出会ってしまってはね…
何の話かって?
「桜」です!

古今和歌集の晩春、そこには「藤」や「山吹」の姿もあります。
しかし、存在感を示すのはこのタイミングでも「桜」なのです。

128「なきとむる 花しなけれは うぐひすも はては物うく なりぬべらなり」(紀貫之)
129「花散れる 水のまにまに とめくれば 山には春も なくなりにけり」(清原深養父)
これらの歌で分かるように、桜花はとうに散ってなくなっています。
「花」がない。これはイコール「春」もないということなのです、平安歌人にとって。

130「惜しめども とどまらなくに 春霞 返る道にし 立ちぬと思へば」(在原元方)
131「声たえず 鳴けやうぐひす 一年に 再びとだに 来べき春かは」(藤原興風)
132「とどむべき 物とはなしに はかなくも 散る花ことに たぐふ心か」(凡河内躬恒)
ああ無残!
いくら惜し留めども、その声は届きません。

新古今和歌集になると、春との惜別が明確に意識されて「春暮れる」という言葉になります。

新157「初瀬山 うつろふ花に 春暮れて まがひし雲ぞ 峰に残れる」(藤原良経)
新168「木のもとの 住かもいまは 荒れぬべし 春し暮れなば 誰かとびこむ」(大僧正行尊)
新171「いその神 ふるのわさ田を 打ちかへし 恨みかねたる 春の暮れかな」(俊成女)

春は暮れども花への執着心は決して尽ません。
だって一年間待ちわびてようやく出会えたんですからね。

私から平安歌人へ言えるのはこれだけです。
「気持ち切り替えてこ~♪」

で、むかえた夏。

古今集の夏は、春の余韻を感じさせる間もなく「ほととぎす」が鳴きだし季節を占拠していますが、
→関連記事「夏を独占! ほととぎすの魅力

新古今の夏では、多様な情景が詠まれています。
その代表が「夏衣」。

新175「春すぎて 夏きにけらし しろたへの 衣ほすてふ 天の香久山」(持統天皇)
百人一首にも採られた歌ですね。
「夏衣」つまり「衣替え」で季節の変化を感じるというのは、現代の感覚と同じです。

でもこの「夏衣」少し様子が変です…
新176「惜しめども 止まらぬ春も あるものを いはぬにきたる 夏衣かな」(素性法師)
新177「散りはてて 花の陰なき 木のもとに たつことやすき 夏衣かな」(前大僧正慈円)
新178「夏衣 着ていくかにか なりぬらむ 残れる花は 今日も散りつつ」(源道済)

「夏」といいつつ、未だに「春(桜)」の面影を引きづっている!
女々しいというか、なんというか、、まったく気持ちの切り替えが出来ていません。
心の夏はいつ来るのでしょうね。

やはりアイツに、新しい季節を告げてもらうしかありません。
鳴け、ほととぎすよ!
140「いつのまに 五月来ぬらむ あしひきの 山ほととぎす 今ぞ鳴くなる」(よみ人しらず)

(書き手:和歌DJうっちー)

【和歌マニア(第28回)】アーティスト特集「藤原定家」

神経質な天才アーティスト、その名も藤原定家! 中でも今回は本歌取りを駆使したイメージの歌(象徴歌)をご紹介。和歌界のジャイアンこと後鳥羽院や式子内親王との気になる関係もお話しています。

♪放送で紹介した和歌
「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」
「春の夜の 夢の浮き橋 途絶えして 嶺に分かるる 横雲の空」
「梅の花 匂ひをうつす 袖の上に 軒もる月の 影ぞあらそふ」
「かきやりし その黒髪の すぢごとに うつふすほどは 面影ぞたつ」
「夕暮れは いずれの雲の 名残とて 花橘に 風の吹くらむ」
「白妙の 袖の別れに 露おちて 身に染む色の 秋風ぞ吹く」

百人一首から古今和歌集を眺めて得た発見(百人一首その4)


百人一首から古今和歌集を眺めて、驚きの発見がありました。
古今和歌集とは、紀貫之選者たちによる「歴史的挑戦」の産物だったのです。

古今和歌集を知らなくとも、百人一首なら聞いたことがあるという方は多いでしょう。
ただ一般的にはカルタ遊びとして知られているため、内容まで興味がある人は少ないかもしれません。

古今和歌集と百人一首の違いは大きく二つあります。
一つは古今和歌集が時の権力者による勅撰集であるのに対し、百人一首は藤原定家による私撰であるということ。
もう一つは、古今和歌集は部立によって配列されているが、百人一首は歌人の旧新順に並んでいるという違いです。
→関連記事「古今和歌集とは

上のとおり、百人一首は藤原定家の私撰でありますが、無為に選んでいるわけではなく、基本的に過去の勅撰和歌集の中から選出しています。
百人一首には定家の秘めた暗号があるという説も
・古今和歌集 24首
・後撰和歌集 6首
・拾遺和歌集 11首
・後拾遺和歌集 14首
・金葉和歌集 5首
・詞花和歌集 5首
・千載和歌集 15首
・新古今和歌集 14首
・新勅撰和歌集 4首
・続後撰和歌集 2首

このように勅撰集別の選出数は、百首内の1/4を占める古今和歌集が突出しています。

ではもう少し深堀して、古今和歌集の部立別に選出をみてみましょう。
すると以下の様になります。
・四季(春夏秋冬)13首
・離別 1首
・羈旅 3首
・恋 4首
・雑 3首
※該当の歌は以下参照
(百人一首に選出された古今和歌集の歌)

これを見ると、四季(春夏秋冬)の13首と比較して、恋歌が4首と少ないことが分かります。
でも実は古今和歌集の中で、四季(春夏秋冬)は342首、恋が360首と、恋歌の方が多いのです。
ですので順当に考えると、恋歌がもっと多いか、四季歌が少なくてもよさそうに思えます。

ここでピンときました。
冒頭で百人一首は歌人順に並んでると言いました。
ですので歌の「よみ人」が分からない歌は、定家がもくろむ百人一首の対象ではなくなります。

古今和歌集の恋歌ですが、実は大半が「よみ人知らず」の歌なのです。
恋歌360首のうち、182首が「よみ人知らず」です。
つまり、百人一首に古今和歌集の恋歌の選出が少ないのは、恋歌に「よみ人知らず」が多いから、という仮説を発見できました。

しかしなぜ、古今和歌集の恋歌は「よみ人知らず」が多いのでしょう?
四季(春夏秋冬)歌は、342首のうち「よみ人知らず」は118首ですから、恋歌に「よみ人知らず」が多いのは気になるところです。

では逆に恋歌に名のある歌人はというと、以下になります。
・紀貫之
・紀友則
・壬生忠峯
・凡河内躬恒
・小野小町
・伊勢
・素性法師
・在原業平
・在原元方
※採られた歌が多く、名の知れた歌人が中心に選出

すると3つの特徴が浮かび上がります。
1.選者である(紀貫之、紀友則、壬生忠峯、凡河内躬恒)
2.男ではない(小野小町、伊勢、素性法師※出家しているといことで)
3.色好みと認定されている(元方は分かりませんが、伊勢物語の主人公である業平は認定でしょう)

これをみると、当時まだ男性貴族は「恋歌を公にすることが出来なかった」のではないでしょうか?
ましてや位の高い殿上人などはなおさら。

古今和歌集の仮名序で貫之は、
「今の世の中、色につき… 色好み家に、埋もれ木の人知れぬこととなりて…」と、和歌が色恋でしか歌われなくなった世の中を嘆いていました。

しかしこのような状況にも係わらず、色恋を部に立て360首の歌を採った。
これはとてもチャレンジングなことだったのだと思います。
事実、万葉集はもちろん、貫之達選者が参考にしたと思われる本場中国の「詩経」や「文選」といった漢詩集にも、恋の歌は詠まれども、部立として大々的に恋を取り上げている例はありません。

色恋に埋もれていた和歌を、色恋で復活させる…

この大胆で歴史的な挑戦があったからこそ、以後の源氏物語などの日本を代表する恋物語などが生まれる素地ができ、現代のいわゆるクールジャパンつまり「カワイイ」や「ビジュアル系」などの欧米マッチョ主義とは真逆を行く独自の文化が育った。

ここに改めて、「色恋」文化をフィーチャーした、貫之たち選者のセンスとチャレンジ精神に敬意を表します!

※ちなみに新古今和歌集の時代になると、太上天皇(後鳥羽院)などがバンバン恋歌を詠んでいます。
→関連記事「百人一首はなぜつまらないか

(書き手:和歌DJうっちー)

【参照:百人一首に選出された古今和歌集の歌】

21 春上 「君かため春ののにいてて若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ」(光孝院)
42 春上 「人はいさ心も知らずふるさとは 花そ昔のかににほひける」(紀貫之)
84 春下 「久方のひかりのとけき春の日に しつ心なく花の散るらむ」(紀友則)
113 春下 「花の色はうつりにけりないたつらに わか身世にふるなかめせしまに」(小野小町)
166 夏 「夏の夜はまたよひなからあけぬるを 雲のいつこに月やとるらむ」(深養父)
193 秋上 「月見れはちちに物こそかなしけれ わか身ひとつの秋にはあらねと」(大江千里 )
215 秋上 「おく山に紅棄ふみわけなく鹿の 声きく時そ秋は悲しき」(よみ人しらす)
249 秋下 「吹くからに秋の草木のしをるれは むへ山かせをあらしといふらむ」(康秀 )
277 秋下 「心あてにをらはやをらむ初霜の おきまとはせる白菊の花」(凡河内躬恒)
294 秋下 「ちはやふる神世もきかす竜田河 唐紅に水くくるとは」(在原業平)
303 秋下 「山河に風のかけたるしからみは 流れもあへぬ紅葉なりけり」(列樹)
315 冬 「山里は冬そさひしさまさりける 人めも草もかれぬと思へは」(宗于)
332 冬 「あさほらけありあけの月と見るまてに 吉野の里にふれるしらゆき」(是則)
365 離別 「立ちわかれいなはの山の峰に生ふる 松としきかは今かへりこむ」(行平)
406 羈旅 「あまの原ふりさけ見れは春日なる みかさの山にいてし月かも」(安倍仲麿)
407 羈旅 「わたのはらやそしまかけてこきいてぬと 人にはつけよあまのつり舟」(小野篁)
420 羈旅 「このたひは幣もとりあへすたむけ山 紅葉の錦神のまにまに」(藤原道真)
559 恋二 「住の江の岸による浪よるさへや 夢のかよひち人めよくらむ」(敏行)
625 恋三 「有あけのつれなく見えし別より 暁はかりうき物はなし」(壬生忠峯)
691 恋四 「今こむといひしはかりに長月の有明の 月をまちいてつるかな」(素法師性)
724 恋四 「陸奥のしのふもちすりたれゆゑに 乱れむと思ふ我ならなくに」(融)
872 雑上 「あまつかせ雲のかよひち吹きとちよ 乙女の姿しはしととめむ」(昭)
909 雑上 「誰をかもしる人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに」(興風)
983 雑下 「わかいほは宮このたつみしかそすむ 世をうち山と人はいふなり」(喜撰)

「妄想女子の恋歌日記」~恋萌ゆる3月の巻~

●3月20日「あかぬ君」

花もほころぶ3月、しげく萌ゆるは恋心
この恋、実はちょっと進展あり
なんと、彼とSNSで繋がったの
あ~、彼の一挙手一投足、コンマ一秒も逃さず、ずーっと見ていたい!

春の霞たなびく山桜って、いくら見ていてもぜんぜん見飽きないでしょ?
そんな彼なんだもの

684「春霞 たなびく山の さくら花 見れどもあかぬ 君にもあるかな」(紀友則)

●3月20日「我にとけなむ」

私の願いはただ一つ、
春になってあったかくなって、氷がとけちゃうように
彼のこころのぜんーぶが、私にとけてほしいってこと

妄想しただけで、私がとけちゃいそうよ

542「春たてば きゆる氷の のこりなく 君ば心は 我にとけなむ」(よみ人しらず)

●3月29日「まなくちるとも」

わたし、桜の散る姿って好きじゃない。
一年間あんだけ待たせた挙句、花の盛りはごくわずか

それでいて、これ見よがしにあれよあれよと散っちゃうんだもの
わざと惜しませるような作戦なんじゃない?

桜がいくら絶え間なく数の花を散らすといってもね
私の彼への思いに比べたら、ものの数でもないんだから!

590「我が恋に くらぶの山の さくら花 まなくちるとも 数はまさらじ」(坂上是則)

つづく…
(書き手:和歌DJうっちー)

「妄想女子の恋歌日記」一覧

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百人一首は「ジジイのための歌集」である(百人一首その3)

百人一首について、みなさんはどんなイメージを持たれているでしょうか?
“平安貴族の絢爛豪華な歌集”とか、
“華やかな花鳥風月に彩られた歌集”など。

確かにこの歌からは絢爛な平安絵巻、なんて想像が膨らみます。
百17「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 から紅に 水くくるとは」(在原業平)

紅葉が龍田川を「から紅」という鮮烈な色に染める。
さらに「ちはやふる」というマジックワード(枕詞)と、詠み人の「在原業平」は稀代の色男なんてオマケがついて、華やかさ満開の歌です。

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しかし! 大半の歌はこうではありません。
むしろ色彩のない、シブ~い世界が百人一首なのです。

それが端的に分かるのが「植物」です。

和歌では通常、四季折々の色彩豊かな草木が詠まれます。
春の「梅」「桜」「山吹」に、夏の「藤」「花橘」。秋は七草(萩、藤袴、女郎花…)に紅葉。

まさに色とりどり、華やかな花鳥風月が登場するのですが、翻って百人一首。
もちろん「桜」も「紅葉」もあります。
が、最も多く詠まれている植物は… なんと「雑草」なのです!

39「浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人のこひしき」(参議等)
47「やへむぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね あきは来にけり」(恵慶法師)
51「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな もゆる思ひを」(藤原実方朝臣)

「茅」「篠」「むぐら」「さしもぐさ」や「葦」「しのぶ」なんてのはいわゆる雑草の類です。
これらがなんと11首も詠まれ最多登場。ちなみに桜、紅葉はそれぞれ6首に止まります。

色がないのは何も「四季」の叙景に限りません、「恋」も同様です。

百40「忍ぶれど 色に出にけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで」(平兼盛)
これは「色が出ちゃった」歌ですが、裏を返すと平安歌人は恋愛に「色を出してはいけない」ことが分かります。

「忍ぶ」とか「待つ」とか「思う」とか…
百人一首には恋歌が43首ありますが、このように「感情」を表に出さない、
つまり「色」を出さない歌がその半数以上を占めるのです。

百人一首が絢爛豪華、なんてのは大間違いであることが分かりますね。
言うなればこの百首、「わび」「さび」といったいわゆる「閑寂の美」がつまった歌集なのです。

20「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」(元良親王)
65「恨みわび 干さぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ」(相模)
82「思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり」(道因法師)

「わび」。和歌のそれは「恋の行き詰まりに苦悩する状態」です。
そんな沈鬱な状態に、「色」なんて表れるものではありませんね。
→関連記事「日本文化の最重要ワード わぶ(わび)を知る!

そして「さび」。
28「山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば」(源宗于朝臣)
47「八重むぐら 茂れる宿の 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり」(恵慶法師)
70「寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ」(良暹法師)

人気のない山里、荒れた住まいで孤独に生きる、そんな寂寥の情景にふっと描かれる秋の色。
和歌の「さび」とは「対照の美」です。
貧しければ貧しいほど、日常の花が際立って美しくみえる…
そこに「色」、なんてのはかえって邪魔になるだけです。

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」(藤原定家)
→関連記事「三夕の歌 ~秋の夕暮れベスト3~

千利休の秘伝書といわれる「南方録」には、この歌がわび茶の心であるという言葉(竹野紹鴎)が残されていますが、この歌の作者である藤原定家こそが、百人一首の撰者なのです。

定家が撰んだ百首の中には、「わび」とか「さび」といった明示的な言葉がなくとも「閑寂の美」が感じられる歌があります。

3「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(柿本人麻呂)
5「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」(猿丸大夫)
34「誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに」(藤原興風)
45「あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたずらに なりぬべきかな」(謙徳公)
56「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな」(和泉式部)
66「もろともに あはれと思え 山桜 花よりほかに 知る人もなし」(前大僧正行尊)
68 「心にも あらで憂き世に 長らへば 恋しかるべき 夜半の月かな」(三条院)
83「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」(皇太后宮大夫俊成)
84「長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」(藤原清輔朝臣)
91「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」(後京極摂政前太政大臣)
93「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも 」(鎌倉右大臣)
100「百敷や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり」(順徳院)

これらは一例ですが、百首の大半は「色」のないシブ~い歌たちです。

百人一首は子供向けの遊び、なんて捉えられている感がありますが、とんでもない。
年を経てこそ趣が堪能できる、寂れた秀歌集なのです。

→関連記事「百人一首はなぜつまらないか
(書き手:和歌DJうっちー)

【和歌マニア(第27回)】「あやめ」と「紫草」のもやもや紫

今回は和歌で詠まれる「色」に注目! 「あやめ」と「紫草」の「紫」感じるむらむら? もやもや? の正体を探る! 花菖蒲に草菖蒲、いずれ「あやめ」か「かきつばた」。ついに永遠の貴公子、光源氏がご登場!?

♪放送で紹介した和歌
469「ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ あやめもしらぬ 恋もするかな」(よみ人しらず)
新220「うちしめり あやめぞ香る ほとときす なくや五月の 雨の夕暮れ」(藤原良経)
867「紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る」(よみ人しらず)
「手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草」(光源氏)

【和歌マニア(第26回)】妄想女子の恋歌日記(恋萌ゆる3月の巻)

古今和歌集の恋歌を現代の妄想女子が日記にしてみたらこうなった! 「ずっと見てたい♡」「ぜ~んぶ、とけてほしい♡」「あいつには負けないんだから!」。今も昔も恋する女子の妄想は止まらないのだ。

♪放送で紹介した和歌
684「春霞 たなびく山の さくら花 見れどもあかぬ 君にもあるかな」(紀友則)
542「春たてば きゆる氷の のこりなく 君ば心は 我にとけなむ」(よみ人しらず)
590「我が恋に くらぶの山の さくら花 まなくちるとも 数はまさらじ」(坂上是則)

→令和の古今伝授(和歌を詠み書くための会、長月)9/22(日)9:50~11:50