風の音に涼しき声をあはすなり夕山影の谷の下水(為家女)

今日の詠み人は為家女(為子)、藤原為家の娘である。だからといって為子なんて名前はあんまりだ! と考えるのは現代人の感覚である。さて、今日の歌も涼しさを望む「水」が詠まれている。風と谷下のせせらぎの音が調和して耳から一服の涼を得る、という趣向だ。ポイントは夕山影であろう、この風景を添えることで気温が5度くらい下がった、あくまでも印象の話であるが。また三句を正直に「なり」で締めたところも気持ちいい。
今日までの数首でお気づきの方もいるかもしれない、そう、和歌の季節はだいぶ秋に近づいている。

(日めくりめく一首)

和歌の入門教室【実践編】「詠みぶり(作風)を意識して詠む」

先日の入門教室では和歌の詠みぶり(作風)についてご紹介しました。
典型的な古典和歌とはどのようなものか、おおよその要点がご理解頂けたかと思います。
→関連記事「和歌の入門教室 詠みぶり(作風)を知る

それではその詠みぶり(作風)のパターンに基づいて、実際に歌を詠みわけてみましょう。

題は「向日葵(ひまわり)」です。
向日葵は今でこそ夏を代表する花ですが、日本伝来は17世紀頃なので当然勅撰集で歌われたことがないテーマです。
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堰きとむる山下水にみ隠れて住みけるものを秋の景色は(法眼実快)

今日の歌も昨日の俊恵の趣向に近い、法眼実快というから詠み人もおそらく同じ坊主であろう。しかしちょっと面白いので取り上げてみた。なにかといえば結句の余韻である。『堰き止めた山かげを流れる水に見え隠れして住んでいたものを、秋の景色は…』。って、その続きなに!? とツッコミを入れたくならないだろうか? 実はこれ、見え隠れして住んでいたのは詠み人ではくて「秋の景色」なのである。ようするに結句と四句を倒置して、秋の景色を擬人化すべきなのだ。すると『涼しい山下水に見え隠れして、秋の景色が住みついているんだなぁ』となって、情趣あるおもしろい歌になる。

(日めくりめく一首)

岩間もる清水を宿に堰きとめてほかより夏を過ぐしつるかな(俊恵)

納涼の手段はいろいろあれど、海水浴にプールやはり定番は水遊びで間違いない。それは昔もおんなじで、和歌でも晩夏のころには「水」にちなんだものが詠まれる。『岩の間から漏れた湧き水を、ちゃっかり俺んち家へ流れるように堰き止めて、涼しい夏を過ごしてます(笑)』。まさに我田引水であるが、嫌味がないのは詠み人が俊恵であるからだろう。俊恵と言えば父はかの大歌人源俊頼、恵まれた家筋に生まれながら早々に出家、白川に歌林苑という庵を結び悠々自適に暮らした。今日の歌は隠者に相応しい一首である。

(日めくりめく一首)

夏ふかみ玉江に繁る葦の葉のそよぐや船の通ふなるらん(藤原忠通)

今日も千載集から、珍しい題で詠まれた歌をご紹介しよう。詞書には「水草隔船といへる心をよみ侍りける」とあるので、題はそのとおり“水草を隔てる船”だ。歌には…『夏も盛りの美しい入り江で繁る葦、その葉がそよいで、ああ船が通っているのだ』とあり、水草というからてっきり睡蓮などを想像したが、ここでは葦の葉が歌われていた。確かに和歌において川辺の定番は葦であろう、しかし個人的にはもう少し発想を変えてほしいところだ。まあいずれにせよ上流貴族の風流な水遊びの風景である。作者は藤原忠通、従一位で摂政たる人の詠みぶりだ。

(日めくりめく一首)

春秋も後の形見はなきものを氷室ぞ冬の名残なりける(覚性入道親王)

新古今集の影に隠れがちだが、俊成が編纂した千載集も一字千金の見事な歌集だ。滑稽に傾いていた勅撰集の歌風を王道たる古今調に戻し、次の新古今への道筋をつけた。全体的な評価はこうだが、子細をみるとまた面白いことに気づく、それは題の多様さだ。今日の歌もその一つ、「氷室」である。もちろん80年代にブレイクしたロックシンガーではない、冬の氷や雪を蓄えておく室つまり昔の冷蔵庫である。『夏になると春と秋の形見なんてまったくないけど、氷室は冬の名残を留めてるよね~』。すまない前言を撤回せねばならない、いつもより滑稽だネ。

(日めくりめく一首)

和歌の入門教室 「詠みぶり(作風)を知る」

枕詞や掛詞など、和歌には独特の修辞法があります。しかしこれらがなくとも、和歌にはやはり和歌らしい作風というものがあるのです。今回は実例を交えて、和歌の作風いわゆる「詠みぶり」を探ってみましょう。

まずは上部のマトリックス図をご覧ください。
以前もご紹介した「正述心緒」と「寄物陳思」を横軸に、「狂言綺語」と「実相観入」を縦軸を据えています。ここに様々な詠みぶりをプロットして、その違いを直感的に理解して頂こうと思います。(ちなみに円の大きさは使用頻度の目安です)
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夕立の雲飛びわくる白鷺の翼にかけて晴るる日の影(花園院)

『夕立の雲を飛び分けてゆく白鷺、その翼に雲を引っ掛けて太陽が見え出した』。花園院の写生歌、と言いたいがおそらく実景ではなかろう。夕立を降らせた白雲の名残、そこを飛びわたる白鷺に照り始めた太陽! おそらく院が思い描く理想的な夏空が描かれている。ところが、あまり良くない。なんとなれば言葉を詰めすぎなのだ。「飛びわくる」もしくは「翼にかける」このどちらかで十分、太陽を誘い込む白鷺の形容は成し遂げられるだろう。

(日めくりめく一首)

おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨の名残に(藤原清輔)

『いつの間にか涼しくなってきたようだ。夏衣の紐を結う、夕暮れの雨の名残で』。上下が倒置されているが、なんということもない歌だ。少しの違和感があると思うが、それは「夏衣」の縁語として選ばれた四句「紐結ふ」に発する。ご理解の通り「夕暮れ」の掛詞となって、涼しさの原因(夕立の雨の名残)に帰結している。もし夕暮れに紐を結う行為が何事か意味をなせば歌も膨らむが、ここでは言葉遊びに留まる。ちなみに和歌で「紐解く」には「愛しい人に逢える」というジンクスを含む。

(日めくりめく一首)

庭のおもはまだ乾わかぬに夕立のそらさりげなく澄める月かな(源頼政)

なぜに定家は頼政をかの百人一首に選ばなかったのだろう。今日の歌はそこいらの歌人では決して詠めない秀歌である。『夕立に濡れた庭はまだ乾かぬままに、空には澄みきった月が昇っている。あぁ美しい!』。情景の切り取り方もさることながら、三句「夕立」の配置は絶妙だ。野暮は「夕立に降られた庭の面の」などとやりそうなところを、思い切って省略しかつ倒置している。それが下句にダイレクトに連結して、黒雲と清空との対比が見事に成功。その結果、月の美しさは際立っている。また「そら」の使いどころも心憎い、もちろん「空」であるが接頭語の響きもあって、図らずも出会った「美」への感動を添加する。計算の力量と天賦の才がなければ詠めない歌だ。

(日めくりめく一首)

→「わくわく和歌ワークショップ(葉月の会)」8/25(日)9:50~11:50