古今和歌集 恋歌残酷物語 その17「恋の弓ひく」

古今和歌集 恋二【605】「手もふれて月日へにけるしらま弓 おきふしよるはいこそねられね」(貫之)
古今和歌集 恋二【610】「梓弓ひけは本末わか方に よるこそまされこひの心は」(列樹)

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梓弓(あずまゆみ)

思いを寄せる

今夜もひとり

白真弓(しらまゆみ)

心を射抜き

共寝できたら

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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和歌の入門教室 特別編 「古今和歌集 四季の景物一覧表」

古今和歌集の四季歌(春夏秋冬)で登場する主要な景物をリストアップし、詠み出し順に並べました。
これで四季の変化を表する対象とその流れが一目瞭然です。
また「花」「気象」「鳥獣」に分類しているので、歌を詠む際に「霧に紛れる鶯」といった取合せの間違いを犯すこともありません。

それにしても、「秋」には突出した多様性がありますね。
源氏物語に「春秋争い」(春と秋はどちらが素晴らしいか、その代名詞とされる紫の上と秋好中宮が競い合う)の場面がありますが、古今和歌集の景物数を仮に美の対象数とすると、「秋」に軍閥が上がりそうです。

季節

気象

鳥獣
【春】
白梅
紅梅
若菜
青柳


山吹



春雨

春霞
白雲

百千鳥
呼子鳥
(帰)雁
【夏】
花橘
卯の花

常夏
五月雨 郭公
【秋】 早苗
紅葉
秋萩
忍草

紅葉
女郎花
藤袴
花薄
大和撫子
月草
草木
木の葉


白菊
河風
初風
秋風


白露
秋霧

朝露

時雨
秋露

山おろしの風


きりぎりす
鈴虫
松虫

稲負鳥
鹿
【冬】


冬草



白雪

(書き手:和歌DJうっちー)

古今和歌集 恋歌残酷物語 その16「純心」

古今和歌集 恋二【601】「風ふけは峰にわかるる白雲の たえてつれなき君か心か」(壬生忠峯)
古今和歌集 恋二【602】「月影にわか身をかふる物ならは つれなき人もあはれとや見む」(壬生忠峯)

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峰に引き裂かれる、白雲の嘆き

思い描くことさえ、貪汚(たんお)の咎

ああ、天井の月影よ

その真澄な光があれば

この純潔が伝わるだろか

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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和歌(習志野)「引き別れ 涙にそぼつ 袖ヶ浦 恨めど寄せる 思いこそすれ」

「ひきわかれ なみだにそぼつ そでがうら うらめどよせる おもいこそすれ」(和歌DJうっちー)

「袖ヶ浦」は習志野市臨海部に位置する町名。
住宅地を京葉道路が分断する。

※「引く」、「寄せる」は「浦」の縁語
※「そぼつ」は「濡れる」の意

VISUAL書句(SHOCK)「うぐひす」

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東風のいろ

 漏れる溜息

  春はきぬ

   凍れる刃

    今ぞ溶けぬる

霞立ち

 闇にまがへる

  横顔に

   触れる切先

    かすかな匂い

輝ける

 花に手向ける

  エメラルド

   涙に宿す

    狂気の愛

移りゆく

 無残な乙女

  薄紅の

   命を奪い

    蒼空を舞う

作:KATSUHIRO
題:VISUAL書句(SHOCK)「うぐひす」
「VISUAL書句(SHOCK)」とは 

古今和歌集 恋歌残酷物語 その15「孤独」

古今和歌集 恋二【583】「秋の野にみたれてさける花の色の ちくさに物を思ふころかな」(紀貫之)
古今和歌集 恋二【584】「ひとりして物をおもへは秋の夜の いなはのそよといふ人のなき」(凡河内躬恒)
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秋風が身にしみる

悶々とする気持ちはまるで、秋の野に乱れ咲く花々のようだ

しかし、こやつらはまだいい

すぐ傍に悲しみを分かちあえる友がいるのだから

私は孤独だ

慰め声を掛けてくれる友などいない

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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和歌(平成題詠)「世の中を 鈍色に染む 五月雨は ひと花がため 白玉となる」

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【五月雨】
「よのなかを にびいろにそむ さみだれは ひとはながため しらたまとなる」(和歌DJうっちー)

六月になり、梅雨入りも間近です。
さみだれは「五月雨」と書きますが、梅雨の雨のことです。旧暦が故に生じる混乱のひとつですね。ちなみに五月晴れは、梅雨の合間の晴れのことです。

さてこの季節、誰もが鬱陶しく過ごすものです。
ただ一つ、喜ぶものがあるとしたら、それは梅雨の花「紫陽花」かもしれません。
梅雨の雨も、紫陽花には優しく寄り添います。

和歌(平成題詠)「焼け付いた アスファルトを 切り裂いて 朗らに伸びる タンポポの花」

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【タンポポ】
「やけついた あすふあるとを きりさいて ほがらにのびる たんぽぽのはな」(和歌DJうっちー)

タンポポは軽視されてやしないか
あの「生命力」、あの見事な「変容」、そして何よりあの鮮やかな「黄色」
まことに美しい花であるが、いかんせん身近にありすぎる
同情をこの歌に寄せよう

今は「和歌」を詠めない時代か?

現代において「和歌」は詠むどころか、その単語自体を耳にすることも皆無です。
もしかして「和歌」は文化の絶滅危惧種ではなく、既に絶滅してしまったのでしょうか?
なにせ宮内庁で行われる伝統的な「歌会」においても、歌は「短歌」と記されているくらいですから。

念のため、何度もしつこいようですが「和歌」と「短歌」は180度異なるものです。
明治期になって「和歌」から「短歌」に変わった、というような解説は全くデタラメだと言っていいでしょう。
「短歌」は「和歌」に対するアンチテーゼから、カウンターとして発生したものなのです。その本質が相容れるはずもありません。

「手弱女」vs「益荒男」
「優雅」vs「平俗」
「印象」vs「写実」
「客観」vs「主観」…

とにもかくにも、反発し合う関係です。

そしてこの勝負、「短歌」の方に軍閥が上がりました。
明治という、急進的に欧米化を進めた時代も後押ししたのでしょう。
ただ不思議なのはその潮流が現代も続いていることです。

なぜでしょう。
人々は「優雅」を必要としなくなったのでしょうか?
そうは思えません。

であるとしたら、一つの仮説が浮かびます。
現代は和歌に歌う「自然」を失った、のではないか?

ビルが群生する都市に住む我々にとって、春を告げる「鶯」や秋の憂いを誘う「雁」などの景物を普段目にすることはありません。
季節の変化を知るのは、さしずめ「温度」と「イベント」といったところです。
これでは「和歌」を詠めなくて当然かもしれません。

しかし、殊更に嘆くことはないのです!
「歌人は歌枕によって名所を知る」という言葉があります。
平安歌人も屏風絵や庭園など作り物や創造の風景によって歌を詠んでいたのです。
平安京という大都市に住んでいながら、噂に聞く「逢坂の関」「吉野の桜」「富士の煙」を歌にしていたのだから、我々との感覚に大差はないのです。

そして、春には「桜」、秋には「月」が変わらずあり続けている。
これで十分、平安歌人と繋がっているではありませんか。

結論、やはり今でも耽美を求める「和歌」は詠めるのです。

(書き手:和歌DJうっちー)

古今和歌集 恋歌残酷物語 その14「恋に死ぬ」

古今和歌集 恋二【568】「しぬるいのちいきもやすると心みに 玉のをはかりあはむといはなむ」(藤原興風)
古今和歌集 恋二【571】「恋しきにわひてたましひ迷ひなは むなしきからのなにやのこらむ」(よみ人しらす)

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あなたに逢えないのなら、もはや生きている意味もない

いっそのこと「死んでしまおうか」幾度もそう思った

しかし私の心は、未練がましくもあなたを求める

安っぽい決心はいとも簡単に崩れ、無様に生き恥をさらす

ああ、あなたに一目でも逢うことができたら、生きる希望となるだろに

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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「源氏物語」訳本

今回は、お勧めの「源氏物語」訳本をご紹介します。
漫画や「○日で読破」という簡易な本で得られることはやはりそれなりです。
いろんな方が訳本を出しているので、ざっと読み比べ、文体など自分の好みにあった訳本を読んでみるといいです。

「窯変源氏物語」

窯変と題されるとおり、単なる現代語訳ではなく著者である橋本氏の色に染められた源氏物語です。
原作を補完するかのような、著者独自の美しい風景描写も魅力ですが、なんといってもこの本の魅力は、ストーリーが光源氏の語りによって進行していくところです。
これによって、光源氏ひいてはそれと関わっていく多数のキャラクター達へ、自然と感情移入出来てしまうのです。
これは他の源氏物語の訳本にない大きな特長です。他本で挫折した方には、是非この「窯変源氏物語」をお勧めします。

窯変 源氏物語〈1〉
橋本 治

「源氏物語 (ちくま文庫)」

こちらは源氏物語の訳本なのですが、著者の解説が細かく挿入されていて、それだけ読んでいても十分面白いです。
とくに下ネタに関する解説には力が入っています!

源氏物語〈第1巻〉桐壺~賢木 (ちくま文庫)
大塚 ひかり

古今和歌集美の系譜 ~紀貫之からX JAPANへ~

紀貫之から始まる「古今和歌集」の美の系譜が
「X JAPAN」に繋がっている、と言ったら驚かれるでしょうか?

X JAPANとは言わずもがな、ヴィジュアル系の先駆者であり現在も影響力のあるアーティストです。
ちなみに「ヴィジュアル系」ですが、wikipediaには「視覚表現により世界観や様式美を構築するものであり、特定の音楽ジャンルを示す呼称ではない」と説明されています。
ただその「視覚表現」に捉われると、いつまでたっても「古今和歌集」は現れてはきません。
その繋がりは、歌(歌詞)に見ることができます。

X JAPANの楽曲の歌詞を眺めてみると、「夢」「涙」「記憶」「孤独」「夜」「薔薇」といった単語が多いことに気付きます。
彼らの歌に描かれているのは、寂寥感を夢や幻想で埋める孤独な男。
※例えば以下の楽曲
『Silent Jealousy』
『Rusty Nail』

早速答えに近づきました。

そう、これは古今和歌集の「恋歌」です。

「恋歌」には全360首の歌が収められていますが、そこにあるのは「叶わぬ恋」や「失った恋」への煩悶。
愛しい人を失い孤独に忍び泣き、欠落した愛情を雪月花に求める…
なんという女々しさの極致でしょうか。

同じ男としては「もっと積極的にいけ」とか「もっと前向きになれ」とかアドバイスしたくもなりますが、言っても無駄でしょう。
なぜならばこれが彼らの「美学」なのだから。

そしてこの美学を共有しているのが、X JAPANはじめとするヴィジュアル系なのです。

彼らの歌に描かれるのも煩悶する孤独な男。その悲劇を美しい「情景」にこめて歌う。
この情景美こそが、ヴィジュアル系を「ヴィジュアル系※」たらしめている要点といえます。
※これはX JAPANに限らず、LUNA SEAや黒夢といった同時期から活躍しているヴィジュアル系アーティストにも共通する傾向です。

一方でヴィジュアル系は、新しい美的表現を備えています。
それは攻撃的なサウンドです。
当初はへヴィメタルに括られることもあったX JAPANは、寂寥の歌詞を甚大で高速なサウンドに載せる。
「柔」と「鋭」とのギャップが絶妙に調和した、ヴィジュアル系ならではの新しい優美の世界を創り出したのです。
ここに進化した古今和歌集の形が見えるではありませんか。

文化とは、進化してこそ文化なのです。
寂寥感に酔いしれたまま、進化の途絶えた和歌は、明治依頼の欧米マッチョイムズの前にひとたまりもなく潰さてしまいました。
しかし平成になり、このヴィジュアル系によってようやく進化を遂げたのです。

(書き手:和歌DJうっちー)

古今和歌集 恋歌残酷物語 その13「愛しさ繁る」

古今和歌集 恋二【560】「わかこひはみ山かくれの草なれや しけさまされとしる人のなき」(小野よしき)
古今和歌集 恋二【562】「ゆふされは蛍よりけにもゆれとも ひかり見ねはや人のつれなき」(紀友則)

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愛しく思えど思えど、あの人に伝わることはない。

いったいこの恋に、恋の価値はあるのだろか?
ただ虚しく辛いだけではないか?

それでも、恋の感情は募りゆく

あの山深い草の繁みよりも
あの蛍の光よりも

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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和歌(平成題詠)「ほととぎす なきなき渡り 大空を ラムネに染むる この夏近し」

【ほととぎす】
「ほととぎす なきなきわたり おほそらを らむねにそむる このなつちかし」(和歌DJうっちー)

子規のほととぎすの取合せに触発されました。
「ラムネ」という言葉には、幼気やノスタルジックといったイメージを抱かせる、なんとも不思議な魅力があります。

■本歌
「ラムネの栓天井をついて時鳥」(正岡子規)
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古今和歌集 恋歌残酷物語 その12「夢に祈る」

古今和歌集 恋二【552】「思ひつつぬれはや人の見えつらむ 夢と知りせは覚めさらましを」(小野小町)
古今和歌集 恋二【553】「うたたねに恋しきひとを見てしより 夢てふ物は思みそめてき」(小野小町)
古今和歌集 恋二【542】「いとせめてこひしき時はむは玉の よるの衣を返してそきる」(小野小町)

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あの人に会えた。

それは夢のなかだったけれど、この手には温もりが残っている。

思いつつ寝れば、また会えるのだろか?

もしそうなら、永遠に夢から覚めなくてもいい。

(書き手:和歌DJうっちー)
→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~
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ほととぎす、夏のヘビーローテーション


「夏」といえば、何を連想しますか?
現代の感覚でいえば、「海」「ひまわり」「かき氷」など、人それぞれ沢山の景物が挙げられそうです。

それでは古今和歌集的、夏といえば何か?
それは「ほととぎす」一択です。

この記事の音声配信「第31回 夏到来! 日本の夏、ほととぎすの夏」を
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古今和歌集の「夏」部の歌は34首しかありませんが、そのうちなんと28首に「ほととぎす」が登場するのです。
→関連記事「「夏、それは平安貴族の最たる苦痛」)」

これは「テッペンカケタカ」または「トッキョキョカキョク」などと真似される「ほととぎす」の曲(鳴き声)が、夏のあいだ延々と繰り返される、いわば「夏のヘビーローテーション!」といった感じですね。
ちなみに「新古今和歌集」になると、夏部に「五月雨」「蛍」「ひぐらし」なんてのも詠みこまれ、ほととぎす一辺倒だった偏りが解消されています。

さて、その「ほととぎす」の曲ですが、たんなる夏を飾る鳴き声にとどまらず、
なんと「思慕の念をかき立てる!」という効果を含んでいます。

143「ほととぎす 初声きけば あぢきなく 主さだまらぬ 恋せらるはた」素性法師
145「夏山に なくほととぎす 心あらば もの思ふ我に 声なきかせそ」(よみ人知らず)
162「ほととぎす 人まつ山に 鳴くなれば 我うちつけに 恋まさりけり」(よみ人知らず)

ほととぎすの声を聞くことで、恋心がさらに増してしまう…
そんな効果があることで、より深みのある歌になります。

また同じく夏の景物の一つ「橘」。これは「昔の人を思い出す」という効果があります。
139「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(よみ人知らず)

このように和歌の代表的な景物には、ある決められた効果(設定)があるのが通例です。
これを知らないと正しく詠歌できないことはもちろん、歌の本意も理解できないという状態に陥ります。
和歌が教養を要するというのは、こういったルールを会得する必要があるからですね。
→関連記事「和歌と短歌の違い(2) ~歌ことば編~

ところで「ほととぎす」といえば、明治の歌人「正岡子規」が思い起こされます。
「子規」は「しき」と読みますが、これは「ほととぎす」に当てられた漢字の一つでもあります。
ちなみに「ほととぎす」には「郭公」、「子規」、「時鳥」、「杜鵑」、「杜宇」、「蜀魂」、「不如帰」、「霍公鳥」、「田鵑」といった沢山の漢字表記があります。

古今和歌集ならびに紀貫之を通例に批判した正岡子規が、その俳号に古今和歌集を代表する鳥を選んだことは、興味深い因縁ですね。
その由来は「血を吐くまで鳴く」と言われる「ほととぎす」と、結核になり吐血した自分を重ね合わせたから、と言われていますが、子規は純粋に「ほととぎす」に魅了されていたように思えます。
なぜなら子規が詠じた「ほととぎす」が、愛情とバラエティに富んでいるからです。

「松山市立子規記念博物館」のサイトで季語「時鳥」で検索すると、306件の俳句が閲覧できます。
その中で、私が選んだ子規の「ほととぎす」ベスト3をご紹介しましょう。
→「松山市立子規記念博物館

○「一声や大空かけてほとゝきす」
明治の俳句らしい、力強さのある「ほととぎす」です。

○「月もなし時鳥もなし風の音」
藤原定家にも通じる、寂寥感のある「ほととぎす」です。

○「ラムネの栓天井をついて時鳥」
いつそこにいた!? っていう感じで突拍子もなく現れる「ほととぎす」です。

春の「鶯(うぐいす)」と比べると、現代では少し馴染みの薄い「ほととぎす」。
でも本当は「夏のアイドル!」ってくらい魅力的な鳥だってこと、ぜひ知っておいてください。

ほととぎすの鳴き声を知らないという方は、Youtubeという便利なものでぜひお聴きください。

愛しい人が思い起こされましたか?

(書き手:和歌DJうっちー)

夏、それは平安貴族最大の苦痛


平安貴族にとって、最大の苦しみはなにか?
叶わぬ恋? それとも極貧ボンビー生活??
いやいやそんなもんは「世のならい」として、当然に受け止めています。

平安貴族にとって最も辛いこと、それは「夏の暑さ」です!

人間、本当に辛いことこそ、なかなか言葉にできないものです。よね?
だからですよ、古今和歌集の「夏歌」。
たった34首しか歌がないんです。「春」は上下134首、「秋」は上下145首の歌があるのに!

夏は草花が繁にしげ、虫も騒々しく、歌の景物に事欠かない季節です。
それにあのジリジリと焦がれる太陽、それを「わが恋心」に見立てて歌ってもいいじゃないですか!
だがそんなことは決してしない…

かろうじて「ほととぎす」に恋心を触発されるくらいで、ほとんど無気力、無関心です。
→関連記事「古今和歌集にほととぎすあり

もう口を開くのも面倒なくらい嫌いだったんですよ、夏のことが。

あの寝殿造りを見てください。
仕切りをトコトンなくして、風通しを最優先させたのです。
「涼しい風こ~い」って。

あの着物見をてください。
袖口を大きく開け放って、風通しを最優先させたのです。
「涼しい風こ~い」って。

いくら「スースー」したって、冬の寒さはなんとか我慢できる、
ただ夏の暑さだけはどうしようもない!
衣住を見ても、夏が半端なく辛かったことがヒシヒシと伝わってきます。

だからでしょうか。
「秋」の訪れを真っ先に知るのは、涼やかな「秋風」なのです。
「おおー、秋風きたー」って感じで。
→関連記事「秋の訪れを知る、秋風の音

平安貴族にとっての秋の到来は、
月や紅葉など美しい景物との出会いの始まりと同時に、大っ嫌いな「夏」からの解放を意味していたのです。

「心づくしの秋は来にけり!」
いろんな感情が、この一言に込められているわけです。

(書き手:和歌DJうっちー)

「歌よみに与ふる書」に与える書

子規は下手な歌人にて、近代短歌などくだらない歌の集まりである。
その代表歌「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」などは実にあきれ返った無趣味の歌である。彼は写生主義・写実主義、つまり見たまま感じたままを歌にすることを重んじていたが、なるほどこの歌もご多分に漏れず情景の一面をただ切り取ったのみで、その奥に広がるような美の余韻は全くもって感じられない。写生主義というのは、単に個々人の主観的な美的感覚であるからして、第三者が同様に美を感じられるかなどは全く期待できないのである。
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日本文化のバイブル、古今和歌集とは何か

古今和歌集は醍醐天皇の勅命により、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑によって編纂された最初の勅撰和歌集。
ここに収められた1100首の心・姿は日本文化の規範となり、今に至るまで影響を与え続けています。

その特徴は大きく二つあります。
一つは「部立て」。
部立とはいわゆる歌のカテゴリーで、古今和歌集は以下20の部立で構成されています。
「春(上下)、夏、秋(上下)、冬、賀、離別、羈旅、物名、恋(一~五)、哀傷、雑(上下)、雑体、大歌所御歌」

誕生、旅立ち、恋愛、老い、死。古今和歌集の部立は人生の縮図といえましょう。
特筆すべきは「四季(春夏秋冬)」と「恋」、これら二つで歌集の半数以上(702首)を占めるほど関心が高く、これはそのまま日本文化の二大テーマとなりました。

よく「日本の特徴は?」という質問に、「四季があること」などと答える人がいますが、四季がある国なんていくらでもあります。でもそう捉えている人は多い、なぜか?
それは日本文化が、古今和歌集で築かれた四季への愛着と美意識を前提に成り立っているからです。

また、いわゆる「奥ゆかさ」などに日本人の特徴を見る人もいるでしょう。これは古今和歌集の「恋歌」で紡がれた価値観に由来します。
互いに求めて得られる充足の感情を「愛」だとすれば、求めても決して得られない希求の感情が「恋」。
忍ぶ女に、待つ男。すれ違い続ける男と女は結ばれることなく、ただ夢に希望を託すばかり。この受容的、忍従的な恋の抒情を「美」、別の言葉で「あはれ」として打ち立てたのが古今和歌集なのです。

→関連記事「5分でわかる恋歌の全て ~古今和歌集 恋歌残酷物語(総集編)~

古今和歌集のもう一つの特徴が、歌の「配列」です。
実例として、「春」から数首見てみましょう。
1「年のうちに 春はきにけり ひととせを 去年とやいはむ 今年とやいはむ」(在原元方)
2「袖ひぢて むすびし水の 凍れるを 春立つけふの 風やとくらむ」(紀貫之)
3「春霞 たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に 雪はふりつつ」(よみ人しらす)

年が明け、春風が吹き、霞の中雪が降る…

次いで「恋」。
469「ほととぎす なくやさ月の 菖蒲草 あやめもしらぬ 恋もするかな」(よみ人しらず)
470「音にのみ きくの白露 夜はおきて 昼は思ひに あへず消ぬべし」(素性法師)
471「吉野河 いは浪たかく 行く水の はやくぞ人を 思ひそめてし」(紀貫之)

まだ噂でしか知らない人、恋に気づき、思い悩む日々が始まる…

このように古今和歌集では、歌と歌が互いに寄り添いながらゆっくりと変化していきます。とどのつまり選者達は、四季や恋の「移ろい」それ自体に美を見い出したのです。
絶えなく変化する森羅万象、それを留めようとする永遠に叶わぬ希求。このギャップによって生じる葛藤、虚無、滑稽そして絶望こそが古今和歌集が描く美の本質です。

紫式部の「源氏物語」、世阿弥の「風姿花伝」、松尾芭蕉の「猿蓑」、尾崎紅葉の「金色夜叉」、三島由紀夫の「豊饒の海」。
これら代表的な文学作品はもちろんのこと、文学、書画、芸事など狭義の日本文化、果ては日常生活における季節感、恋愛観において、私たち日本人はすべからく古今和歌集で紡がれた美意識の下に生きているといって過言ではありません。
まさに日本文化のバイブル!

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紀貫之は古今和歌集の「仮名序」にこう記しました。

「たとひ時移り 事去り 楽しび哀しびゆきかふとも この歌の文字あるをや(略)歌の様をも知り この心を得たらむ人は 大空の月を見るがごとくにいにしへを仰ぎて 今をこひざらめかも」
古今和歌集(仮名序)

大空の月を見上げる様に昔の日本への思いを寄せれば、古今和歌集が出来た時代を恋慕わないことなんてない…
→関連記事「貫之様にインタビューしてみた ~古今和歌集 仮名序妄訳~

古今和歌集はなにも遠い過去の遺物ではありません。
歌を愛するこころさえあれば、いつでも私たちを迎え入れてくれます。あたたかく。

さあみなさん、和歌を通じて日本美の深淵を探りに行きましょう!

→「平成和歌所の歌会

(書き手:和歌DJうっちー)