今こそ「和」を求めよう!

和歌とは現代短歌、俳句の元となった日本の伝統的な詩歌の総称です。
本来、万葉集に見られるように、伝統的な詩歌には長歌、旋頭歌そして短歌といった複数の形式が存在しました。それが次第に三十一文字(五・七・五・七・七)の短歌のみが好まれるようになり、905年に編纂された初代勅撰集「古今和歌集」になると、採られた歌のほとんどが短歌となります。
では古今“短歌集”でもよかったんじゃないか? とも思えますが、ここであえて“和歌集”としたのには理由があります。それは漢詩への対抗です。万葉集から古今集に至るあいだ、宮中は漢風文化が席巻していました。勅撰漢詩集は三つも編纂されるほどです。ここに日本人のアイデンティティを示す意味合いで、時の天皇は「和歌」を打ち立てたのです。古今和歌集が自国文化いわゆる国風文化の発端であり、日本文化のスタート地点にあることをお分かりいただけるでしょう。

古今和歌集は以後の日本文化に決定的な影響を与えました。ここで歌われた春夏秋冬や恋の抒情といったものが、日本の美術、芸道そして人生観の礎となったのです。それは千年たった今も変わりません。たとえば「桜」。私たちはこれにおのずと愛好の念を寄せます、それはなぜか? 端的に言うと、古今和歌集でそのように歌われたからなのです。そしてその満開よりも散る姿に心を動かされるのも、同じ理由です。
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明治時代まで、日本の文化人は当然のように古今和歌集をはじめとする古典和歌に学んできました。芭蕉しかり子規しかりです。しかし西洋文化が氾濫するにしたがい、これらは軽視され、ほとんど顧みられなくなりました。まこと、愚の極みと言えましょう。
日本文化の礎である和歌を知らずして、日本を考えることはできない。和歌を知らずして、偉大なる先達との対話(作品鑑賞)なんてできるはずもありません。
今や古典作品は上流貴族のみが独占する秘蔵ではなくなりました。近所の本屋やネットでだれでも簡単に閲覧できます。にもかかわらず、これに近づくものは乏しい。

衣食住、現代の日本人はすべからく恵まれています。しかし、心にはただ虚しい風が吹いている。その病原は西洋に由来する個人主義にあるのではないでしょうか。現代短歌さえも「われ、ワレ、我」と一人語りに収斂する一方です。
元来、日本人は「和」に心を安んてきました。調和や協調、現代では過去の遺産と嫌われる精神ですが、これがあって幸福感を得られるのが私たちなのです。

心の豊かさを求むなら「和」を求めましょう。メディアが唱えるような薄っぺらい言葉ではなく、本当の「和」です。そして求めてわかると思います、その到達点が古今和歌集を起点とする「和歌」にあると。
和歌とは漢詩への対抗心、冒頭でこのように説明しました。しかし本来的に、古来日本人が詠んできた和歌の「和」とは、春夏秋冬つまり世俗との「和」であり、憧憬を寄す先達つまり過去との「和」なのです。そして大切なのは、思いを同じくする友との「和」であるのです。

令和和歌所では、この「和する」を目的に活動しています。日本の古典文学、歴史、自然を象徴する「和歌」を題材にして。
→「令和和歌所の歌会・和歌教室、和歌Bar

さあみなさん、今こそ和歌を楽しみましょう!
そして日本人として、人生の風雅を得るのです。

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