詩歌ジャンルを超えろ!~平成和歌所の年頭所感~

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、「平成」もいよいよ終わりが近づいて来ました。
便乗してわれらが和歌所もスタンスを改めようと思います。

今年のテーマは… 
「和歌を捨てる!」です。

最近ことに思うことがあります。
現代でも日本語文芸を楽しんでいらっしゃる方はたくさんいらっしゃいますが、短歌、川柳、俳句、詩などですね。
しかしおのおの個々のジャンルに固執し、ともすれば反目しているようにさえ見えるのです。
私にはこれが不満なのです。

平安の歌人は和歌も詠めば漢詩も優れていました。明治の文人はさらに俳句や川柳、詩などにも親しんでいたのです。
しごく当たり前のことなのですが、ひとりの歌人が表現していい詩形はひとつだけ、なんてルールはどこにもありません。
しかし、現代の詠み人は自分が定めた詩形以外はまったく門外漢を決め込み、まったく踏み込もうとしません。

なぜか? 一番の理由は結社という閉鎖的な組織の悪しき側面でしょう。
そして見逃せないのが批評主義の跋扈、テレビでも俳句のランキング番組などは根強い人気です。

しかしよく考えてください。
私が先に挙げた詩歌ジャンルの違いななんて、文字数と季語の有無といった些末な事象です。
こんなことにこだわって、表現を狭めているのは非常にもったいない!

本来、詩歌とは人とひとの交わりを盛んにする手段なのです。
初めて出会う人との心を和らげ、親しい人の心の深淵を知ることができる、それが歌なのです。

私は歌の心に立ち返り、日本の詩歌を存分に楽しめる場をつくりたいと思います。
歌を通じて、人と人との交流を盛んにしたいと思います。

難しいことでしょうか? 私はまったくそう考えません。
なぜなら、驚くべきことに日本語の詩歌はジャンルは違えど、一本の道に還るからです。
それこそが古今和歌集を発端とする「和歌」です。
→関連記事「日本文化のバイブル、古今和歌集とは何か

和歌つまり「日本的な調和」という共通理解があれば、すべての日本詩歌は語り合えるのです。
※短歌や俳句が重んじる「独創」の対義語は、和歌に培われた「伝統」です

ということで、和歌所ではある詩型を指して表す「和歌」へのこだわりを捨て、
歌によって人とひととの調和を盛んにする、本来の「和歌」に立ち還りたいと思います。

みなさま、ぜひ一緒に「オールジャンル詩歌」を楽しみましょう♪

(書き手:歌僧 内田圓学)


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