歌塾 月次歌会「初冬」(令和四年十一月)※判者評付き

歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
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令和四年十一月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。

題「初冬」

「赤き羽開きては鳴くラッセルの今か今かと雪を待つらむ」

判者評:「ラッセル」鳥ではなく除雪車、「赤き羽」は雪を押し出すウイング。冬の訪れを告げる「ラッセルの試運転」の様子をおもしろく和歌に仕立てている。

「鳰鳥(にほどり)のしたのかよひぢ閉ぢながら氷れる空をうつす池の面(も)」

判者評:凍てつく冬の美しき景。ただ「鳰鳥(にほどり)のしたのかよひぢ」がわかりづらい。人目にあらわれない「忍ぶ心」を思わせるが、歌は恋になっていない。

「ただかぜにこころまかせて振り放(さ)けば冬立つ空にたづ(鶴)わたりゆく」

判者評:長け高い冬の景。人はこういう風景と出会うと、生きていてよかったと思うだろう。趣向を一捻りするとすれば、「風の音に」などと初めて、鶴の鳴き声を関連させるのもあり。

「はままつに来にける千鳥もみぢばの色をとりてやまぎらはすらむ」

判者評:「色なき浜の松に千鳥が加えてきたもみぢの色が紛れている」ということ、斬新な趣向がみごと。結句「紛らはす」は「冬をそめたり」とはっきりと色を打ち出してもいい。

「冴え渡る枯れ野に色を添えたるは真白(ましろ)に咲きし霜の花かも」

判者評:凍てつく冬の朝の景。和歌で「霜」はさみしさを際立させる景物だが、ここでは「美しき花」になっていて新鮮な感じを受ける。初句の「冴え渡る」が結句への意識が強く少々説明くさいので「冬枯れの野辺に」とか「朝まだき枯れ野に」くらいでいい

「空さゆる冬の朝の笹の葉になほ消えあへずこほる霜かな」

判者評:凍てつく冬の朝の景、趣向が美しい。霜はすでに凍っているので結句は「残る霜」とした方がいい

「冬立ちて空に浮かびし月もまた衣まとひて寒さしのがむ」

判者評:冬霧の奥にみえる月だろうか、美しき冬の情景。衣は夏でも「まとふ」ので「重ねる」としてはどうか。また「しのぐ」は和歌であまり聞きなれないので、「寒さ堪ふらむ」として現在推量でまとめてはどうか。

「吹きかかる紅葉をまとひ月影の今宵限りの秋化粧かな 」

判者評:「月に紅葉が吹きかかって秋化粧する」とはまことに見事な趣向。四句目「限りの」とすると「今夜最後の秋化粧」となり暮秋の歌になるので、「限りは」として「今夜のうちは秋化粧」(冬の中に見えた秋)としたい。「化粧」は音読みだが許される。

「月満ちて百寺の鐘の音殷々(いんいん)と渡る海原船漕ぎ出さん」

判者評:満月の下、百寺の鐘が海原を鳴り渡る。さあ船出しよう! 溜息のでるような趣のある情景。漢詩などに所縁がある歌だろうか。

「冬ごもりせる雪間にて草も木も春さく花の夢をみるらし」

判者評:「雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之)」を踏まえる。貫之詠では「雪」と「草と木」は別物だが、ここでは「草も木」は自分たちの未来の姿を夢で見ている。

「思ひ寝の宵にそぼふる小夜時雨ひとりの庵ぞさえまさりける」

判者評:寂しき冬の一人寝、孤独の情が極まっている。上の句で寒の景は十分あらわれているので、結句は「わびしかりける」など人情をいれたい。

「はつしもに木の葉かれたるそのはらやふせやの夢の覚むるあかつき」

判者評:わびしき冬の朝の景、「そのはら」は固有名詞か。幽玄な姿であるが、反面、上句と下句の繋がりが弱い

「錦ともみてし千種に吹く風を袖にとゞめてしばしゝのばむ」

判者評:風雅の人の暮れの秋。「見える」としたほうが時制があうのではないか、また結句を「秋をしのばむ」として歌の意を明確にしたい

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