忘れられた王朝――古代出雲の実像
古代出雲、それはは単なる地方の一国ではなかった。北陸、九州、近畿にまで影響を及ぼし、後に日本を統一する「大和王権」にとって最大の脅威であったに違いない。
これは神話の絵空事ではない。近年の発掘調査により、出雲を中心とする古代勢力の広がりは、着実に実証されつつある。
にもかかわらず、多くの人々にとって「古代出雲王権」など語るに及ばず、忘れられたまま静かに埋もれている。
内なる崩壊――古代出雲に仕掛けられた罠
それほどの王朝が、いったいどのようにして崩壊してしまったのか? ひとつの物語を語ろう。
想像をめぐらせてほしい。古代出雲王権の末期、この地には二つの勢力が拮抗していた。ひとつは東の意宇郡を中心に広がる「東勢力」、熊野の社にて素戔嗚尊(須佐之男命)を祀っていた。もうひとつは、西の大原郡およびその周辺を基盤とする「西勢力」、こちらは後に杵築の社に鎮座する大国主命を祀っていた。この二つの勢力は、緊張と均衡を保ちながら、出雲という巨大国家を運営していた。
葦原中国の平定を望む大和王権は、そこに付け込んだ!『古事記』には、高天原から派遣された天穂日命らが出雲に下り、大国主神を服従させようとする記述がある。しかし逆に大国主命に懐柔され、3年たっても復命すらできずじまいであった。ただその実、大和側の本来の目的は別のところにあったのだ、それは出雲国の内部分裂である。天穂日命は密かに出雲の東勢力を支援し、西勢力の排除をそそのかす。まんまと大和の策略にのった東勢力は、西勢力を圧倒し、ついに出雲を再び統一させた。だがその実態は「統一」ではなく大和による「乗っ取り」であった。
国譲り――出雲王権の終焉と再配置
もともと統一出雲の主権者であった大国主命は、「国譲り」によってその地位を失う。
神話上では、この「国譲り」はあたかも穏やかな交渉の末になされたように描かれている。しかし、果たしてそれは本当に自発的なものだったのだろうか。
興味深いのは、『古事記』における大国主命の描かれ方だ。彼は自らの子である八重事代主命らに判断を委ね、まるで自分には判断力も意志もないかのように振る舞う。これは、大和による「征服された者」としてのイメージ操作ではないか。
一方、『出雲国風土記』では違う。ここでの大国主命は、『但、八雲立つ出雲の国は、我が静まります国と、青垣山廻らしたまひて、玉珍置きたまひて守りたまふ』と強く主張する。これこそ、地方に生きる者の矜持であり、誇りであろう。征服されてもなお、最後まで自らの土地を愛し、守ろうとした姿がそこにはある。
また、大国主命の本来の拠点は出雲の中央部である大原郡、現在の木次周辺であったとされる。しかし国譲りの後、その神殿は杵築(現在の出雲大社)に移された。これは単なる地理的な遷座ではない。王としての大国主命を「神」として祀ることで、政治的な存在から宗教的存在へと変質させた、大和による象徴的な操作である。
出雲氏の変質――支配から祭祀へ
こうして、出雲の政治構造は完全に変わった。内紛の勝者である東の勢力者は統一者として「出雲氏(国造)」となったが、みずからの祖を「天穂日命」に定め、あろうことか大和朝廷へ服属してしまった。
(出雲氏は意宇を離れ出雲の地へ移る、それにより熊野の社は衰退していくが、出雲國一之宮の立場は今も変わらない)
やがて、国造制度そのものが廃止され、大和の中央政権から国司が派遣されるようになる。忌部氏などがその代表であるが、出雲氏はもはや政務を担うことはできず、出雲大社の祭祀を行う神職としての役割に限定されていった。それは南北朝時代に千家・北島に分かれるが、今日にも及んでいる。
これは一種の「名誉ある追放」である。表向きは祀られ、尊ばれていても、実際には政治の中枢から遠ざけられた――かつての王族の末路は、神に祀り上げられてなお、政治的には敗者であった。
出雲三柱のトライアングルと八束水臣津野命の意味
さて、出雲神話を読み解くうえで重要な神々がいる。それが名高い「須佐之男命」、「大国主命」、そして「八束水臣津野命」の三柱である。
記紀の伝承では須佐之男命と大国主命は単純な系統で語られるが、出雲においては微妙な三角形的な力関係に基づいている。そして、その中心にいるのが八束水臣津野命だ。
八束水臣津野命は、古事記では「淤美豆奴神」とされる、つまり須佐之男命と櫛名田比売の四世、大国主神の祖父とされるが、作中その活躍は見えない。しかし出雲国風土記において、彼は「国引き神話」の主人公であり、『八雲立つ』と国名を定めた張本人である。つまり、出雲を造ったのは須佐之男命でも、大国主命でもなく、地方神である八束水臣津野命なのだ。これはなぜか?
わたしはここに八束水臣津野命を、須佐之男命と大国主神の調停者、すなわちかつて古代出雲を二分した東勢力と西勢力の統一の象徴としての役割をみる。八束水臣津野命によって「出雲は平和裏に統一が図られた」、という見えない物語がここにはあるのだ。
「大国主命」とは誰なのか?
出雲神話の中心人物、出雲国風土記にも「天下所造らしし大神」とされる「大国主命」とはいったい誰であろうか?
大国主命は、『古事記』に少なくとも6つの異名が記されている。これはすなわち、一人の神としての統一的な人格ではなく、各地のローカルな神々――すなわち「国つ神」たちの集合体としての性格を意味しているのであろう。
そのような「大国主命」を、大和王権は記紀において「最後の地方勢力の象徴」として扱った。大国主命=出雲王というイメージは、実際には全国の地方勢力全体を抽象化したモデルでもあったのだ。
一方、大和は自らを「天つ神」、すなわち天照大神の系譜に連なる神々と位置づける。天上の秩序のもと、「国つ神(地上=地方)」を統べる存在。こうして神話の中に、大和=中央が地方を支配する論理が巧妙に織り込まれていった。
出雲神話が今に語るもの――地域を愛する心、誇り
出雲の神話は、単なる古代神話の一編ではない。それは、ある地方が歩んだ誇りと悲哀の歴史であり、中央に征服され、記録を書き換えられてもなお消えることのなかった「土地に生きる者たちの声」、その集積だ。
大国主命による「国譲り」とは、中央から見れば「平定された地方」の美談に過ぎない。しかし、出雲国風土記が記す『八雲立つ出雲の国は、我が静まります国』という意志の言葉には、自らの土地を手放すことへの痛切な抵抗と、地域への強い愛情が読み取れる。
出雲の神話に光をあてることは、いま、私たちが地方に生きる者として抱く郷土への思いや、都会に埋もれがちな土地の声に耳を傾けることになるだろう。
(書き手:内田圓学)
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