土左笈日記 ~道真と貫之と時代~

年表を作り始めてから貫之と道真の関係性に興味を抱き始めました

道真は貫之のふたまわり上 今の感覚でば父親世代です

勝手な推測ですが貫之には道真に対する敬愛の念が少なからずあったのではないかとおもひます

そして 菅家の没落は実際紀家にも人ごとではなかった

貫之の時代 すでに紀家は政治的にはまったく振るはず

貫之と息子の時文が文化人として世に現れるのを最後に衰微してゆく

いつの時代もさうでせうが 時代の影と光は入れ替はるやうにやってくるものなのでせう

貫之が最も活躍した三十代後半は寛平延喜の代として知られる良く治った時代とされています

かたや一方では大陸の騒乱 

それは日本も影とて感じられたはずです

その余波は道真の奏上による遣唐使船の廃止

道真自身の左遷とへとつづき

そして唐といふ巨大な帝国の瓦解

瀬戸内を中心とする海賊の横行と道真死後に続く世のさらなる騒乱

(海上の往来警察機能も変化したからでせうか)

古今編纂から約三十年 七十を直前に土佐に下らねばならなかった貫之自身

おほぞらの月をあほぎみるがごとくその聖代を恋ひてゐたでせう

死んだ娘のことが日記の前編に縦糸のように貫かれていますが

これは史実であったとすればなほのこと

継の世への不安と前の時代への思慕とかさなっったのではないでせうか

とまれかうまれ 雑感です

「海ならず 湛へる水の 底までに 清き心は 月ぞ照らさむ」(道真)

「棹させどそこひも知らぬわたつみのふかき心を君にみるかな」(貫之 土左 正月二十七日)

あなかしこ

(書き手:皋鳩)