藤原家隆 ~和歌の最難関、家隆を攻略せよ!~

非凡であるのに、同世代に大スターがいるために目立たなかった残念な人っていますよね。スポーツ選手にせよ、ミュージシャンにせよ。
それを伝統歌人でいうと、貫之の陰に隠れた凡河内躬恒であったり、今回取り上げる藤原家隆だったりします。

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家隆は藤原俊成を師とし、寂蓮の婿に入ったという記録(古今著聞集)も残る御子左流の歌人。そしてライバルはかの天才歌人、藤原定家でありました。
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家隆は定家の4年ほど年長で、「正治初度百首」「千五百番歌合」など後鳥羽院歌壇の重要イベントをともにくぐり抜けます。そして二人は新古今時代の双璧をなす歌人へと成長、当時の歌壇をリードし、だれもが良きライバルとして認め合う仲でした。

家隆の歌人としての実力は、かの藤原良経をしてこう言わしめるほど、

「家隆は末代の人丸にてさぶらふなり」
古今著聞集

なんたって人丸(柿本人麻呂)ですよ、別名歌の神様!
事実歴々の勅撰集に300首弱も採られているのです、家隆は。すっげーレジェンド歌人じゃあないですか!!

にもかかわらず、家隆の(現代の)知名度は低い、、、

順当に考えると、定家のほうが後世に確固たる歌の家筋を残せたから、今にもその名を燦然と輝かせるのだと思います。定家はああ見えて政治的にも戦略家で、後鳥羽院を離れて後は鎌倉方に接近し家の繁栄を築きました。
一方の家隆、承久の乱以後も隠岐に流された後鳥羽院との交流を続けるなど温厚篤実の人でしたが、その子孫が歌人として大成することはありませんでした。

とはいえ、両者の歌人としての実力はほんとうに拮抗していたのです。
例えば「新古今和歌集」の春上に並んだこの歌をご覧ください。
「かすみたつすゑの松山ほのぼのと 浪にはなるる横雲の空」(藤原家隆)
「春の夜の夢のうきはしとだえして 峰にわかるる横雲の空」(藤原定家)

ある時まで、ふたりは同じ高みを目指していたことがわかります。
それがいわゆる「新古今家風」として結実するのですが、その面では家隆のほうが定家を凌ぐ表現者であったと思います。

耽美を極めた定家よりすごい歌とはどんなものか!? 気になりますよね。
しかし実のところ、すごすぎて私たち凡人には意味不明というのが家隆の歌なのです。

ただでさえ難解と言われる新古今歌の、頂点といって過言でない家隆の歌、
今回はその難易度順に鑑賞してみましょう。

難易度レベル(初級)

一「花をのみ待つらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや」(藤原家隆)
これは口語訳するまでもありませんね。かの千利休が好み、茶の湯の真髄を表すとされる歌ですが、家隆レベルとしてはまったくわかりやすい歌です。

二「このほどは知るも知らぬもたまぼこの ゆきかふ袖は花の香ぞする」(藤原家隆)
歌の出だしこそ蝉丸を彷彿とさせ親しみを受けますが、問題が三句目です。
「たまぼこ」とは何でしょう? 実はこれ「里」や「道」をみちびく「枕詞」なのですが、この歌では枕詞である「たまぼこの」が、そのまま「道」を意味しているのです。
枕詞の知識があれば連想が働くのでしょうが、なかなか大胆な使い方じゃありません?

三「さくら花夢かうつつか白雲の たえてつれなき峰の春かぜ」(藤原家隆)
桜の花が見えたのは夢か現実か。白雲の花は消えてしまった。峰には花を散らす春風が吹いている。とまあ、口語訳するとこんな感じでしょうが、分かりやすくすればするほど野暮になるのが新古今歌です。
定家や良経ではやや高レベルにあたるような調子ですが、家隆の前では初級レベルです。

難易度レベル(中級)

四「鳰の海や月のひかりのうつろへば 浪の花にも秋はみえけり」(藤原家隆)
鳰の海とは琵琶湖の別称です。歌枕で頻繁に詠まれますので覚えておきましょう。
和歌では白浪を花に見立てるのですが、この歌ではその花が移ろって秋が見えた、としています。ポイントは移ろったのは花ではなくて月明かりだということ。いろいろと倒錯してしまって、凡人では素直に理解できません。

五「秋かぜの袖にふきまく峰の雲を 翼にかけて雁もなくなり」(藤原家隆)
家隆といえば「袖!」というくらいに、袖に様々な趣向を凝らして歌を詠みます。
なかでもこの歌は特徴的、なにせ袖に吹きまく風ですからね。
ところで「峰の雲を翼にかける」とはどういうことでしょうか? 雁といえば玉梓(手紙)を運ぶとしますから、その見立てかもしれません。

六「志賀の浦やとほざかりゆく浪まより 氷ほりて出づるありあけの月」(藤原家隆)
冷えさえる真冬の志賀の浦。その浪の間から凍りながら昇る有明の月。数ある和歌のなかで、これほど寒々しいものを知りません。二句目の「とほざかりゆく」がわかりづらいですが、これは水際から次第に凍っていくため、浪が離れていくということなのです。これぞ新古今歌というべき、現実をはるかに超越した情景歌です。

難易度レベル(MAX)

七「ありあけの月まつ宿の袖の上に 人だのめなる宵の稲妻」(藤原家隆)
家隆はいろいろと端折ります、それがよけいに歌を難しくしています。
「宿の袖」の間には、もちろん人(自分)が入ります。その上の「人だのめなる(期待を裏切る)宵の稲妻」とは何かというと、恋人の訪れ=夜を知らせる月と勘違してしまった光だったのです。ようするにこれは「待つ恋」なのです。
腑に落ちないのが、この歌が「恋」ではなく「秋」部に採られていること、さらに待っているのが「ありあけ月」だということです。(通常、ありあけ月は夜明けの空に残っている月を指します)

八「梅が香にむかしをとへば春の月 こたへぬ影ぞ袖にうつれる」(藤原家隆)
ある香りに昔の人を思い出す、これは和歌の常套ですが、家隆はそれを一歩進めて香りに昔の人を問いかけています。しかし春の月影は、答えないまま袖に映っている。
さすが難易度MAXですね。理屈でこの歌は理解できません。
香りを擬人化して昔を問う。これはわかりますが、答えないのは香りではなく春の月。大胆な飛躍ですよね。しかもそれは袖に映っている。実は袖に月が映るのは、涙で濡れて鏡のようになっているという和歌的世界が背景にあるのです。要するに影は答えないが、袖が答えを物語っているという仕掛けなのです。いやー、汗かく難易度ですね。

九「野辺の露うらわの浪をかこちても ゆくへもしらぬ袖の月かげ」(藤原家隆)
上の歌を知っていれば、「ゆくへもしらぬ 袖の月かげ」はわかりますよね。
この歌は羇旅歌です。ですからはかない身の上となった自分の行方を月に尋ねるという風情になります。さらに「野辺の露」がはなかさを象徴し、「浦わ」に「恨み」を響かせていることがわかれば、なおこの歌の虚しさに共感できます。

十「思ひいでよたがかねごとのすゑならむ きのふの雲のあとの山かぜ」(藤原家隆)
今回ご紹介するなかで、唯一の恋歌です。細かく分類すると「恨む恋」あたりですね。
「思い出しなさいよ、だれが約束したなれの果てだって言うの! きのうの雲のあとに山かぜが吹いている」と、口語訳はできるのですが説明するのは非常に難しい歌です。なぜかというと、この歌は伝統的な和歌の構成になっていないのです。
見てわかるように上句には心情が、下句は風景が歌われていますよね。和歌には序詞という技法があり、風景と心情をつなげる役割を果すのですが、これとは違うのです。
実はこの歌、いわゆる「配合」によって上句と下句が結ばれているのです。
ですから口語訳以上の説明は不要で、配合によって得られる余情は鑑賞者次第といったところなのです。

いかがでしたか?
抵抗なく家隆の歌に感じ入ることができた方は、きっと詩的感受性に優れているのだと思います。

このように見てみると、家隆の歌を最たるものとして新古今歌がなぜ難しいのか、理由がわかります。以下に箇条書きにしてみました。
・共通認識されている言葉やモノは大胆に削る ※例「袖の月」
・伝統に縛られない新しい見立て ※例「翼にかける峰の雲」
・実際にはありえない心象風景 ※例「氷ほりて出づるありあけの月」
・配合による構成

雪月花、伝統的(古今風)歌人は春夏秋冬の美を歌に収めようと腐心しましたが、新古今歌人にとってそれらは小道具に過ぎません。彼らが目指したのは、自身の心に結ばれた物語を三十一文字で描くことだったのです。

「詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め」
近代秀歌

この言葉に、定家たち新古今歌人たちの理想を見て取れます。
ですから、諦めないでください!
一見して家隆や定家の歌がわけわかんないのは当然なのです。
むしろ一首を一冊の小説を読むような心構えでじっくりと鑑賞してこそ、彼らの歌は心に響いてくるものなのです。
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(書き手:歌僧 内田圓学)

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