「待恋(まつこひ)」は文字通り、恋しい人の訪れを待ちわびる心情を詠んだ歌です。愛しい人を待つ、という状況は、恋のあらゆる段階に渡って生じると思うのですが、和歌では古今集の「恋四・五」に集中して詠まれていることからもわかるように、とくに恋の終盤のシチュエーションに相応しいと理解され、多く詠まれました。
主な表現としては「待つ(松と掛けることが多い)」、これはド定番ですね、そして「夕暮・暮れ・暮る」、「宵・今宵・来ぬ(人)」、「ひとり(のみ)」、「閨(ねや)」などが挙げられます。
肝心なことは先に「恋の終盤」と申し上げたように、「待つ」とはいえど「もう来ないかもしれない」という悲壮感を強く感じさせるといことです。また「待つ」という態度は基本的に女の態度であり、男性が詠んでいたとしても、それは女の気持ちになりきって詠んでいるのです。「待恋」は和歌の恋題における真骨頂といえるでしょう。
『古今集』(恋四・五より)
「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(よみ人しらず)
「君やこむ我やゆかむのいさよひにまきのいたどもささずねにけり」(よみ人しらず)
「今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな」(素性法師)
「月夜よしよよしと人につげやらばこてふににたり待たずしもあらず」(よみ人しらず)
「君こずはねやへもいらじ濃紫こむらさきわが元結もとゆひに霜は置くとも」(よみ人しらず)
「宮木ののもとあらの小萩つゆを重み風を待つごと君をこそ待て」(よみ人しらず)
「独のみながめふるやのつまなれば人を忍ぶの草ぞおひける」(貞登)
「わがやどは道もなきまであれにけりつれなき人を待つとせしまに」(僧正遍昭)
「今こむといひてわかれし朝より思ひくらしのねをのみぞなく」(僧正遍昭)
「来こめやとは思ふものからひぐらしのなく夕暮れは立ち待たれつつ」(よみ人しらず)
「今しはとわびにしものをささがにの衣にかかり我をたのむる」(よみ人しらず)
「いまはこじと思ふものから忘れつつ待たるる事のまたもやまぬか」(よみ人しらず)
「月よにはこぬ人待たるかきくもり雨もふらなむわびつつも寝む」(よみ人しらず)
「うゑていにし秋田かるまで見えこねばけさ初雁の音にぞなきぬる」(よみ人しらず)
「来ぬ人を待つ夕暮れの秋風はいかに吹けばかわびしかるらむ」(よみ人しらず)
「ひさしくもなりにけるかな住の江のまつはくるしき物にぞありける」(よみ人しらず)
「住の江のまつほどひさになりぬればあしたづの音になかぬ日はなし」(兼覧王)
仲平朝臣あひしりて侍りけるをかれ方になりにければ、父が大和守に侍りけるもとへまかるとて詠みてつかはしける
「三輪の山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば」(伊勢)
『百人一首』より
「嘆きつつひとり寝る夜のあくるまはいかにひさしきものとかはしる」(五右大将道綱母)
「やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」(赤染衛門)
「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」(権中納言定家)
『草庵集』より
聖護院五十首に、待恋
「たのまじと人にはいひし夕暮を思ひも捨てず何と待つらん」(頓阿)
民部卿家、待恋
「人待つもくるしきものを偽りになぐさめとてや契りおきけん」(頓阿)
弾正親王家三首、月前待恋
「いたづらにふけゆく影のつらければ人待つ宵は月もながめじ」(頓阿)
民部卿にて、忍待恋
「関守のうち寝ぬるひまを待つ程は中中人のとふやうからん」(頓阿)
御子左大納言家三首、待恋
「たちぬるる山のしづくにあらねども待つ夜は袖のかわくまぞなき」(頓阿)
※本歌「大津皇子贈二石川郎女一御歌一首 あしひきの山のしづくに妹待つとわれたちぬれぬ山のしづくに」(『万葉集』巻二・一〇七)
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