月を見つめた天皇 ~三条院の悲劇と和歌~

三条院(67代天皇)は、冷泉天皇の第二皇子として誕生しました。幼少期に母を亡くし11歳で立太子されるも、即位まで25年ものあいだ皇太子として過ごします。一条天皇から譲位されてようやく天皇に即位しますが、藤原道長との権力闘争に苦しみ、わずか5年と7ヵ月で退位に追い込まれました。三条院が退位を迫られた際、藤原道長※ は眼病を理由にその決断を強要したと言います。事実、三条院は在位中に目の病を患い、視力の衰えが深刻化していたようです。しかし、根本的な退位の理由は、道長が自身の外孫である敦成親王(後の後一条天皇)を早期に即位させ、摂政として権力を握ろうとした政治的な意図が大きかったのです。

三条院は印象的な「月」の和歌をいくつも残しました。眼病に苦しむ彼にとって、月はその薄明かりすらはっきりと見えたかどうかわかりません。しかしその存在は間違いなく、苦難の人生における微かに希望を照らす存在であり、孤独を癒す唯一の友でもあったと、わたしは思います。

詞書:例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしける頃、月の明かりけるを御覧じて
「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」(三条院)

この歌は、百人一首の68番歌としても広く知られており、失意の中で月を見つめる彼の心情が率直に表現されています。詞書にあるように、この歌はまさに病を得て、まさに今退位しようという心境で詠まれたことがわかります。
『心ならずも、この辛い現世に生き永らえていたならば、きっと恋しく思い出されるに違いない、今夜の美しい月が』。現世の苦しみを超えて、月という一瞬の美しさにすがろうとする姿が浮かびます。まるで、自身の苦悩と絶望から一時的に解放されるような瞬間を月に託しているかのように…

「月かげの山の端分けて隠れなばそむくうき世を我やながめむ」(三条院)

月が山の稜線に隠れていく様子を、自分の大切な人が出家し、現世を捨て去ってしまうことに重ねています。その結果、自分はこの苦しい世の中に一人取り残され、物思いにふけるだろうという孤独感が表れています。月は彼にとって、大切な存在と現世をつなぐ象徴であり、その消えゆく姿に無力感を感じています。

「秋にまた逢はむ逢はじも知らぬ身は今宵ばかりの月をだに見む」(三条院)

この歌には再び会えるかどうかわからない未来に対する不安が表現されています。彼はこの次の秋に再会できるかどうかも分からない自分の運命に思いを馳せつつ、せめて今宵の月だけでも心ゆくまで眺めたいと願う。ここでも月は、彼にとって今この瞬間だけを確かめるための存在であり、未来の不確定さに対する彼の悲しみが見て取れます。

三条院の「月」に共通するのは、彼が自らの苦境に耐えながら「月」という存在に希望や慰めを見出していることです。眼病によって視力が衰え、やがて目が見えなくなる運命を悟りつつも、彼は最後まで月の光を見つめ続けました。まるで、月だけが彼を理解し、彼の孤独を癒してくれる唯一の存在であったかのように…
三条院の和歌は、その苦悩と希望の狭間で揺れ動く心情を見事に表現しており、現代に生きる私たちにも、何かしらの慰めと感動を与えてくれることでしょう。

そろそろ今年も「中秋の名月」の時分です。月見に団子! ともてはやすのも一興ですが、たまにはひとり静かに眺めてみてはいかがでしょう。

※「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば」(藤原道長)

(書き手:内田圓学)

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